異国の教師の手記

「今」は自分がそこに在る事に気が付いた。
そこには「今」しかなく「今」は完全だった。
そして全く無力だった。

「今」は何もわからないまま、ひたすら進んだ。
すると「今」の通ったところに「昔」ができた。
「今」が、生まれたばかりの小さな「昔」に呼びかけた。
それは「昔」に波を立て、広がっていった。
「音」と「静かさ」が生まれた。

「音」と「静かさ」は交互に進んだが、時々、もつれた。
そして、もつれる度に「形」が出来た。
その「形」の中にもまた「今」が在り「昔」を生み出していった。

大きな「形」は大地や海となり、小さな『形』は草木や獣となった。
全ての「形」は「音」と「静かさ」から生まれ「今」を中に含んでいる。

小さき子よ。私はもうすぐ「昔」になるだろう。
しかし、それは全てお前の中にある「今」に含まれるだろう。
「今」は全ての「昔」と共に進んでいるからだ。

お前には「音」と「静かさ」のつむぎ方を伝えてきた。
それは全ての「今」の中にあるものだ。屋根を打つ雨に、脈打つ血の流れに、星の瞬きの中にある繰り返しだ。
これを行う者は、自分が獣や石や一粒の種と同じものであることを知り、感じるだろう。それはとても素晴らしく楽しい事だろう。

さあ、もう少し寄って顔を見せておくれ。
お前はもう行かなくてはいけない。
お前の「今」が尽きるまで、この世界の「今」を巡るがいい。
終わり無き数の一つだけの「今」を。
迷った時は「音」と「静かさ」がお前を助けるだろう。

                    ~古い賛歌より~

○月○日

私がこの土地に来た理由は、彼等に正しい神の教えを伝え、野蛮な生活を糺し文明と文化をもたらす為である。

彼等の世界観は極めて単純な幼稚とも思えるもので「未来」という概念がなかった。
あるのは現在と過去だけであり、先のことを考えるということがない。彼等は農耕を知らず備蓄という概念もなかった。彼等は空腹を覚えると森に入り、その時、必要な分だけの食料を取ってくるのだ。その為、貨幣という概念もないようだ。

また、彼等は自我が未発達であり、己と他者、甚だしきは、己と無生物、風などの自然現象との区別もないという。
これは由々しき問題である。神は人を、己の姿に似せて創り給うた。ゆえに人は地上の全てを統べる者でなくてはならない。
そうした当たり前のことも分からないから、獣のような放埒な暮らしをしているのであろう。

私は彼等の教化を非常に困難なものと感じた。
しかし、彼等の蒙を啓き、文明の素晴らしさを伝えることこそが私が神から与えられた使命である。
私はまず、この土地で最も長く生き、彼等の中心となっている老人と接触を持つことにした。

この老人は何でも奇妙な呪いで病気を治したり、動物の群れを探すことで、彼等の尊敬を得ているのだという。どうやら一種の賢者や聖人のように敬われているようだ。
この老人を教化すれば、おのずと彼等も自分達の生活の過ちを知ることになるだろう。

○月○日

その老人は私が想像したような、毒々しい化粧や羽飾り、装飾品を身に付けてはいなかった。
身を隠す最小限の布だけを身に付け、その住居や暮らしぶりはこの村の誰よりも簡素であった。

私が来訪すると老人は、穏やかな笑顔で出迎えてくれた。
彼と私の使う言語は差異があり複雑なやり取りは出来なかったが、老人の言葉は沁み入るように私の心に響いた。 いや、それは言葉という表現では表しきれない。純粋な「音」だった。老人は歓迎の気持ちを声に乗せて「音」として発したのだ。

それは私に深い驚きと混乱をもたらした。
何故ならそれは目の前にいる生身の人間の口から出たものであるはずなのに、同時に岩の声であり風の声であり星や雨の声であるように感じたからである。 私はその第一声から非常な興味を老人に抱いた。

○月○日

あるとき老人の元に一人の若者が運ばれて来た。
果実を採るために樹に登っていた際に足を滑らせ腰を打ったのだという。若者はひどく汗をかき、うなり声を上げていた。

老人は若者を寝所にうつぶせに寝かせると、その背骨の一つ一つをそっとなぞっていった。それは触るというより何かを聞いているような、楽器の調律をする人間の仕草を思わせた。
そして、背骨の一点に指が差し掛かると小さく頷き、家の外から小さな青みがかった石を持って来て、そこにあてがった。
私はその行為に小さな失望を感じていた。やはり彼は私の知るような原始的で非論理的な呪術師の一人でしかないのだろうか。

だが私の失望は次の瞬間、驚きへと変わった。
若者の体から汗が引き、穏やかな表情で静かな寝息を立てはじめたのだ。そして、老人の持っていた石がボロボロと崩れ落ちた。

若者が運ばれて帰っていった後、私はその石について老人に聞いた。それがまだ私達の知らない力を持ったものならば、これを本国に持ち帰れば大変な発見になるだろう。
しかし、その石は、ただのどこにでもある石だと言った。
では、老人自身に何か特別な力があるのだろうか?
老人はこれも否定した。彼はただ、あの若者の背骨の「音」を聞き、その中で異質な音の骨を見つけだし、それに対応する「音」の石を持って来て、痛みを移しただけだと言う。私の知る知識で言えば、共鳴という現象に近いと思う。

老人の言うことは理解しかねる部分が多かったが、実際にその行為に効果があったことは認めねばなるまい。それについては研究する必要があるだろう。
老人は私の懐疑を感じ取ったらしく微笑すると、しばらくここに留まる事を提案した。私はその申し出を受けることにした。

○月○日

老人との生活が始まり、数週間が経った。
その間、私の精神と常識は常に試され、揺さぶられ続けたという事を告白せねばなるまい。
今、私はそれを客観することは出来ない。
とりあえずは私の体験した幾つかの出来事を書き留めておく事とする。

ある時、老人の元に一人の母親が子供を連れて来た。
数日前から急に夜尿症になり寝所を濡らしてしまうのだという。
老人は、子供の頭頂部を二三度、指で叩き、その音を確かめた。
そして、その子の家に行くと瓶や壷の類いを同じように叩いて廻った。
やがて、一つの瓶を見つけると老人はそこに水を注いだ。微かなひび割れから、少しづつ水が漏れた。

老人は子供ではなく、その瓶のひびを修繕して帰った、はたして、その晩から子供の夜尿症は止んでいた。
子供の持つ「音」と、瓶の持つ「音」の拍子が近かったのだと老人は言った。

またある時、男が毒虫に刺され、暴れているというので老人が呼ばれた。
男の目は正気のそれではなく、幻を見ているようだった。とりとめのない怒声を上げて、そこらの物を壊している。大きく、たくましい肉体の持ち主で、どう見ても老人の手に負える相手には見えなかった。
私は、自分なら同じような体格であるし格技の心得もあるので取り押さえようかと提案したが、老人はそれを制し、すらすらと男に近付いていった。村人達も、老人を信頼しきっているようだった。

男が近付いて来た老人に気付くと横殴りに拳を振るった。
しかし次の瞬間、男の体はどうしたものか地面に押さえつけられていた。老人が特に素早い動きをしたようには見えなかったが、どう動いたのかまったくわからなかった。

その夜、どうやってあの男を倒したのか、私は老人に聞いた。
老人は、男と自分の「音」を合わせたのだと言う。
相手を異物として動かそうと思えば大きな力が必要になる。
だが、自分の体を動かすのは小さな力で良い。だから、自分と相手を同じ物にしたのだと言う。

しかし、と私は言った。
同じと言っても、やはり他者は他者であり、自分は自分ではないか。私があなたを殴ったら痛いのはあなただけではないだろうか?
老人は笑うと自分に打ち掛かってくるように言った。
私は神に仕える身として、このような成り行きになった事を後悔しつつも、自身の興味を止められなかった。はたして、私は老人に打ち掛かった。すると、老人の体を通り抜けたように、私はその勢いのまま、壁に叩き付けられた。なるほど確かに私は、自分で自分を殴ったようなものだった。

こうした老人の奇妙な哲学の中心は、万物が「音」と「無音」という二種類の状態を、様々に組み合わせる事で出来ているという考え方であった。
「音」が「無音」に比べて多くなるほど、密度のある物となるのだという。
確かに、水と氷、蒸気などは同じものの別の側面と言えるだろう。しかし、老人は色や光、匂い、形といった概念まで、全てこの理論で説明されると考えているのだ。
私は最初、これを言語の未発達からくる語彙の少なさの問題だと思っていた。音は音だし、形は形。光は光でしかない。
それに彼等の知る音の概念は、リズムだけで和音や音階という概念が欠如した、甚だ単純なものと思えた。

私は一つの思いつきから、荷物の中から楽器を出し、幾つかの教会音楽を老人に聞かせた。技巧に優れた美しい旋律である。我々の文化が生み出した誇りの一つだ。

老人は目を閉じそれを静かに聞いていた。
演奏が終わると老人は、私の楽器を貸してくれと言った。老人はそれを少し確かめると、私を連れて外へ出ようと言った。

月明かりの下、湖のほとりに私は導かれた。草の匂いが強く、微かに風が吹いていた。
老人が「虫」とだけ言うと、楽器を弾きはじめた。
和音も音階も無く、単音の繰り返しだった。
私がそれに何かを言いかけると、不意に、そこら中から虫の鳴き声が響きはじめた。何百、何千という数である。

次に老人は「花」とだけ言った。突然、濃密な花の香りがした。
そして、楽器の音が湖の水面を震わせ、波形を作り出していた。それは確かに花の形をしていた。

最後に、老人は「星」と言った。
私は、尻餅をついて叫んでいた。空を満たす星々が眩い光と共に一斉に落ちて来たのだ。

いや、今なら分かる。老人の音楽はきっかけに過ぎない。
虫は最初から鳴いており、花は香り、星は変わらず瞬いていたのだ。しかし、私はそれが聞こえず、感じず、見えていなかった。
私はその時、確かに、世界が、全ての物が音楽で満たされていることを感じた。
そして言葉にならない感情に包まれ、声を上げて泣いていた。

○月○日

あの体験からどれだけの時間が過ぎただろうか。
私は老人から多くのことを学び、それを実践するようになっていた。

かつての私が今の自分の姿を見たならば、それは信仰に背いた異端と映るかもしれない。
しかし、いまや私は確信として言えることがある。それは我々の尊敬してきた古代の聖人たちは、我々の知る現在の司教たちより、この老人に近しき者だっただろうという事だ。

我々の信仰は、神と人との、そして人と人との関わりにおいて優れた教えを伝えてきた。
しかしどこかで、自然と人との関わりを切り捨ててしまったのではないだろうか。それを取り戻す事は、我々を精神の閉塞から救い、より魂を神に近づける行為だと思う。

私が老人から学んだ事はあまりに単純であり、それゆえに我々の言葉で完全に伝えることは難しい。
それは何かを信じる事でも、特別な方法でもなかった。
ただ「そのまま」である事だった。
何の先入観も無く、ただ事物をそのままに受け入れると言う事。いや、それはこうして言葉にした時点でもう、別の何かになってしまう。それはもっと単純なことなのだ。

例えば、我々は目や舌や耳の役割を知っていると思っている。
しかし、老人は目で匂いを見ることが、舌で音を味わうことが、耳で色を聞くことが出来た。
「そのまま」に事物を感じるなら、それらの外から受ける感覚には、違いは無いのだという。そして、老人は、それら全ての感覚を使わずに、あらゆる存在を感じることが出来た。
それは彼等の言葉で言う「音」と「静かさ」の波であった。

私はかつてその概念を表面的に解釈していた事を改めた。
彼等の指す「音」と「静かさ」は我々のそれより、広く、深い意味を持つ。
例えば、「静かさ」は単なる「音」が欠落した状態ではなく、完全に「音」と等価の独立したものだった。
老人は、音を聞く様に「静かさ」を聞くことを私に教えた。

私は、それを身につけた時、かつて老人が暴れる男を制した時のことを思い出していた。
あの時、私は老人の動いている部分を見ていた。その為、何をしたのかが見えなかった。しかし、私の感覚が「静かさ」を捉えるようになった時、老人の動きの意味が全てわかった。

私は今までに半分だけの世界にいたのだ。それに気がついた。

○月○日

音の中に静かさが、そして静かさの中に音が無限の連鎖をしていた。音楽は人工の物ではなく、あらゆるものから発せられていた。

私は老人の導きにより、目や耳に頼らなくとも、それらを感じ取ることが出来るようになっていた。
いや、私は、それらそのものだった。

私は海であり、そこから立ちのぼった雲であった。
そして、そこから地上に落ちる最初の一滴の雨であり、それを受けとめる大地であった。
私は蜜を湛える花であり、それに止まる蜂であり、彼等を照らす日の光であった。

ただ、そのままである時、私はその瞬間の全てのものであった。
そこには、殺すものも、殺されるものもなく、生も死も意味を持たなかった。全てが私であり、私は何者でもなかった。あるのは、ただ、この瞬間だけであった。
岩のような動かぬものですら、その瞬間ごとに、自らを構成する「音」と「静かさ」を新しく生成していた。
全てがただ一度きりの存在であり、また普遍であった。
私は、その全てにかけがえのない愛おしさを感じた。世界は、常に一瞬ごとに創世されていた。

それは、終わりのない音楽であった。

もはや、当初の目的は私の中で意味を持たなくなっていた。私は、この土地を去ることを老人に告げた。

老人が試すように「どこへ行くのか」と私に聞いた。
私は、言葉ではなく「音」で答えた。
私は、どこにでも同時に存在できることを学んだ。老人の問いに答えはない。だから私は、全ての存在に共通する一音を以て答えたのだ。老人は、静かにほほえんだ。

「別れは言わぬ。お前は私であり、私もまたお前なのだから」

私は頷き、この土地を後にした。
私はここで学んだ事を、伝えなくてはならない。
敷石で大地を覆い、規則的に植樹された緑の中で暮らす私の国の人々には、私の言葉は滑稽な、不可解なものと映るかもしれない。 しかし、私は伝えるだろう。世界を形づくる音楽とそれを愛することを。

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