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吐く

「音楽をやりたい」って気持ちがなけりゃ、僕は上京なんかせんかった。
こんなゴミゴミした環境に居ようなんて思わんかった。

希望を頼りに生きてたのに、自分の身勝手で崩壊させた。中途半端な僕個人の勝手な行動が、なんもかんも失わせた。何人もの人に迷惑をかけた。消失感っていう被害者妄想も生まれた。

そんな自分が嫌になって、3年以上の間、社会を・交友関係をシャットアウトしてた。回避性パーソナリティ障害。僕は適応障害診断を受ける前から、音楽に挫折してから既にうつ病や人格障害を持ってたと思う。

最近では、メンタルクリニックや転職エージェントから「今はもう音楽活動は諦めて〜」的なフィードバックを受ける。その度に、さらに、セッションでの身内活動後の度に、心がエグられる。

過去の音楽活動について、未だに定期的に夢でうなされるし、虚無感から大泣きする事がある。

悔しい、って。
自分はなんて半端なんだって。

自分の人生が中途半端すぎて、さらにそうやって被害者ヅラする事自体に絶望して。

もうマジで、今あるモノ・チャンスを全部捨てて、居候するほうが良いのかもしれない。

プロの音楽ワーカーを目指すんじゃなくて、最低限の生活水準にして、細々と音楽活動する事を主軸にして、キャリアなんて度外視して過ごす。
それくらいのほうが、僕にとっては居心地良いかもしれない。

そう思いながらも、「いつまでも受け身でいんなよ自分」「いつまでも被害者ヅラすんなよ自分」って感じ。

さらにかたやでは、「もういい歳なんだから、そんな生き方は諦めろ」って良く言われる。そういう意見はすごく真っ当だと思う。そりゃそうだ。

音楽に関わらず、芸術活動を主軸にしようとしながら生活するのって、本当にしんどい。そして社会的には、そんな期間が長ければ長いほど「キャリアに傷がつく」と評価される。

実際、相当何かを犠牲にしないといけない。キャリアだったりメンタルだったりお金だったり。


身の丈に合わない夢なんて持たなきゃ良かった。持たなきゃ誰にも迷惑かけなかったし、もっと気楽に生きれた。


けっきょく今の自分の落とし所は、まだ定まってない。何者にでも成れるけど、それを考えるのが怖すぎる。

とりあえず行動すれば良いのに。とりあえず被害者ヅラを辞めりゃ良いのに。

分かってても、今もやっぱり、妄想が辞められない。

吐き気を持つ事は無いけれど、僕は絶望を吐き続けてる。
ああ、また被害者ヅラしてやがる。

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