「校則」について考えること

2月16日、髪を黒く染めるように強く指導されたことが原因で、不登校になったという大阪の府立高校の女子生徒の訴えに対して大阪地方裁は、

「髪の染色や脱色を禁止した校則は学校の裁量の範囲内で、頭髪指導も違法とはいえない」と判断しました。

生徒に髪の染色や脱色を禁止することについては
「正当な教育目的で定められた合理的なもの」

と判断する一方で、生徒が不登校になった後、教室から机を撤去したり座席表や名簿から名前を消すといったことは「許されない」と判断し、33万円を支払うように大阪府に命じました。

校則について定めた法令はないようで、髪の染色などを禁じた校則が合法かどうかということが裁判の争点になったようです。


【最後に】
学校外から見ると明らかにおかしい校則は「ブラック校則」と呼ばれ、
それに関するニュースはたびたび見られます。

にもかかわらず、なぜこのような出来事がなくならないのでしょうか。

学校現場では「○○指導」という言葉が多く使われます。
(生徒指導、学習指導、生活指導、進路指導などなど・・)

その「指導」という言葉のもとであれば、指導者の言動は「教育的に価値のあること」だと無意識に考えてしまう側面もあるのではないでしょうか。

そして、ほとんどの児童生徒も、
「指導する先生と指導される自分たち」
を受け入れているのではないでしょうか。

そしてその一方で、指導の根拠が明確でないことに気付いたり、納得できない指導には反発をする児童生徒の存在を想定できていない。だからこそ、「生徒を指導しなければならない教師」として無理矢理にでも、型に押し付ける(今回でいうと「校則」)ようなことが度々起こってしまうのではないかと考えています。


私たちは子どもに、
「納得できないことには反発した方がいい。」
とだけ言うのも違うように思います。

例えば、
「学校にスマホを持ちこまない」とルールは賛否あるとしても、
紛失などのトラブルを防ぐ効果が考えられます。

ですので、
・自分は納得できないことであってもいい側面がある場合はそれを伝えること。
・今回の記事にもあったような「元の地毛が茶色な生徒にも黒染めを強いる」というような、「それはおかしい」と思うことはそう伝えること

これは子どもに関わる全ての大人ができることだと思います。

そして、自身は子どもに何かよくわからない型を押し付けてはいないかと、
自分の関わり方を振り返る機会にもしないといけないように思います。

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