見出し画像

物語分析を少し学んだので。

 僕はAOⅡという一風変わった入試で大学に合格したのだが、その時の志望理由の核は〝夏目漱石研究〟だった。だから、日本文学を専修にしようと考えていたが、大学に入って興味はやや移り変わり、文芸+αの研究(=テクスト分析+α)をしたいと思ったのでひとまず現代日本学という専修に進んだ。だけど高校時代に漱石研究を切望していたのは事実だし、テクスト分析について初歩でもいいから学びたいと思ったから、今学期は日本文学の授業を取っている。(↓この授業の内容に関して先週も記述したので、参照)

 今日の授業で物語分析について初歩だが習ったので、復習ついでに感じたことを書きたいと思う。

 ます、物語分析の達成とも言える研究のひとつに、ウラジミール・プロップの『昔話の形態学』がある。

 この書籍は読んでからまた考察したいと思うが、ロシアの魔法昔話を子細に分析し、31の機能の連鎖であると分析した研究である(、らしい)。その構造主義をロランバルトやグレマスが抽象化しつつ発展させた結果、より単純なモデルとして「物語四つの型」が確立された。

 それが、「浦島太郎型」(行って帰ってくる)「かぐや姫型」(来て帰って行く)「成長型」「退行型」である。(↓参照)

 体系的な物語分析について勉強したことがなかったので、「物語の四つの分類」は特に印象的だったが、特に浦島型について感じたことがあった。それは、村上春樹の小説の多くが浦島型であるということだ。

ムラカミワールド 
〈現実〉  ⇒ 〈井戸〉 ⇒ 〈虚構〉
浦島太郎     
〈浦島太郎〉⇒ 〈亀〉  ⇒ 〈竜宮城〉

 この構造で捉え直すことで、ふと思ったことがある。浦島太郎は、竜宮城への回遊の代償として、実存的な時間という〝罰〟(ひとまず仮称)を被った。それならば、『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』で、主人公は何を失ったのであろうか?喪失が一つのテーマであった『ノルウェイの森』で持てていた視点を、浦島型の作品でもてていなかったことに気付かされた。(なぜ虚構から脱出できたのか…に着目しがちだった。) 
 

 また、四つの型を踏まえると、『1Q84』は全ての型の要素が含まれていると思った。

 成長型   
⇒父の呪縛を乗り越える天吾、青豆。
 退行型   
⇒フェミニズムに執着するマダム、自死へと向かう大塚環。
 浦島型   
⇒1Q84(猫の街)へと移動した天吾、青豆。
 かぐや姫型 
⇒異分子的なふかえり、その周辺の人物。

 構造主義の立場から村上春樹の作品を再解釈してみると非情に面白そうだ。素晴らしい作品というものは、様々な構造が多層的に絡み合っている(それぞれの物語が全ての型を満たしつつ交錯する)、と言えるだろう。

 一読目は読者として、二読目はアマチュアの研究者として、全ての村上春樹作品に対峙してきたが、基本的な分析論をみにつけた上でもう一度対峙したいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?