動物運動小史①ヴィーガニズムの広まり/養豚場で働いてみて見えたこと
2023年下半期からはじめたシリーズ「動物問題連続座談会」。第7回目は、動物倫理に関する数多くの本を日本に紹介してきた翻訳家の井上太一さん、静岡県川根本町で古民家カフェを営む文芸評論家の川口好美さんをお招きし、日本・海外における動物運動や思想の流れ、運動を担ってきた女性たち、寄り添いの倫理(ケアの倫理)とは何なのか、狩猟の是非など、時に同じ・時に異なる意見を持った4人でとことん議論を重ねました。
* 今回は記事化をするにあたり、大幅に加筆・修正をおこないました。そのため、変更があった箇所は[]内に記載しています。
ヴィーガニズムの広まり
——シリーズ「動物から考える社会運動」の座談会、第7回目を始めていきます。今回は「動物運動小史」ということで、ゲストに井上太一さん、そして川口好美さんをお招きして、動物運動の歴史や思想についてお話していきます。
まず初めに、ゲストのお二人、自己紹介をお願いします。
井上 翻訳家・執筆家の井上太一と申します。11~12年ほど前にヴィーガンになりましたが、まず環境問題の方に興味を持ったところから動物を取り巻く問題とか、そういうものに問題意識を強く抱いて、現状を変えていくための翻訳活動を始めました。最近では自分の執筆物も書いています。
この活動をしながら痛感したのが、やはり日本には動物倫理について解説した本、特に動物解放を目指すような立場から書かれた本が決定的に少ないということだったので、動物擁護の理論をまず日本に普及させていく、理論基盤を整えていくことを念頭に置きながら、翻訳や執筆活動を続けてきました。
最近ではあるきっかけがあって、性売買や性搾取の問題に目を向けるようになり、これからフェミニズムの方面の仕事も行っていこうという決心を固めました。一番最近出した本が『セクシュアリティの性売買』というラディカル・フェミニズムの古典の文献になります。今後はフェミニズムの文献と、ヴィーガニズム/動物擁護の文献の2本柱で活動していきたいと考えています。
川口 川口好美です。物書きをやっております。文芸評論というマニアックなジャンルなんですけれども、看過しない会の深沢さん・関さんと知り合ったのは、深沢さんのハラスメントの加害者が同じ文芸評論というジャンルの文章を書いてる人であったということが一つあります。私自身、深沢さんが原告だったその裁判を傍聴しに行くまで、文学と社会的な出来事を深く繋げて考えることはほとんどしてこなかったんですけど……。看過しない会が動物解放の問題をこのようなイベントをとおして考え、発信している。もともと大学でのハラスメント問題に取り組む団体だったのが、社会問題に横断的に取り組んでいる事実に影響を受けて、自分自身これからたくさん勉強していこうと思っているところです。 あと、私自身がいわゆる「里山」と言われるような地域に住んでいるので、その辺の関心も持ちながら今日は話を聞いていけたらと思っています。
——ありがとうございます。好美さんは普段動物の運動に関わっているわけではないと思いますけども、ハラスメントの方で本当にただ1人、私の被害について継続しておってくださった評論家なので、ぜひ今回は動物の思想の問題についても意見を聞けたらと思って座談会にお誘いしました。
井上さんは、日本でヴィーガンだったり動物の運動に関わってる人であれば、井上さんの著書や翻訳を読まないということは多分ないんじゃないかと思います。あとでそれぞれの本についてもお聞きしていこうと思いますけども、井上さん今まで動物関係では何冊の本を出版されてきたんですか?
井上 12冊ぐらいまで数えていたんですが、ちょっとわかんなくなっちゃいました。[正確には21冊。]
——めちゃめちゃありますよね。ご自身の本や翻訳書の中で特におすすめの本はありますか?
井上 『動物・人間・暴虐史』です。動物搾取と人間搾取の絡み合いを批判的動物研究の視点から歴史的に分析したものです。これは今の私のスタンスの原点にもなっている本で、動物と人間双方に関わる抑圧の根深さを痛感しました。例えば、「現代の動物搾取は確かにすごいレベルに達しているけれど、過去にはそこまでひどくはなかったんじゃないか」という考え方が自分の中にあったんですが、この本を読んだことで、そういう認識が全く甘かったことを思い知らされた思い出深い本になります。
——昨今ヴィーガニズムは知られるようにもなってきていると私は感じるんですが、井上さんはこれまで長い期間動物関連の本を翻訳されたりご自身でも書いてきたなかで、ヴィーガニズムや動物の状況に進捗を感じますか?
井上 感じますね。私が翻訳に取りかかったのは2014年、最初の本が出たのが2015年なのですが、はじめのうちは、ヴィーガニズムがこれから世間に広がっていくのは何十年といったスパンで考えないといけないだろうと思っていたんです。ところが2018年ぐらいから、いくつか炎上騒動もあり、あっという間にヴィーガニズムが多くの人に知られるようになって、ネット上ではヴィーガンという言葉が当たり前のように飛び交うようになった。これは私も予想していなかったですし、他のヴィーガンやアニマルライツ活動家の人たちも予想していなかった展開だったと思います。
——広まったきっかけは何か思い当たりますか?
井上 おそらくインターネット、特にソーシャルメディア、SNSの影響だと思います。そこで炎上が起こって、ヴィーガンの擁護をする人とヴィーガンのバッシングをする人のあいだでいろんな議論が交わされたこと。それからソーシャルメディアを使って自分の体験を語るヴィーガンの姿が可視化されたことも大きかったと思います。それで「ヴィーガンという人たちがいるんだ」ということが結構広く認知されて広がっていったのは大きいんじゃないかと思います。
——つまり、ヴィーガンバッシングによって皮肉にもヴィーガニズムが広まっていったということなんでしょうか?
井上 ヴィーガンバッシングだけじゃないんですけどね。最初はヴィーガンのコミュニティってすごく限られていたんですが、その人たちの思想が、バッシングに限らず、論争なども介して、いつの間にか広がっていったと思います。
——ちなみにその論争というのは?
井上 例えば、植物を殺すことの是非とか、植物が痛みを感じる証拠が見つかった/見つからなかった、といったことをきっかけに広がっていったり、バッシングの例で言うと、例えば、アニマルライツセンターさんがやっている「動物はご飯じゃないデモ」に対して「動物はおかずだデモ」というのを左翼男性[藤倉善郎]が行ったんですね。鈴木エイトとかその辺が応援してましたけど、そういうものに対して反発を示す人たちも出てきた。「ここまでヴィーガンに対する憎しみが強いのは一体何なんだろう?」という問題提起をするような人たちも現れてきて、ヴィーガンのアライみたいな人たちが出てきたことで広がった。
あと、ホリエモン[堀江貴文]の件もあります。ホリエモンが、「ヴィーガンは健康に悪い」といったことを言い出して、それに対してヴィーガンのインフルエンサーの人たちが反論をしていって、ヴィーガンというキーワードが広がっていったということになると思います。もちろんそれが本当に健全な広がり方だったかというと、私は健全とは思わないですが、事実としてはそういうことがあったと思います。
井上さんの著書、翻訳について
——井上さんの書かれた『今日から始めるビーガン生活』には、ヴィーガンを始めたい人のために役立つ情報がたくさん書いてあります。また、昨年出された『動物たちの収容所群島』もリーダブルで、特に日本の動物たちの状況がわかりやすく説明されていますね。
そして『動物倫理の最前線』は、生田さんの『いのちへの礼儀』と並んで、私達も教科書のように参考にしてこの座談会をやっています。この本では、動物たちの現状についての説明はもちろん、動物運動に関わる思想についても非常にわかりやすく網羅されています。
あと私が井上さんの本のなかでよくおすすめするのは、『菜食への疑問に答える13章』。さっきの「植物は可哀想じゃないのか」といったよくある面倒くさい質問への答え方だったり、ヴィーガンに対して本当に興味を持っているけど疑問を持っている人たちが学べるような情報に富んだ本も翻訳されてますよね。
川口 私も井上さんの『動物倫理の最前線』を読んで、論争的なポイントが歴史を踏まえてきちんと説明されていて、すごく勉強になりました。面白かったのが、動物倫理という深く、難しい問題のなかで、人間の特権性を解体していく尖鋭的な哲学思想と、現実のヴィーガニズムの実践が、どんなふうに結びついているか、結びついていないのか、というところでした。私が日頃読んでいる、いわゆる現代思想の思想家で、この本ではアガンベンだったりデリダだったりの名前が出てくるんですけども、動物解放の実践の現場では彼らの本はこういうふうに読まれているんだ、というところは自分は全然知らなくて、驚きがありました。
それにかかわって、これから自分で考えていきたいなと思った部分が、人間であることの特権ですね。人間以外の動物との力の非対称を人間自身が手放していく、解除していく。それはどういうことなのか、という点ですね。
そもそも、人間の特権なんて何一つないのに、さも人間というのは他の動物とは別の力があるかのように人間が歴史を作り上げてきた。そういう歴史から、思想も科学も力を汲み上げてきたし、今も汲み上げている。しかし、そんなもの元々なかった、人間の特権なんてあり得ないんだと。人間だって無力さに根ざしているんだ[――ジャック・デリダの言葉。井上太一『動物倫理の最前線』p.218]、何ら特権的じゃないんだと認識する部分と、それでもやっぱり、虚偽の、捏造された特権性であるとしても、動物に対して人間がその特権を手放すためには人間であることの歴史的な責任を背負わなければいけない。その責任において人間主体の力を動物に対して放棄しなきゃいけない。本来特権など存在しないが、しかしそれがあるものとして形成された歴史自体は、たしかに存在する。そういうバランス感覚ですよね。どんな関係でもそうなんでしょうが、ここが一番難しいところでもあって……。この難しさを念頭において、井上さんの「応答というのは試練なんだ」[これは井上さんの本文そのままではなく、わたしの読みのフィルターを通した言葉でしたが、それほど外れていないと思います。同前、p.212]という言葉を読んで、本当にそうだよなと思いました。 応答というのは他者の表現の開花をそのものとして認めることなんだという言い方がすごく印象に残りましたね。
——生田さんはご自身も動物の本について書かれている中で、井上さんの本についてはどういうふうに評価されていますか?
生田 僕の『いのちへの礼儀』が出たのは2019年で、あれは10年間かけて書いたんだけど、動物に関する理論的な本って、伊勢田哲治さんの動物倫理学の本があったりしたけれども、他にそんなになかったんですよ。その中で、当時、井上さんの出した翻訳書がいくつか出てきていてすごく参考になったし、ショックを受けたんですね。「こんな本出てるんだ」みたいな。それで次々に読んでいくと、「あれこの訳者も井上さんだ」といった感じで、みんなそういう経験していると思うけど、「なんだこの人?」と思ったんですよ。
僕が本を出してからいくつか対談とかでお話するようになって、『動物倫理の最前線』については、ご自分の今まで蓄積されたものを全て出し切ったというか、我々が全く読んでないような批判的動物研究の本をフルに扱って、さらにケアの倫理も含めて議論を作り上げていて、翻訳の面でも自前の理論の点でも、日本の動物研究を完全に刷新したと思ってます。そういう意味で、論争もしましたけれども、あくまで「この人は本当にすごい人だ」ということを前提にした上で、なおかつ、いくつかの違いについて突き詰めていきたいということで、今話してる状態だと思います。
――逆に井上さんはこれまで1人で突っ走ってきたと思うんですけども、最近周りに同じような思想の本などが増えてきたなと感じますか?
井上 こういうことを言うのって自画自賛みたいでいやなんですけど、アニマルライツの本はまだ私以外、多分ほとんど出してないんじゃないかなと思います。『荷を引く獣たち』のような作品やメラニー・ジョイなどが出てきたのはすごく嬉しいのですが、まだまだ少ないなというのは感じます。
あと、泥臭い話をしてしまうと、在野の人間って企画を通しづらいんですよね。いい本はいっぱいあるんですけど、アンソロジーになると企画を通せないんです。単著じゃないと出せないというのがあって、だから例えばアニマルライツ・フェミニズムの本などはほとんどが論集やアンソロジーの形をとっているので、企画が1個も通せないんですよね。そういう理論はいつまでも紹介できないというフラストレーションもあって、それを紹介するには自分で書くしかないと思って『最前線』で紹介したということになります。
ただ、これまで自分が手がけてきた作品を振り返ってみると、先ほど紹介していただいた『13章』とかだと、例えば中絶に関する注釈とか、その辺りには自分の中のミソジニックだった部分が出ているというか、すごく無理解だったなという反省もあって、訳文自体も今だったらもっとうまく訳せるだろうなと思うところがあって、やり直したい部分がたくさんあったりはします。実を言うと『最前線』に関しても、自分のポジショナリティに対する反省が足りない部分があったりします。
養豚場で働いてみて見えたこと——「失敗」された豚
——実は、好美さんは以前、養豚場で働かれてたことがあるんですよね。
川口 そうですね。ちょうど物書きとしてデビューするちょっと前までやってた感じです。
——なかなか普通に日本で暮らしていると、養豚に関わることはないと思いますが、そういう経験のある方として、動物関係の本を読まれてみてどうでしたか?
川口 もう10数年前ですし、個人的に絶望していた時代でもあるので、不確かなところも多いんですが……。私が行ってたところは家族経営の小規模な農場で、家族も合わせて5、6人でやっていたんですよ。商品は、周辺自治体のスーパーとか道の駅とかに卸している程度で。養豚場の仕事を辞めてから、工場畜産の非道さを知った感じで、よそはそんな劣悪な環境で商売しているのか、と。
もちろん小規模とはいえ、巨大な搾取構造のなかの歯車の一つであることは間違いないので、肯定することはできないんですけれども、柵が壊れたら丸一日かけて自分たちで溶接して修理するようなのんびりした仕事場だったので、歯車の一つであることへの葛藤みたいなものはほんと人それぞれでしたね。「本当にこれでいいんだろうか」という思いを抱きながら働きていた人もいるし、気にしてない人もいました。私は多少は気になってた感じですかね。個体によって扱いに違いがあることに引っかかったりしてました。べつに誰かに相談したりはしませんでしたが。
例えば、豚は去勢をするじゃないですか。でも去勢を失敗する場合があるんです。つまり睾丸が残ってしまう。そういう豚は太りにくいから分けておかなきゃいけないんですよ。他の豚と一緒に育てるんですけど、出荷するときにわかるようにしとかなきゃいけないんです。だから背中にマーカーで印をつけて、去勢を失敗——失敗という言い方はよくないけど——人間の都合で「失敗」した豚は、ちょっと気性が荒かったりして、他の仲間に煙たがられて孤立しがちなんですね。掃除したりご飯をあげたりするとき、その豚は常に背中にマーカーで模様がついているし、なんとなく集団から離れているものだから気になったりして、声をかけてしまったりして。最終的には他の豚より安い値段で出荷されていく。そういう経験をして「人間って何やってるんだろうな」とは思ってましたが、でも当時はなんとなく思っているだけでしたね。
——去勢は無麻酔ですよね。
川口 そうですね。私はその仕事はしてなかったんですけど、担当の人が1人でやってましたね。
*豚の去勢についてはこちらを参照のこと(※残酷な写真が含まれています)
https://www.hopeforanimals.org/pig/336/
――そこは妊娠ストールを使ってたんですか?
川口 使ってなかったですね。環境としては、あくまでも比較的ですが、マシな部類に入るのかもしれません。
——あと、農家で働いてても他の農家さんの情報は全然入ってこない、という話もありますよね。
川口 そうですね。北海道の田舎町でしたが、周辺にいくつか農場があって、どこも似たようなやり方でやってるとは聞いていたんですけど。大企業が従業員の人権も含めて完全に踏みにじる形で金儲けをしてる世界の中にいるとは、その当時は全く知らなかったです。
——私も豚の映像とかはよく見たりしますけど、やっぱり働いてる人の生の目線っていうのは貴重なので、またいずれそういう話も詳しく聞かせていただけると嬉しいです。
*日本の畜産について詳しくはこちらの記事参照のこと
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