月暈。
「憶えてる? あなたと月暈の話をしたこと」
彼女はブルー・ムーンに視線を落としながら呟いた。
「忘れるわけがないよ。月暈について誰かと話したのは、後にも先にもあの日だけだったから」
僕はあの日を思い出した。かぐや姫の戴冠式をしているみたいに、月光が殊更に明るかったあの夜、僕は彼女と数年ぶりにすれ違った。僕はちょうど、彼女について考えていたところだった。あの日以来、僕は偶然の力を信じている。
「久しぶり」
彼女の方から声をかけられて、僕はようやく言葉を紡ぐことができた。
「身長以外は、大人になったね」
十代の暮れは、彼女を僕の想像が及ばないところまで成長させていた。その頃すっかり成長が止まっていた僕は、時間に置いていかれているようで怖かったことを覚えている。
僕達はそれから、コンビニであたたかい飲み物を買って、深く話し込んだ。その時、月暈の話をした。夏目漱石の小説の話をした。お互いが重なり合わなかった時間を語り合った。今日まで偶然が結ばれないことを、僕達が知る訳はなかった。
「お互い、大人になったね」
僕は彼女が頼んだカクテルの意味について、考えている。ブルー・ムーン。彼女は偶然の成就を祝福しているのか、叶わぬ恋を憂いているのか。カクテルグラスの縁は、月暈にしては凛としている。僕はいつまでも、彼女と話した時間を慈しんでいる。