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音楽、真面目に 7/22

こんにちは、konyujiです。高校生の時、クラシックはもう限界だよな、と生意気に考えていました。調性、全音音階、無調等々。古い曲を繰り返し繰り返し弾き続けるのがクラシックの世界なんだな、と。アホみたいに悩んでいました。そのクラシックの作品を抜群に素敵に弾く同世代がいたら、私の存在価値など、無意味だなと。

なのに、音楽の道に進むのは、担任に旧帝大(古い…)レベルに合格するには、浪人しなくては無理、と言われて… わたしは俗に言う進学校の落ちこぼれです。ある意味、逃げだったのではないか?と自分を分析。

なのに、海外に音楽留学までする流れに… ここでもコンクールに勝てないし、結婚に逃げるわたし。

なのに、今まで結局、音楽の道にしがみついて30年過ぎてました。どうしてなのかな。

それは、本番の演奏、練習中にある一瞬、訪れるミューズのささやき声を聴きたくて弾き続けて来たように思います。

ここ最近、ピアノを弾いていても全然ミューズはやって来ません。練習に身が入っていないせい。反対にチェロはそれは真面目に練習していて、いつかミューズがやって来そうな感覚があります。

心の声はピアノではなく、チェロに真剣になってみたら?わたしはここでもピアノからも逃げるのか?それでもいいと感じている自分。

わたしは諦めることに慣れすぎているのか… オリンピックを辞退することになってしまった選手。行動は決して許されませんが、相当のプレッシャーはあったのでしょう。わたしみたいにすぐ逃げる人間には見えない、世界と戦う辛さを想像してみる… 

繰り返し演奏されるクラシックの曲もスピード、リズムのキレの良さ、ミスのなさ、そのような演奏が上手い!とされる…かっこいいけれど。

純粋に音楽もスポーツも自分のために楽しむ、そんな生き方もあるとわたしは自分で自分のために認めたいと思う。

おしまい

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