vol.108/ 幸運はキラキラしたものなんかじゃない
昨晩、夫とワイン片手に話し込んでいた。
最近今までやったことのない新しいポジションだという仕事の依頼を受けた彼はむちゃくちゃ嬉しい反面、自分がどちらかといえば避けてきた苦手なことだというそれについて、ポツポツと語り出す。
ふむふむ。
苦手なことはもちろん、毎日大変なことだって愚痴だって言わない夫が話し出したんだからこれは結構な度合いの苦手なことなんだろうと察知した。夫はそれを“頼まれごとは試されごとだからしっかり頑張りたいしありがたく受け入れた、のだが…。”とポツリ。
が、その反面なんだよね、
気持ちすっごくわかる。
時に自分にとってハードルが高いことや身の丈に合っていないのではないかという頼まれごとがひょんなことから舞い込むことがある。
というか、高確率であると思う多くの人たちが。
私にもかつてあったそれは20代そこそこの社会にやっと慣れ始めた頃、明らかに自分の身の丈に合っていない依頼を受けたこと。断っても良いものだったが先ほど夫が言っていた言葉そのまま、“頼まれごとは試されごと”の精神で挑むことにした。
が、しかし。
プレッシャーが日に日に高まり、周りの期待に押しつぶされるのではなく、自分で自分を押しつぶすという攻撃を無意識でし出す。
こんな言葉たちが脳内を駆け巡り、焦りで吐きそうになっていた私は兎に角完璧な準備に力を入れていたから周りから見た私は鬼の形相のような顔をしながら仕事をしていただろう。
今となってはただただ恥ずかしい。
その案件がいよいよ近づいてきたある日、いくら準備をしても完璧な回答を用意しても不安で不安で堪らなかった私はポロッと父に不安を漏らしたと記憶している。(じゃなきゃ父からこんな真面目な言葉は貰えなかっただろう)
ストンっと何かが私の中で落ちた。
どこかではわかっていたそれが、あの時しっかり落ちたんだ。
誰も私が完璧にやってくるとも思っていなかったし、パーフェクトな人間だともそもそも思っていない。
ただ今のあなたができることをやってくればそれでいい。
出来なかった部分はこれからの課題にすればいいし、出来た部分は素直に認めてあげればそれでいい。
それだけでいいのだ。
そんなことが私の中でストンと落ちて、父の(たまに)発する的確で正論な言葉たちに20歳そこそこの私は救われた。
そして迎えた案件当日、良くも悪くも今の自分を出し切った私は課題が殆どという現実を受け止めることになったのだが、それでもこの経験が今に活きているし繋がっているとも思っている。何より今の自分を出し切ってやり切った私は気分爽快、実に気持ちがよかった。
何を偉そうにと思われるかもしれないが、それでもやっぱり経験に勝るものはないのだろう。もちろん今だってプレッシャーに押し潰されそうになる時なんか大いにあるが、そんな時は真っ先にこの父の言葉を思い出して
“今の自分を出し切ればそれでいい”
と言い聞かせている。
ワインでほろ酔いの中、この時の話をした私の言葉が彼に響いたかは怪しい。いや響かなくったっていいけれど何かしら受け取ってくれていたら私はそれだけで嬉しい。
最後はそんな目に見えない力のような話で終わったが言い得て妙だ。
そうそう、現実って案外そんなことだらけだ。自分の頭だけで思考したことなんてたかが知れていて、それ以外の何かによって夢って叶えられていくんじゃないか。
“頼まれごとは試されごと”
という言葉も、今の私にはちょっぴり重たいドシっとした言葉に感じられて何なら受け付けなくなってきた。もう少しライトに、“これが今の私でーす!ジャーン!”みたいな感じで苦手を避けるのではなく今日も試されごとをこなしていこう。
“やりたいことの中にあるやりたくないこと”を避け続けていると、案外やりたいことってできていないことの方が多くなってしまうから。
以前ボスに言われた言葉も父の言葉同様大切にしている。こちらも併せてどうぞ!
それでは今週もライトに行きましょう^^
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