見出し画像

2度の流産を経て、考えたこと。


私の妊娠は流産となってしまい、これで2度目の流産となりました。

前回の時はウツになりましたが、それより仕事のことをずーっと悩んでいて、実は流産自体はさほど気にしていませんでした。それに、

流産は珍しくない。

とお医者様に言われたのと、私の年齢だと15%程の確率で起こると何かの記事に書いてあったため、あー残念だったな…と納得していました。


だから今回は、とてもショックでした。

確率でいっても2回も続けて起こるのは1.5%…

何か私がおかしいのか…

それともただの偶然?

お医者さんには、2回起こる事はすっごく稀に感じると思うけど、そう稀じゃない確率で起こる、と言葉遊びのようなことを言われました。


稀かもしれないが起こる。でもなぜ私?

流産が分かって数日間、とにかく泣き続けました。

気持ちをどこへもっていけばいいか分からない。

私の未来図は子どもがいる生活。私がいて、旦那がいて、旦那似の物静かで思慮深い子と、私似の口が達者な子。4人家族…出来れば5人家族。

晴れた日は食べ切れない程のお弁当を作って、家族みんなでピクニック。日差しを浴びて遊ぶ子どもと旦那。子どもは俊敏に走り回り、体力が落ちた旦那はヘトヘトになっても本気で追いかける。それをみて微笑む自分。

なんて、誰もが思い描きそうな幸せな家族。

そんな未来図。

でも…そんな未来は永遠に来ないかもしれない。

2度も未来が絶たれてしまった。


妊娠して出産するのは普通のことだと思っていました。

確かに不妊治療している人もいるが、それは本当にレアなケースであり、普通の人は普通に子どもを授かっている。

また普通から飛び出してしまった。

多くを望んでいる訳じゃない、普通でいいのに。

そう、それは私がいつも思ってきたこと。


でも普通=幸せなのでしょうか…?

容易に得られると思っていた未来が絶たれて悲しみにくれているけど、普通に生きられれば幸せなのか…


否、その人にはその人の幸せがあるんじゃないでしょうか。

私は不妊治療している人や色んな障害を抱えた家族や、今辛い現実と戦う人、など、色んな人の本やブログや動画を見ました。

一番辛い現実と向き合っている人が1番不幸せかというとそうではない。

今直面している現実、自分と向き合えない人が一番辛そうだと、私は感じました。


辛いこともある。思い描く未来は得られないかもしれない。それでも毎日を淡々と懸命に生きている。そういう人が一番素敵だと思いました。


生きていると色んなことが起きます。

今起きているコロナとの生活も、数年前まで考えられなかった事態です。

でも…何が起きても、その現実と向き合う強さがあれば、どんな状況でもその状況を楽しんで生きられる。

私の大好きな「日々是好日」まさにその言葉通りです。

「日日是好日」・・・禅の言葉の一つで、晴れの日は晴れの日を楽しみ、雨の日は雨の日を楽しみなさい。天候や病気など変えられないこともあるが、どんな一日でもその日一日を大切に感謝して過ごすこと。毎日が良い日なのです。


私もそう生きたい。強く思いました。


実はこれを書くまで長ーい葛藤がありましたが、少しづつ気持ちの整理がついてきたので、またちょこちょこnote書いていこうと思います。


ここまで読んでいただきありがとうございます^_^

すべての人に幸あれ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?