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凡 Boyage

混沌の世に、勇者が生まれた。

魔王に打ち勝つため、勇者は旅に出る。
世界を救う、長く果てしない旅が始まる。
これは、その冒険の物語…。

になるかと思ったら、そんなことはなかった。
勇者は自信に満ち溢れているわけでもないのに、なぜか魔王に勝てると踏んだ。

あっさりと敗北し、勇者は厳しい修行に入る…。
かに思われたが、そんなこともなかった。

現状のステータスで勝てる方法はないかと、模索する挑戦が始まった。

そう、これは勇者ではなく、勇者パーティに加わる、もう1人の凡人の物語。

『今の自分では無理なこともある』

勇者に、そうわかってもらうまでの、凡人の物語の記録である。

30歳レベルからのジョブチェンジ

転生したら最強だったというのは、現実世界で宝くじに当選するよりも確率の低いものではないかと思う。

そもそも現実世界で、権力や収入や肉体の強さや、あらゆる指標で凡人の自分が、転生したら違う世界ではヒエラルキーの頂点に先天的に配置されるなんてことが起こる方がおかしい。

凡人8割。魔族2割で成り立つ異世界では、元の世界で凡人だった者はほぼほぼ凡人に転生するだろう。
それなのになぜか『環境さえ変えれば自分は無双出来る』と無双する人が多い。

中学にテロリストが侵入しても、多分私はSWATを待つだけだし、
街に突然出現した異形の魔物に対しては、少しでも見つからなさそうな物陰を探すくらいしかできない。

『自分は楽観的で』という人の中でも、楽観的というよりも現実が見えていない人がいるのに気づく。
10年間彼女がいないなら、多分浜辺美波と結婚するのは無理だと他人には言えるのに、自分には『0%』以外の何らかの期待値を見出す人がこの世にはたくさんいる。

凡人は凡人。だから凡人なりの努力をすれば凡人のままで。凡人以上の努力をしなくては、その域から出られない。
そうではなくとも、自分が神様だったら、頑張っている人の方に贔屓をしたくなるはずなのに。

『ここ、バトルに出るぞ〜』

『いや、本当にね、冷静に考えてみてください。あなたのステータスは今、攻撃力34、防御力23、HPが125なんです。魔王のHPは8000以上と予想されます。だから、"今は倒せない"ってわかっていただけますか?』

勇者は納得しない。クリティカルなんとかとか、展開がなんとかとか、秘めたるなとかと言って、とにかく明日魔王に突撃して死にたいらしい。

どうやったらわかってもらえるのだろうか。
教会に行けば復活してもらえるにしても、そのお金すらないこの現状で、世界がどうだのよりも重要な最優先事項は『今、諦めてもらうこと』でしかない。

私はこの勇者を説得するには、どんなジョブにつき、どんなスキルを習得すればいいのだろ。
弁論系の、もしくは心理系の、そんなジョブはあっただろうか…。

四則演算が出来ないのに、統計学をなんとか工夫して解こうとする人がいることには本当に驚かされる。
今の自分には、まるで何もかもが『できるけどやったことがない』というように自分の挑戦を語る。

今の自分では理解できないものを『そういうものだから、後で理解できる時が来るまで暗記しておこう』などという計画的保留は、きっと弱者のするものなのだろう。

いざ、戦闘開始。
この魔王軍の幹部には物理攻撃は全く効かないようだ。魔法で攻めるしかない。
幸い、勇者には魔法のレクチャーを実施済だ。
それもこいつの弱点属性の炎属性の基本魔法を。

『炎のきらめきを、けんていの顔にのせて、ぶつける!ファなんとか!』

フリーハンドで地面に描いた魔法陣と、曖昧記憶の詠唱口上では、魔法は発動しない。
正解は『炎を揺らめきを炎帝の加護に乗せて、激翔!ファイアラス!』
である。
一応、魔法はそれを司る聖獣がいて、契約によってその力を、正しい詠唱口上をもって呼び出すので、戦闘までには覚えておいてくださいね。と言っておいたはずだが…。

そういえばこんなことを言っていた気がする。
『なんで契約が必要なの?』
『はい覚えた!もうこれでマスターした!10分で覚えたのすごくない?』
『漢字読めないから音で覚えとく!』
『ねぇねぇ。聖獣ってどこにいるの?』
『そもそもなんで聖獣は魔法使えるの?』

古代魔術の起源も、積亜を構成する物質の化学も、魔法陣に使われている文字も、あならは今使えないのだから、
『いいから覚えてください…』

メタルハートの経験値

凡人には、理解できないことの方が多い。
だからこそ世界には不思議が満ち溢れていて、感動があって、これから挑戦することも、成長していくこともいくらでもあるのではないか。

最短、最も楽に、効率良くレベルアップしていきたいのは十分わかる。
だけどあなたは『勇者になる人』であって、まだ勇者ではない。
勇者になるべくして生まれた『選ばれし凡人』なのだ。

魔王の一撃を食らった瞬間。勇者の頭に走馬灯がよぎる。
これは前世の記憶か。
解けなかったテスト問題をそのままにしていたから、再テストでも解けなかった。
理解出来ない数式をそのままにしていたから、その数式を使う受験問題が(1)しか解けなかった。
そのうちできるようになると思っていたことが、死ぬまでできるようにならなかった。
専門書に書いてある『ここは非常に複雑な計算が必要なので、結果だけ覚えてくれればOKです』の注釈部分が気になりすぎて読み進められず、結局第2章まで読んで途中で終わってしまった。

『そういうもん』でいい。

今理解できないことは『そういうもんなんだなぁ』でいいことも往々にしてある。
今の自分が全てを理解出来ないことも。
目の前のものが『そういうもん』として現実に成立していることも。
受け入れることの方が早く自分の武器にできる時だってたくさんある。

今の自分の可能性を信じることで、やっと今の自分の形を保っているのかもしれない。
それを捨ててしまえば『凡人』になってしまうのかもしれない。
ただ信じるべきは『最強の凡人であること』よりも『勇者になる凡人であること』の方がずっと特別で大事なことなのではないかと。

作戦を変更する。
『うわ!スライム一撃で倒したじゃないですか!すごっ!これこの前覚えたばっかりの魔法ですよね?』

誇らしげに勇者が答える。
『いや、まぁとりあえずやってみようと思って。真似しただけだけどね!正直あんま仕組みはわかってないけど、使えるようにはなった!もっと他教えてよ!』

それでいい。
それでいいのだ。
冒険の大目的と、勇者としての尊厳は今は少し損なわれた気もしなくもないが、まだ凡人である彼にはこれが必要なのだ。

大丈夫。彼は勇者になるべきお人だ。その時が来るまで、凡人でいい。

最後に

人は焦る。
凡人ほど、よく焦る。
そりゃそうだ。今の自分は弱くて、何も出来ないのだから。

しかしだからこそ、頑張れるのではないか。
弱い自分が、強くなりたいと願うからこそ、魅力的なストーリーになるのではないだろうか。

目の前に現れた敵を倒すのは、今じゃなくていい。
倒せないと知ったら、逃げることだって作戦のうちだ。
負けイベントでつまらなくなるゲームなら、やらなくてもいい。
それを選ぶ権利があるのが『主人公』たるあなただけの特権だ。

最後には必ず勝つと、自分を信じて努力を重ねる。
経験値は、レベルが変わらなくても着実に蓄積されていく。
スキルポイントは、スキルを使用して敵を倒すごとにどんどん貯まっていく。

さて、体に異変が起きている。
聖なる光に包まれて、衣装も顔立ちも、随分と勇ましく変わった。
天啓、のようなものがどこからか聞こえる。

『時は来た』

焦ってもがいて心折れて、弱い自分に打ち勝つというイベントは、どんなストーリーにもつきものだ。
そしてその先に『進化』がある。

あぁ、この人と旅を続けていてよかった。
目の前に現れた魔王に、勇者は背を向ける。

『今君たちを死なせるわけにはいかない!そして、私も、まだ死ぬ時ではない!』

『ここは退くぞ!大丈夫、最後は必ず勝つ!私を信じろ!』

その背中は、勇者の背中だ。
世界を守る使命を。自分の未来を。信じ、時を見定める後ろ姿を追って必死に走る。

凡人の旅は続く。
その目に見えているのは、魔王を倒した先の平和な世界。
勇者である自分を疑わない心の強さ。

いつか『その時』が来たら、私たちはもっと強くなっているだろう。
魔王を倒してもまだ、この方との冒険が続くように。
凡人たる私も、クリエイターさえも説得できるくらいに、弁論スキルを積もう。

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