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圧倒的孤独

-------人は皆、孤独である。--------

そんな言葉をどこか信じていないような、そんな振る舞いをして生きてきたかもしれない。
周りからもそう見られていたかもしれないし、自覚もあったかもしれない。

群れをなす事で、生き物は安心を得る。
人は同じ血の通った人に育てられるし、そうでなくても、何らかの形で人の中で育っていく。

ただ、きっと誰しもが一生拭えない一抹の"何か"
私はそれが人としての強さのだと思う。

小学校3年生の私に母が言った。

「家族と自分以外の人間は信じない方がいい。」

こんな小さい子どもに何ちゅー事言うねん。と思ったが、今ではその意味も腹の奥でずっしりとした土台となって存在し、私をしっかり立たせてくれている1つの要素でもある。
ちなみに、【信じる】と【信頼】は私の中では別物であり、【信頼できる家族以外の人】を私の友人だと、自分勝手に思っている。
ただし、自分が信頼している相手に信頼されているとは限らないし、その逆も然り。

結婚する事が決まっていた当時の旦那が言った。

「最期は誰もがひとりで死ぬ事を理解していない人が多いと思う。」

生涯寄り添おうと決めた未来のパートナーを目の前に、何ちゅー事言うねん。と思ったが、その意味も上記に同じく、今は私の中にあり、その後、人は孤独を手に入れるべきではないかとも考えるようになった。

ある日SNSで目にした言葉。

「人生は他人である。」

群れをなす事で、生き物は安心を得られる。
人は同じ血の通った人に育てられるし、そうでなくても、何らかの形で人の中で育っていくからこその、自分の人生は自分以外の人間との関わり合いで成り立って行く。
関わり合いそのものが、人生となる。

私は思った。私が深く繋がっている人たちは、社会の中で生きながら【圧倒的孤独】を理解している。
【圧倒的孤独】は人を遮断する事ではなく、むしろ人の中にいながらも、孤独であることに押し潰されず、真っ直ぐに向き合い、しっかりと抱えて生きていることである。

それは自立とも隔離とも独断とも身勝手とも違い、むしろその人の強さであると、私は感じるのである。

SNS時代に生き、現実では見えなかった友人の内心や、出会うはずのなかった人たち出会い、その人たちから【圧倒的孤独】を感じることが多い私は、母やパートナーに感じたように、その人間性に大きく影響され、憧れ、焦がれている。

人が【圧倒的孤独】を感じた時こそ、人としてアップデートしているのではないか。

私は心からそう思う。

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