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【怪奇短編】誰かいるんですよ。

「置いておいたものが、勝手に動いてることがあるんだよ」と親父が言いはじめたのは少し前からのことである。
 最初はハイハイ、と聞き流しておいたものの、数日おきに「ここにまっすぐ置いた雑誌が斜めに」とか「畳んでおいた服が崩れて」と囁いてくるようになった。

 こりゃあボケが来たのかなぁ、と俺は思った。
 俺の家族は68歳の親父、俺、19歳の息子。全員働いておらず、まぁ色々やってどうにか食いつないでいる。男だらけの極めて貧乏な所帯だ。

 父親はまだボケるには早い齢だが、膝が痛むらしく足取りが危うい。「こんな所で転んだら大事おおごとになっちまうなぁ」などと常日頃思ってはいたが、頭の方まで危うくなっていたとは。

 認知症の症状には、物を盗られたとか置いたものが動いていると言いはじめる、なんてのがあると聞いたことがある。
 ウチには盗るものなどない。侵入者などいるはずもない。これは親父の頭を怪しむのが定石だ。

「親父さぁ」と俺はなだめるように囁いた。
「ウチに誰か、知らない奴が入り込むっての? そりゃあないだろうよ……」
 俺はがらんとした空間を示す。
 小さなテーブルひとつ、数着の衣服、その他ちょっとしたものだけ。出来の悪い我が息子はテーブルのそばで携帯ゲーム機をいじっている。

「こんなとこに誰が来るってんだよ? それに第一」
「でもよお」
 声が大きくなる親父に、俺はシッと人さし指を立てた。
「あんまりデカい声出すなよ……」
 親父はおぉすまねぇ、と一度は謝りつつ、「でもよお」と繰り返した。
「確かにここの雑誌とか、この服とかが動いてンだよ」
 そう言って上からぶらさげた懐中電灯の下、特定の場所を指さした。

 そこは、ウチの「扉」のすぐそばだった。

「あそこ?」俺は指を向けてぐるぐると回す。
「そう。そこらへんだよ」親父は言う。

 ここだとすると、もしかしたら……と俺の胸に嫌な予感がよぎった。
 
 暗がりで携帯ゲームをガチャガチャやっている息子の元にそっと近づく。息子はイヤホンをしてゲームをやっているので肩を叩いた。
「なに?」息子は不機嫌そうにイヤホンを外す。
「お前アレあったろ、中学ン時に使ってたノート」
「あるけど……」
「1ページでいいからくれねぇか」
 舌打ちと共に取り出されたノートから1ページちぎった。それを細長く破る。短冊が4枚できた。
「なんだそれ」
「ちょっとな」俺は不安を隠しつつ、声をひそめて答えた。

 翌日の昼前、俺たちは3人で「扉」から外に出た。
 膝を痛がる親父を尻目に、俺は「扉」を少し開けて4ヶ所に、短冊を挟んだ。
「えっ、まさか爺ちゃんの物が動くとか言う話、信じてんの?」と言う息子に、
「まぁ、念のためってやつさ」と俺は言うに留めた。

 一時間後、メシや飲み物を持って俺たちは戻ってきた。
「扉」のそばまで来た時に俺は「あ」と思わず声を上げていた。
 出た時に挟んでおいた短冊、そのうちの1枚が床に落ちている。
 見上げると、まっすぐ挟んだ残り2枚も斜めになっていた。

 ここを開けたか、開けようとした奴がいる。
 ゾッとした。

 このことを言うと親父も息子も顔色を変えて、「こりゃ大変だ」「早く出よう」と言った。
 俺たちは中に入り、カバンふたつほどの荷物をまとめて、短冊も回収し、急いでそこから逃げ出した。


「本当なんだよ」
 パジャマ姿の老婆は息子夫婦に言う。
「本当に屋根裏で物音や、話し声がするんだよ。ホウキで板を押し上げたら、確かに重たいものが動く感触がしたんだから……何度も何度も」
 老婆は夫婦のナイトガウンの袖をすがるように掴んでいる。
「冷蔵庫の食べ物だって減ってるし、花瓶が動いてたりも……。今日なんかは、廊下を駆けるような足音まで……」

「母さんさぁ」息子が眼鏡を直しながら言った。
「膝と腰が悪いんだから、奥の部屋で寝てなきゃダメだよ。それに音だって、家鳴りってやつかもしれないし……」
「ふたりとも1階で寝てるからわからないんだよ」
「まぁまぁ、あなた……」妻がとりなすように言う。
「それじゃあ一度私たちで、物置の天井板を外して、確認してみましょう? ね?」

 夫婦と老婆は屋敷の広い廊下を歩いて、2階の端にある物置へと向かった。
 夫が脚立に上がり、天井板を外す。
 懐中電灯で中を見回す。
「ほら、何もないじゃないか」
「そんな……」
「誰もいないし、なんにもないよ。梁と板だけ。綺麗なもんだ」
「でも……」
 老婆は、あとは口をモゴモゴさせるばかりだった。

 老婆を寝室まで送ったあと、夫婦はカーペット敷きの階段を降りながら語らった。

「母さんにも困ったもんだなぁ」
「もしかして、ご病気なのかしら。介護士さんを雇ったり……」
「いやぁ、必要なのは友達か話し相手かもしれないね」
 夫は渋い顔で言った。
「年寄りが長く独りでいると、『家の中に誰かがいて、物を盗ったり、置いたものを動かしてる』と言い出すケースがあるらしいから……」



【おわり】

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