これまでの人生整理 前編(幼少期〜小学校)

ご主人様とは関係なく僕個人の話。
幼少期〜小学校卒業
※多少のいじめや性的あります。

僕の居場所はネットの中とご主人様と会ってる時だけ。
リアルでは引きこもってる学生。

親は父が医者、母が看護師の医療家庭3人家族。
母は専業主婦で僕が中1の時からパートをしている。

父が育ったのが半毒親みたいな親だったせいか、自分の金は家族になるべく使いたくないらしい。ただ、父の基準で僕が頑張ったと思える時には罪悪感無く僕達にもお金を使えるみたい。いわゆる条件付きの愛なのかな。

本編 幼少期

父は僕が小さい頃から仕事で忙しく、いつも疲れていた。僕が5歳の時に、都会から地方に転勤し少しは余裕はできたもの基本的に忙しく、いつもピリピリしていた。

小学校入学

そして僕は小学校へ入学した。
小学生に上がったらパパ・ママからお父さんお母さんへ半強制的に変えられた。この時お父様とかって呼ばせる?って話し合っていて、ロボットの初期設定みたいで、僕は実験体なのかなとも思った。

まぁ小学校生活は幼稚園からの友達も居て順調に過ごしていた。

小3

小3の時には、友達と近くの川で遊んだり、虫を捕まえたりしていた。でも今思い返せば、その遊びの6割にうちの親が介入してた気がする。そもそも遊んだのも数回だけどね。
今思えば、友達のほうが家も遠かったのに友達の親とは会ったことも無かったのはだろう。まぁその時はそんな事考えてはいなかった。
だんだん僕は自我を持ち始めてテレビに夢中になった。だが、もうこの時にはなぜか、アニメを見ると馬鹿にされると学んでおり全く見ず相棒にハマっていた。アニメや漫画を読んでニコニコしていると親にいじられてそれが嫌で仮面ライダーやプリキュアとかも1話もちゃんと見たことがない。

うちでは食事の時のテレビは禁止で、親が見たいものがあれば親のものに切り替わっていた。
そうしているうちに僕はテレビを見すぎてしまい。没収された。没収されている間は親も見ていなかった。何時間見ていて没収されたかは覚えていない。

そして僕はテレビの代わりになるものを見つけた。そうYouTubeだ。当時は何かも知らず何故かドラえもんが見れると疑問に思いながらもハマった。

テレビの件で家庭は少し荒れていた。まぁ実際にはテレビ以外にも原因はあるだろうが、そのへんはよく覚えていないのでカットする。


寝室とリビングは薄い扉の壁だけだった。夜起きると、親が言い争ったていた。内容は僕のこと。父がこのままではいけない。もっと他の家庭で色々なことを学ばせるべき。養子にでもする?と、言っていたと思う。
多分この時に僕は失敗作なんだな、とはじめて感じた時だろう。

あと確かこの時、父にマッサージと言って背中に乗ったり、遊びで布団で丸められたりしていた。
布団に丸められた時は暑くてすごく息苦しくかった。だけど、なぜか楽しくてしにそうって思いながらも楽しんでいた。
父に愛されているって少し思えたのも事実。

実はこの辺から露出にも目覚めていたのは内緒の話。
きっとここから大きく歪んでいったのだろう

小4

そして小4、転勤の話が舞い込んだ。場所は5歳まで過ごしていた場所。
親が転勤するとなると転校もしなくてはならない。
そしたら友達とも別れてしまう。不安だった。
だから、僕と母は父だけ単身赴任してと頼んでみた。が、みんなでやらなきゃ意味が無い主義な父には通じなかった。
そして時間の流れとともに転勤した。
友達と何かしら連絡先交換しとけばよかったなと今は思う。


転校

これが僕の人生の大きな転換の1つになった。

転校先では、すぐ馴染んでいたと思う。ただ、みんなを追いかけて無理矢理馴染んでる感を出していただけとも思える。
元々陰キャだった僕には必死だった。なんか自分だけ浮いている気がして。でも埋もれていっているようで寂しくて。

そんな中、みんなが僕にかまってくれる事を見つけた。
人の物を盗んだり、人に輪ゴムを当てたり。いじめ。
盗まれた人があたふたしている様子や、輪ゴム当てられて痛!と言っている様子が面白かった。当時はいじめなんかだとは思っていなかった。ただただ楽しかった。盗む時のドキドキ感、追いかけてきてくれる嬉しさ。
そうしているうちにいじめ仲間もできた。転校してからの初めて友達と呼べる友達だった。
それからみんなを恐怖で落とし込みクラスの強いトップ的な所まで追い詰めた。まぁ勝手な思い込みだけど。
幸い僕は暴カ的ないじめには至らなかった。

でも、休日や放課後に遊ぼうとはしなかった。誘われても断っていた。男子のゲームの話には入れないし、女子の流行りの曲とかにもついていけないし。
僕はゲームは持っていなかった。そもそもゲーム自体知ったのも小5ぐらいだと思う。
あと、なぜか親に友達と遊ぶと伝えるのがすごく怖くなっていた。理由は、父は急に何処か行こうと言い出すし、反対した時に機嫌悪いと怒るからかなと思っている。

この時、心はすでに引きこもっていたんだろう。なんか、みんなとは違くて、なぜ違うのかも分からなくて、孤独。

小5の時には友達と別々のクラスになり僕もほとんど盗まなくなった。

僕はこの経験で、いじめの加害者側のケアもする必要があると思った。あと、加害者はすぐにいじめをしたことを忘れると言うが、僕は忘れていない。僕が変なだけかもしれないが。

小5

小4の時の転勤で引っ越したマンションにはロフトがついていた。
そこは物置として使っていて、物はあるけど、寝っ転がれるほどのスペースがあるって感じだった。
そこで寝てみた。狭くて暗くて滅多に親は来ないからすごく安心できた。
これが僕の人生で初めての自分の部屋。
今までで親と一緒の部屋でいつも寝ていたから違和感はあったが安心できた。

そんな中、父が+1万円でもっと広くて良い物件があると言ってきた。父が言えば反対したとしても大体押し通されてしまうのが我が家だ。小6の夏に同じ町内の別の家へ引っ越すことになった。

小6

引っ越した。前の家と直線距離では100mぐらいしか離れていない一戸建ての賃貸へ。
僕は正直微妙だったが、僕は安心したいのを選ぶので、本当は前のマンションのままが良かった。
まぁそんな事を言っても引っ越したらもう変えられない。慣れるしかなかった。
前のマンションのように狭い部屋は無く、多分普通ぐらいの部屋を僕に与えられた。しっかりした部屋はこれが初めてだった。
初めての自分の部屋で寝ようとしたが、父がストップをかけた。父は一人一人が離れて寝る=家族崩壊という謎理論を持っていたのだ。
確かに父の家庭は父が高校を卒業するまで、いつも家族一緒に寝ていたらしいからそう思うのも無理は無いと思う。でも、「第三者を連れてきたらこんな家族終わりやろって言われる」と言った時には僕も母もさすがに呆れた。

そんな歪んだ父に育てられた僕は当然歪んだ。
このあとは後編へ。

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