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「今日もコピーが書けません」第2話:シルク・ド・ソレイユ

2010年、それは
・尖閣沖で中国漁船と衝突
・80円に近い円高で市場介入
・西野カナ「会いたくて」大ヒット
・マル・マル・モリ・モリ
の年である。これは、まだ「コンプライアンス」という言葉なんて誰も知らなかった時代の物語だ。

「もし、クリエイティブ配属じゃなかったらどうする?営業に配属されたとしたら?」最終面接。ダブルのスーツに髭をたくわえ、貫禄のある体型の、いかにも役員、といった風貌のおじさんにそう聞かれ、間髪いれずにこう答えた。「営業こそ、クリエイティブな職種だと思っているので、どの部署でもがんばります!」こうやって、すぐ調子のいいことを言うのがPの悪い癖だ。本当はコピーライターになること以外に、何の興味もなかったのに。

2010年。まんまと広告代理店の営業配属になって、4年が経つ。クライアント担当は中古ブランド買取業のW社。ここ数年のCM攻勢で一気に業績を伸ばした、いわゆるベンチャー企業である。W社の営業担当チームは6名おり、Pの担当は、TVや新聞などのメディア。つまり、クライアントが広告を出したい、と言ったら、社内のメディア局と折衝し、そのメディア局の人間が、TV局や、新聞社と交渉して、値段と枠を決め、販売の代理業務を行う。この業界に入るまでは知らなかった奇妙な商習慣がたくさんあり、どうもまだまだ慣れない。

「ちょっと、P、どうなってんだよ、朝日に出ちゃってるじゃないの〜」血相を変えて、営業フロアに文句を言いに来たのは、メディア局の読売新聞担当・Uさんだ。「いつも言ってるじゃん、朝日新聞に出すなら連絡してくれって」「でも、今回は購読ターゲットに親和性があるのが朝日で・・・」「そういうマーケティング的なことはどうでもいいの!読売新聞の連中に、こちらから連絡する前に、朝日新聞を見られて、広告が乗ってることがバレちゃうのが、問題なんだから!その前に一報入れておけばさ、把握できてるんだなってなるじゃん。」広告代理店のメディア局の人間は、自分の担当の新聞社やテレビ局への忠誠を、お金だけじゃなく、情報の早さで競っているのだ。

ふと電話を見る。買い換えたばかりのiPhone3Gである。でももうすぐ4が出るとかいう噂だ。スマートフォンの進化はすごい。いずれ広告も、この電話の中でできる時代が来るのだろう。でもとりあえず、当面の食い扶持は TVや新聞である。そのメディアを怒らせては、ビジネスに支障をきたす。Twitterの画面を開いてつぶやいてみた。「ずっと仕事なう」すぐにリプライが集まる。「仕事おつ」「同じく仕事中、トイレでつぶやいてる」2008年ごろに日本に上陸したTwitterというサービスで、これまで接したことのないネット上の知り合いが増えた。やはり、インターネットはこれから伸びるに違いない。Twitterで大喜利を主催している友人のフォロワー数が1,000人を超えている。もしかしたら、こういうところから、人は有名になっていくのだろうか。

電話が鳴った。コンサルタント会社のRからだ。「はい」「大至急、神宮外苑の花火」「え?」「チケットだよ、2枚な、どうにかできない?W社の社長が行きたがってるんだよ。」「神宮の花火は確か・・・」「産経だろ?今年は1000万円以上は出稿してるはずだから、チケットの2枚くらい、なんとかなるだろ、じゃあとれたら電話して」俺はチケット屋じゃねえぞ、と思いながら、喫煙所で気を沈める。Rは元々同じ広告代理店にいた営業部長だが、W社を年間30億円以上の巨大クライアントに育て上げ、そのまま、W社のコンサルタントとして独立した。そして、元々いた代理店を手下のように使って、いろいろな要求をしてくるのだ。社長とのつながりがあり、広告発注の権限を握っているため、誰も口答えができなかった。こういったメディアへの無茶なお願いも、日常茶飯事だった。

仕方なく、メディア局の産経担当Nに電話する。「Nさん、ちょっとお願いがあるんですけど」「無理」「まだ何も言ってないじゃないですか?」「W社の件だろ?あそこはうるさいよな。Rがコンサルになってから、より渋いよ。この前も段単価を無理やり下げられてさ、うちの利益も微々たるもんだよ。」段単価とは、新聞の広告の単価のことである。記事の文章を折り返す最小単位が1段であり、新聞1面のことを15段、と呼ぶ。「そんなRさんからのお願いなんですけど、神宮の花火、チケット2枚とれませんかね?」「ええ〜、あれはお得意様に渡すものだよ」「Wだってお得意様じゃないですか、去年は1000万円は出稿して・・・」「わかるけどさ、単価を下げずに30年とか出稿してくれてる企業の方がお得意様としては上っていうか、やっぱりベンチャー企業が1年だけ1000万円出稿してくれても、なかなか・・・」「わかりましたよ、来月の提案は読売、朝日、産経の順で提案します。」「おっ、本当に?日経は出さない?」「まあ中古買取ですからね、産経読者の方が向いてるというか・・・」「おい、産経読者が低所得だって言いたいのか?」「日経の多くが企業購読で、あまり中古買取に電話する層ではない、ってことですよ」「わかったよ、約束だぞ。チケットとれたら電話するから」

ふう・・・左手の指先にはさまった煙草はとっくに灰の塊になっていたが、すぐに喫煙室から出ていく気分にはなれなかった。そこに同期のMが入ってくる。入社時の希望通りマーケティング局に配属されたエリートである。「おつかれ」マルボロに火をつけ、企画書を読み始める。「M、なんで、喫煙室で企画書読んでるんだよ」「環境を変えて読み直したほうが、間違いが見つかるんだよ。」「煙草が我慢できないだけだろ。いいのか、企業秘密の資料を喫煙室に持ち込んで」「うわべだけの守秘義務より、快適な職場環境を求めるね。」俺はこいつのなんだか不良っぽいところが嫌いじゃなかった。「なあ、入社した時は、花火のチケットを確保するのが仕事だとは思っていなかったんだけど」「そうやって、クライアントとの関係をつなぎとめてこそ、こういう分厚いリサーチ資料やクリエイティブの無邪気な提案を見てもらえるわけだから、最も重要な仕事とも言えるね。俺はやりたくないけど。」一言多いのが、Mの悪いところだ。

次の日、社内便でチケット2枚の入ったホルダーがデスクに届いていた。ふせんには「最前列だから、ラテ下10段も希望 by U」と書いてある。ラテ下10段とは、新聞夕刊のテレビ欄の下の大きなスペースのことである。ここを決めると、代理店メディア局の新聞担当として、やや鼻が高くなる、というわけだ。まったく、これじゃ、ブローカーだな。いや、そもそもそういう仕事なのかもしれない。クリエイティブやマーケティングは派手でスマートな仕事だが、この仕事の本質は、メディアという実態のない「土地」を売る仕事だ。

「なんだよ、これ、最前列じゃねえか!ダメだよ、ここで花火なんか見たら首を痛めるだろ!」カフェでチケットを手渡した後の、予想外の怒りにびっくりしていると、Rはラグビーで鍛えた体を震わせながら畳み掛けてくる。「お前営業何年目だよ?神宮の花火のチケットは、第2会場あたりを抑えるのが鉄則だろ?」高そうなスーツを着ている中年のゴリラに叱られると、より情けない気持ちになる。「わかりました、第2会場も聞いてみます」「まったく、頼むよ、な?」兄貴分的に肩を抱かれるのが、気持ち悪い。アメとムチのつもりなんだろうか。「俺も若い頃は失敗ばかりしたけどさ、そこで諦めずに突進していったから、今があるんだ。じゃ、たのむよ!」そういって、早足で別のフロアへと去っていった。この会社は食い物にされている。そう思った。

デスクに戻ると、J部長に呼ばれる。白髪混じりだが、肌艶はいい。いかにも遊んでいるタイプの昔ながらの代理店営業のおじさんだ。「Rさん怒らせたんだって?」情報が早い。もともと、JはRの部下だった。いまだに夜は毎晩のように飲みにいく仲だとか。「まあ、うまくやってよ」それだけだった。「そもそもW社からの発注は直接ウチに来ていますよね?なんで発注されてもいないRの言うこと聞かないといけないんですか?」「あれ、お前、Rさんが部長だった時っていなかったっけ?」「別の部署でした。なんの思い入れもお世話になった思い出もありません」「あ、そうだっけ?まあ、他人じゃないんだしさ、頼むよ」どうも、J部長とRのつながりは怪しい。

昨年、Rが独立して以来、メディア費用は大幅な値下げを求められた。と言っても、TV局も新聞社も値下げなどしない。間に入る広告代理店がマージンを吐き出して、値下げさせられるのだ。これまで、W社は、うちの1社独占だった。これをAEという。アカウント・エグゼクティブとか言う仕組みだ。この時には、TVでは20%、新聞では15%のマージンを得ていた。30億円の扱いがあるクライアントの場合、もろもろ諸経費を考えても、5億円ほどの利益が出る。ここにメスが入った。

Rは、代理店を集めて1年間の全メディアの見積もりを提出させ、その額が低い方に発注するという、ダンピングを誘発する動きをしていた。各社は扱いが欲しくて、マージンを吐き出してプレゼンに参加した。そこでW社が獲得した利益をR社はコンサル費として受け取っている、というわけだ。

しかし、特にTVに関しては、単価はあってないようなものであり、いわゆる「時価」であるため、見積もり作業は困難を極めた。年初に安く出しすぎると、下手をしたら逆ザヤ、つまり、赤字になってしまうのだ。もちろん、高く出せば、単価が下がった際に大きく儲けられるが、TV局の株価のようなメディア費用を読むことは困難を極めた。そして、夏が来る頃に、恐れていた事態が訪れる。

「2,000万円!?」J部長の顔が青ざめる。「それだけ赤字だって言うの?」「はい、年初に安く出しすぎましたね」「ましたねって、お前プレゼンやっただろ?」「はい、部長の決済もらって」「細かい数字なんて見てねえよ」「メディア局も納得の数字でしたが、今年は好況で、どう頑張ってもこの数字になります」「どうすんだよ」「どうにもできません。考えられるのは、テレビ朝日に連絡して、年間の発注額を上げて、キックバックしてもらうとか・・・」「それ、いちクライアントでなんとかなる話じゃないだろ」「やれることをやるしか・・・」「頼むよ!」

頼まれても何もできない。もはや他人事のような気持ちで煙草を吹かしていると、クリエイティブ・ディレクターのHがやってきた。「いたたたた!やめてくださいって!」Hは出会う若手すべてに空手の極め技をかける癖があるのだ。「元気ないじゃん」「そうなんですよ、もう数字を見るの疲れちゃって」「想像もできない世界だな、お前、まだコピーライターになりたいの?」「ええ、なりたいですけど」「じゃあさ、W社のラジオCM、お前も考えてよ」「え、いいんですか?」「W社みたいなベンチャーはさ、社内でも手を挙げるプランナーが少ないんだよ」「やらせてください」「頼むぞ」

少しだけやる気が出てきた。営業としての評価は−2,000万円なのだから、もはやどうでもいい。少しでもコピーライターに近づくべく、ラジオCMを考えるのだ。そう思った瞬間、Rから電話が鳴った。「シルク・ド・ソレイユのチケットなんだけどさ」「今度はサーカスですか」「2枚な、フジテレビに言やあ確保できるはずだ」「席はどこがいいんでしょうか?」「お、成長したな。今度は最前列希望だ。サーカスは近いほうがいいからな。それにシルク・ド・ソレイユは生演奏がいいんだよ。だから、近いほど迫力を感じることができる。社長の愛人が好きなん」電話を切った。もう、営業としての評価は捨てる。こいつの電話にはでない。そう決めた。仲良しのJ部長が対応すりゃあいいんだ。

夜の22時になって、ようやく時間ができたので、ラジオCMのコピーを書こうとした時に、J部長に呼び出された。御徒町に来いという。会社は赤坂にあり、Pは浅草に住んでいたので、御徒町は帰り道である。そういうわけもあって、J部長にはたびたび呼び出されることがあった。

指定の店に行くと、そこはフィリピン人の女性が接待するパブのようなところで、ショータイムになると歌い踊る。「さんざん六本木とか行ったけど、この年になるとこの感じに癒されるんだよね」と言って微笑むJ部長。その横には、クリエイティブディレクターのHさんがいた。そうだこの2人も仲良しだったんだ。「Hさんにコピー見てもらうんだって?」情報が早い。「いいか、P、営業っていうのは、いちばんクリエイティビティが必要なんだ。クライアントが何を求めているか、察知し、最も喜ぶものを提案する。それは広告案じゃなくたっていい。今回、お前がやらないといけないのはなんだ?」「ええと、ラジオCMで、より多くのお客さんが中古売買を使うように・・・」「シルク・ド・ソレイユだろが!」灰皿が耳の横をかすめ、壁にあたる。フィリピン人の娘が怖がる。ママが笑う。店内の音楽は、陽気に鳴り響いていた。

そこから、「わかりました」と言って、会社に戻った。調べたいことがあった。こんなにメディア費を絞られているのに、毎晩のようにフィリピンパブで飲んでいるあの金の出どころである。各チームに接待費が割り当てられているとはいえ、あきらかに豪遊すぎる。J部長とHは、あのあと、周りの部下も引き連れて、世界一周だと言って、タイパブ、ロシアパブとはしごしていた。怪しい。

制作会社への支払いデータを一件ずつ確認すると、ひとつ、あきらかに怪しい項目があった。「TVCM素材費」である。TVCMは、「素材」と呼ばれるテープに映像を複写し、それをTV局へ納品する。TV局はその「素材」を放送に使う。この素材は、1本制作するのに43,000円ほどかかる。全国のTV局に納品すると、100本ほどになり、バカにできない金額となる。その素材の本数が水増しされていた。本来なら20本で86万円のところが、80本で344万円で請求されている。この差額である258万円を、制作会社、代理店、コンサル会社の3社で毎月わけあっていたのだ。何がクリエイティビティだ。

下半期、W社を担当していたJ部は解散となった。悪事がバレて、というよりも、Jの自主退職をきっかけだった。会社も事を荒立てたくなかったのだろう。その1年後に、JはRの会社へと就職した。Pはこの会社を辞めようと思っていたが、思っていたよりあっさりとクリエイティブ局への異動が決まり、念願のコピーライターとして勤めることになった。9月の空はいつもより高く晴れ渡っているように見えた。






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