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我が家のテーブル。

夫の両親宅にあった古い木のテーブル。
もう長いこと玄関脇の薪置場で雨風にさらされたまま放置されていた。
朽ちて廃棄を待っているだけのような、悲しみさえ漂うそれを、ある日夫が我が家に運んできた。

自分が子供だった頃には家のメインテーブルだったんだ。家族の想い出がたくさんあるんだよ。捨てるなんて考えられない。木材はしっかりしているし、傷んだ部分は削って、ニスを塗ればまた立派なテーブルとして使えるようになるよ。

そう話した割には、すぐに手を付けることもなく、ビニールシートを被せたまま半年ほどまたまた我が家の庭で雨風にさらされていたのだけれど。

ようやく夫が重い腰を上げ補修を始めて、切ったり削ったり、日をかけてニスを重ね塗りして蘇ったテーブルは、想像よりも遥かに素敵だった。
もちろん、古い傷もたくさん残ってはいるし、お洒落な家具屋さんには並ばない昔ながらのデザインだけれど。

大きなテーブルだから、炊飯器もお鍋もみんなそこに置いて食事をするようになった。

どーんと盛った大皿料理。鍋敷きの上に鍋ごと置く熱いスープ。ボウルにそのままのポテトサラダ。作り置きのキャロットラペはタッパーそのまま。食べたいものを食べたい順番で、自分のお皿によそう。おかわりも自由に。でもそのおかずがもう残り僅かだったときは、ほかにも食べたい人がいるか聞いて、もしいたら仲良く分け合う。ひとつひとつのおかずは質素なのに、そこはなんだかいつも賑やかで明るい。


自分の学習机があるのに、子供たちは教科書や筆箱を広げてここで宿題をする。

洗濯物を畳む。

文旦の皮を剥く。

読書にふける。

庭で摘んだ椿を飾る。 


暖炉の前、冬の特等席。
西日が射す午後。

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