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放火除霊師 火我萌絵の事件簿

「燃やしましょう」火我さんは言った。「この家は燃やした方がいい」
「何だと? 君は馬鹿か?」
 松下氏の叫びが奥座敷に響く。
「ここは重要文化財だぞ。『松下家旧邸宅』だ。明治建築の粋を結集させた、日本が誇る」
「どうでもいいですね。ここは燃やした方がいい。除霊を依頼したのは貴方ですよ」
「しかし火をつけるなど」
「火をつけるのではありません。燃やすのです。お焚き上げと同じです。水野君、準備を」
「はい」僕は鞄を開き、マッチと特殊液体燃料を取り出す。
「……君は、少し頭がおかしいようだな」
「いいえ、おかしいのは貴方で、この家です。おわかりでしょう? この異様さが」
 火我さんは壁を指さした。

 壁全面から、水が滲み出ている。水は下へと流れ、畳をジクジクに湿らせている。
 外で雨は降っていない。
 座敷は全面、水びたしだった。雨戸を閉め小さな電気をつけているだけなので、余計に暗鬱だ。腐った臭いが充満していた。

「それをどうにか祓ってくれと依頼したのだ」
「だから燃やすのです。綺麗に浄化するのです…… あぁっ! ひどい匂い! ここを燃やしたらどんな匂いがするのかしら?」
 火我さんは突然叫び、くるくると回りだした。黒い瞳がうるんでいる。
「明治建築の粋! それが無残に燃えて崩れていく様! ゾクゾクしますね!」
 松下氏は身を引き、すごい目つきで火我さんを見た。

 僕はそんな、炎の幻想に浸る彼女の姿が好きだった。いつもは鋭く凛とした顔が、とろけるようにゆるむこの恍惚の時間──

 火我さんは急にぴたりと止まった。唇に指を当てる。
「来ました。口を開かないで」
「ふざけるな! 何が来たと……」
 松下氏はそこまて言うと咳き込みはじめた。ひどく湿った咳だった。
 電球が不意に明滅する。
 彼は苦しそうに身をよじった後、いきなり口から液体を吐き出した。
 それは血ではなく、胃液でもなかった。
 真っ黒い泥水だった。
「そぅら、来ましたよ」火我さんは微笑んだ。「文字通りの“水子”がね」

 

 

 

【続く】

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