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旅行的意義

我已經去世的外公以前是當校長的。曾經獲得日本勲章《勲五等瑞寶章》的他是個認真但又沉默的人,愛讀書也愛抽煙。我的名字是「渚(なぎさ)」,外公叫我名字的時候跟其他人不一樣,有一種獨特的口音,他喜歡把重音放在「な」,我覺得有點奇怪,而我到現在還一直記得他叫我名字時的聲音。

外公離過婚,有一個女兒,就是我媽媽。外公離婚以後變成單親爸爸,後來跟在教書的外婆認識並且再婚。對當時二十六歲還很年輕的外婆來說是初婚,但一結婚就有一個十一歲的女兒,而她也只比這個女兒大十五歲。

在東京出生長大的我小時候一到暑假就會去住在長野的外公外婆家玩。每次去外公外婆家心情總是很複雜,開始是開心,但一方面又覺得不舒服。因為媽媽有時會對外婆做出討厭的表情,可以感覺到她們之間的氣氛不是很好,可我那時還不知道她們的關係。

成年以後媽媽才告訴我她們其實不是真正的母女,她們沒有血緣關係。這時我才明白他們感情不好的原因,但同時心中也出現了一個問號。對我來說外婆是個非常溫柔的人,我不知道外婆的真實一面到底是個什麼樣的人?所以我就一個人跑去長野跟外婆見面。

外婆跟我說了她跟外公的愛情故事。有一天外婆為了攙扶外公她把手放在外公的腰上,當時她無意識地問了外公一句 ‘你愛我嗎?’,然後外公搖頭了,隨後外婆又問 ‘那你討厭我嗎?’,外公也沒點頭。於是外婆又問 ‘都不是的話那是什麼?’,外公回答 ‘是非常愛!’。

聽到這件事情我心中感到一絲絲的意外,沒想到外公竟然也有淘氣的一面。還有那時候外婆把媽媽說的很壞,這也讓我看到了外婆不好的一面。而外公和外婆的愛情故事讓我感覺到溫暖,同時也有生氣和悲傷的心情,因為外婆的女兒就是我媽媽。

不管是什麼人都有不同的一面,當然我也是。我珍惜只屬於自己的光與影,我會踏上自己的人生旅途。

《特別謝謝 郁青》

作品2

すでに亡くなった私の祖父は長年にわたり校長先生をしていた。かつて「勲五等瑞宝章」を受賞した彼は真面目で寡黙、読書と喫煙を愛する人だった。「渚」という私の名前を呼ぶ時、みんなは“ぎさ”にアクセントを付けるが、彼は“な”を強調するおかしな呼び方で、私は今もその呼び声を思い出す。

祖父は離婚後、娘と息子を育てるシングルファーザーをしていた。その娘が私の母だ。祖父の再婚相手は教師をしていた26歳の女性。私の祖母になるその人は、初めての結婚と同時に11歳の娘を持つことになった。

東京で生まれ育った私は子どもの頃、夏休みが来るたびに長野に住む祖父母の家へ遊びに行った。うれしい反面いつも居心地の悪さを感じたのは、祖母と母をとりまく雰囲気が微妙だったからだ。時おり刺々しい口調で祖母に返事をしたり、忌々しげな表情を向けたりする母を見ると、よくわからない秘密に触れてしまったように感じた。

私が大人になってから二人が本当の親子ではないと母に教えてもらい、微妙な雰囲気の理由がわかると同時にある疑問がわいた。私にとっては穏やかで優しい祖母だったが本当はどんな人なのだろう。私は祖母に会うため長野へ向かった。

そして聞いたのは祖父母の愛情物語だった。祖父の介護で腰に手を回して抱き合う格好になった時、祖母が何気なく「私のこと好き?」と問うと、祖父は首を横に振ったという。「嫌いなの?」と聞いてもうなずかないので、「じゃあ何?」と尋ねると「大好き」と答えたそうだ。

祖父にそんなお茶目な一面があったとは。私は静かな衝撃を受けた。そして娘との良い思い出はひとつも語らず、短所を指摘しただけの祖母には冷たさを感じた。祖父母の愛情物語は私の心を温かくさせたが、私は怒っているような悲しいような気持ちになった。祖母の娘は私の母なのだから。

どんな人にもいろいろな面がある。自分だけの光と影を大切にして、私はこれからの人生の旅を続けようと思う。

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