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「母が一晩帰ってこなかった」世界にいます

母が一晩帰ってこない日があった。

姉が大学進学のために上京し、母と私が2人暮らしをしていたときのことだった。

我が家には父がいない。父は私が生まれる直前に急死した。

突然訪れた悲しみと育児疲れとで余裕がなかったのか、母は姉を必要以上に厳しく叱って育てた。姉の長く続いた反抗期もそれを助長した。そしてその分、小さき私を溺愛した。

そんな母を姉は敵視し、母にべったりな私のことも嫌悪していた。
(私は私で姉の身勝手さと強さが怖かったし好きではなかった)

「うちの収入で大学なんか行かせられるわけないだろ! どうしてもっていうなら地元の国公立! 新聞配達でもして自分で稼ぎなさい!」

そう言って譲らなかった母に黙って、東京の大学への推薦と返還不要の奨学金を勝ち取り、姉は毒親から逃げ出すことに成功した。

不思議なもので、構図的にはいつも突っかかってくる共通の敵(姉)がいなくなり、気の合う2人が末永く幸せに暮らす…はずが、次第に衝突するようになっていった。

「お母さん? 私。今日この時間の電車で帰るから」
「はぁぁああ? いちいちそんなことで電話してこなくていいのに! こっちは忙しいんだよ!(ガチャッ)」

……これか。姉はこういう仕打ちを受けていたのか。
ムカついた私は2週間くらい口を聞かなかった。私は怒ると長引く。
遅れてきた私の反抗期か、母の更年期か。とにかくそんなふうに2人の仲がギスギスしていた頃、母が一晩帰ってこなかったのだ。

〈どこ行ってたの? 心配したんだよ。連絡くらいしてよ〉

問い詰めたような、声すらかけなかったような。
ここだけがなぜかぽっかり記憶から抜けている。


あれから20年。我ら家族の関係性は当時からは考えられないほど良好なものとなった。全員が丸くなり、姉が抱えていた母との暗黒の歴史もほぼ癒され、ファミリータイズを実感している。

そこで母に思い出話のひとつとして聞いてみた。

「で、あの日って結局なんだったの? 一晩帰ってこなかった時、どこ行ってたの? 仕事の関係か何か?」
「え! やだ! そんなこと絶対お母さんしてないよ!」

いやいや、してましたやん。

「電話でガチギレしてきたこともあったよね」
「お母さんが? 電話で? 言ったことないよ、そんなこと!」

いやだから、2人暮らし時代の険悪エピソードっていえばこれでしょうよ。
あまりにピュアな感じで言うので、それ以外の印象的なできごとも聞いてみた。

「一緒にUFO見たよね」
「ええ〜、見たことない! それお母さんとのこと?」

「夏の金色になった腕毛をかみそりで剃って、缶に保存してくれてたよね」
「そんなバカなことするわけないじゃん」

「独身時代のアルバムに、ボーイフレンド2人と写ってる写真、子供心に衝撃だったよ」
「そんなことはない!」

絶対の絶対に一緒にUFOは見たし、腕毛を取っておこうよと言い出したのは母だし(間違いなく黄色の缶だった)、アルバムには日本人なのに「ジョンと●●と」って洋名ニックネームが書かれていて大笑いしたのを覚えている。で、やっきになってその後アルバムを調べ直したら、男性は1人だけだった(「ジョンと」という記載はあった)。

母は私の知っている母なのだろうか。
あれだけ盛り上がった話をたまたま綺麗に忘れ去ってしまっただけなのだろうか。
それとも私がパラレルワールドにいて、元の世界には別の自分がいるのだろうか。

そんな疑念は一旦脇に置いておくとしても。
客観的にみても、程度の差はあれ、私たちは認知の歪みの中で生きているものなんだと思う。「ニュースを疑え」とはよく言われるが、「歴史」にももっと曖昧さや揺れ、いい加減さがあるんじゃないかと思っている。

たとえば。とあるスピリチュアルカウンセラーは、いま信じられている坂本龍馬の写真は別人と言っていたが(本当かどうかは知らない)、いわゆる「偉人伝」も相当、見当違いになっている可能性がある。

だからもしこれから私が偉人になれたとして、他人がその半生(生涯)を書いてくれるとなったら、自己発信できる手段で正誤をいちいち発信する嫌なやつになる気がする。その時はごめん。私の予感は当たるんだ。


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