マガジンのカバー画像

たるもの、でなくても

23
純度99%のエッセイ
運営しているクリエイター

#自己紹介

初めてキメた技はあれだったのかも。

初めてキメた技はあれだったのかも。

生後10ヶ月で患った川崎病、当時はまだまだ未知の病であり、母は調べ物をしたりセミナーに出かけたりと、それはそれは大変な思いをしたと思う。
現在ピンピンした中年として私が過ごせているのも、他ならぬ母のおかげだと思う。

前回書いた、病院での定期検査であったり、激マズ薄茶色の睡眠薬をうっすらと思い出しはするものの、これといって病後に日常生活でしんどい思いをした事が無かったように思う。
小児喘息持ちだっ

もっとみる
重量級末娘の爆誕

重量級末娘の爆誕

1983年の5月…私の母はこれまでに無い重さの腹を抱え、坂と階段のそのまた先にある実家と、街の方にある店を毎日毎日行き来してくれていた。

腹の中の第三子は、のちの私であるけれども、それはもう大変な大きさであると予想できたらしい。

産気づいた母は確か動けなかったらしく、父は、その腹に巨大児の入った母をおんぶして産院まで連れて行ったと聞いた。
母、痛みとの激闘の末、

こんにちは、赤ちゃん。
こん

もっとみる
ごあいさつ

ごあいさつ

新しい事を始める時は、気持ちなり環境なりに今までに無かった変化を伴っている。
これまでの経験上、そういう気がしてならないが、今まさにこの文を書こうとしているあたり、きっと私の中になんらかのそれがある。

次から次に…
あれもこれも…
なんやかんや…

つまりは飽き性も甚だしいということを、良くも悪くも夫や両親から言われるのであるが、それはそれでまぁ、したい事は全部やらないと気が済まないので、チャレ

もっとみる