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灰皿109。

普通に生きても肺は黒ずむらしい。普通ってのは、煙草を吸うのは別に異常じゃないさ、っていうポジショントークではなくて、ごく一般的な社会生活を営むっていう字義通りの意味だ。つまり、我々が毎日吸っている透明な空気には、眼には見えない粉塵やら排気ガスやらが跋扈していて、それを二四時間律儀に吸っている我々の肺は見事に黒く染まるものらしい。

僕は一度、その肺を見たことがある。保健の教科書に載っている墨汁をぶちまけてカラカラに乾かしたみたいな肺ではもちろんなかったけれど、しっかりと黒ずんでいた。それを見て、喫煙を止める同級生もいれば、自嘲して本数が増した同級生もいた。あらゆる啓蒙は一定の人間を逆撫でする。僕はその黒ずみの肺を振り返る時、いつもそう思う。

換気扇の下には、ありあわせの灰皿がある。季節感はなくても、時節感はある。その時期によく飲んだ青島の空き瓶であったり、呪われたみたいに摂取したトマト缶であったりと、灰皿は時節を映す鏡でもある。写真には収めなくても、僕の頭の中にはそのクロニクルが刻まれている。カールスバーグ、角ハイボール、バーハーバー スモークドワイルドキッパーetc……。それはちょっとした読み物だ。だから、ありあわせの灰皿があるキッチンの方が僕は好きだ。もちろん、ポジショントークであることは否めないけれど。


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