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【家賃からの解放】 山

もう一週間は 風呂に入っていない

電気も水道もガスない山の中
当然ながらテレビもラジオもない

ワクワクして始まった山中生活も、水だけでも調達するのに一苦労する環境に、最初の3時間くらいで不安をおぼえ

夜には、静寂すぎて耳がどうにかなるのでは?など心配していたが、そんな心配の必要はまったくなく、別の意味で耳がどうにかなりそうだった

虫だの、ムカデだの。獣の鳴き声だの、ガサゴソガサゴソ、とにかく「五月蝿い」まさに「ハエ」だ

最初の3日間くらいは ほとんど寝られなかった

夏が終わり秋になりかけ、まだ暖かく、日によっては汗ばみ、まだ紅葉には早い、そんな時期だったのがせめてもの救いだ

これでアホみたいに寒かったり、バカみたいに暑かったら、間違いなく初日で下山していただろう

風呂に入っていない、というのは正確ではなかった

川での水浴びや、濡れタオルでカラダを拭くことは許されていた

が、石鹸は使ってはいけない、ましてやシャンプーなんてもっての他だ

何より服を着替えてはならない、というより、自分が持ってきた服は、服だけでなくあらゆる荷物をすべて 麓の小屋に置いていかされた

渡された服も、明らかに一度も洗っていないであろう

こりゃ、靴はたまらんぞ…と半ば諦めていたが、渡された登山靴は、たしかに履き込んではいたが、そこまで嫌な臭いはしなかったのが、少し不思議ではあった

服もあらためて匂いを嗅いでみると、臭いというよりは、皮製品のような独特の獣臭

羊からつくったムートンと呼ばれる絨毯、サイズ的にはマットかな、があるのだが、それに近い匂いだ

下着と靴下も同様に渡される、それは新しいものだった

あとで聞いてわかったのだが、新しいものを川で良く洗い、乾かしたものだった

「そろそろ頃合いかな」

近づいてきて、スンスンと鼻をならしながら、どうやら、準備は整ったらしい

鹿を狩るための

ーーー

男は言う
「鹿は、オオカミのために生まれてきた生き物だ」

鹿は、山の草木や木の実、落ち葉を食べて育ち

狼が、その鹿を食べる

狼は、山や森の食物連鎖の頂点として、王として君臨していたが、そのあまりの凶暴性と攻撃力がゆえに、人は狼を畏れ、そして駆逐した

絶滅にまで追いやった

狼は、異常なまでの嗅覚と聴覚を持ち、もはや神のごとき感覚を持って、半径2キロ以内に進入した異物を察知することができるという

その動きの速さからも、人は狼を捕らえることが出来なかった

そこで登場したのが、無味無臭の毒薬である「ストリキニーネ」だ

敏感な動物を殺処分するには革命的な毒薬であったが、いかんせん殺傷能力が弱い

服毒すると助からないのは間違いないのだが、なかなか絶命しないのである

狼は、何時間も のたうちまわり、血を吐きながら、苦しみもがき、最後には断末魔とおぼしき叫び声をあげて、やっと絶命する

その声は、山に木霊し、山の民たちは呪われると信じ、必死に鎮魂した

稲荷神社が元来、狐を指すが、日本古来にはキツネといえば、オオカミを指すことも多い

それだけ警戒心が強いと、いくらストリキニーネが無味無臭とはいえ、普通のエサにしかけたのでは、一切のってこない

そこで駆り出される、この場合、狩り出されるの方が 妥当か、登場するのが”鹿(シカ)”である

鹿は狼に食べらるために生まれてきた

狼にとって、一番おいしくなるようにつくられているという

人間が現れても 鹿は逃げていくだけだが、狼が現れると、ご丁寧にも群の 一番先頭の鹿が気絶するのだという

しかも、その気絶を促す脳内物質は、麻酔のような効果も持っており、狼に食べられている間、痛くも痒くもない

むしろ、気持ちが良いくらいなのだという

死にゆくストレスで、血が酸化したり、肉が硬直することもない

最高にリラックスした状態の、爽やかで柔らかな肉質そのままに

銃で撃つと、ここまで美味しさを保てないという

罠で捕まえた場合でも、しばらく飼ってリラックスさせてから屠殺するという方法もあるが、やはり人里の檻の中では、ストレスが肉質が落ちるという

つまりは、狼のみぞ知る味、その野性が持つ天賦の才があればこその美味

そんな狼だけが知る鹿のあまりの美味しさがゆえに、我を忘れ、狼としての本能に一瞬スキができてしまう

その習性を人に利用されてしまった

あれほどに狡猾で、敏感で、警戒心に溢れていたにも関わらず、涎をダラダラと垂らしてバクバクと喰らってしまう

たとえ、自らが捕食した最高の状態の鹿ではなくとも

あきらかにストリキニーネ漬けの、切り分けられた” 元鹿 ”であったとしても

こうして狼は、この世から一頭また一頭と消えて行き、見かけることが珍しくなっていき、幻となり、そして絶滅した

残された鹿たちはといえば、狼たちの貪欲な食欲を満たすために持ち合わせていた 繁殖力は、相も変わらず衰えることを知らず

その身を捧げるはずの相手がいないままに、ひたすらに増えていった

山や森は、増えすぎた鹿を満たすだけの 木の実や草木を擁しておらず、次の世代となるはずの「木の実」を食べ尽くしていった

やっとの思いで土に入り芽となった「新芽」も鹿たちの格好のエサとなった

つまりは、山や森が“ ハゲ ”ていったのである

山が、ハゲ山と呼ばれる姿を見せるようになった

山や森に餌を求められなくなった鹿たちは、ついに人里に降り立ち、畑を荒らすようになる

狼の代わりが必要になった

狼の代わりに山や森にバランスを、秩序を取り戻す存在

男はまさにそれで、食物連鎖の頂点となり、山の王となるべく日々を過ごしていたのである

ーーー

”準備”をしていたエリアから、1時間半ほど、道なき道を歩いただろうか

突如、鹿…鹿たち…鹿の群れが目の前に現れた

何頭いるだろうか、木々も邪魔をして、パッと見では数えられない

鹿たちは時間をかけて“ 餌付け ”されていた

男が定期的に、鹿の好むエサを撒いていたのである

ただでさえ餌がなく苦しんでいる鹿たちにとって、そこは楽園だったに違いない

もはや、男が近づいていっても逃げる気配もない

そういえば、広島の宮島や、奈良の公園の鹿もこんな感じだった

人間も「胃袋を掴まれた」とか言うしなぁ、などと思っていると

「止まれ、ここから見ていろ」

こちらから一番近いところにいる、鹿からみれば、群れの一番外側にいる一頭に近づいていった

まるで鹿と戯れあっているかのようだった

鹿の首あたり抱きついたかのように見えた

飼われている猫かの如く、鹿はまったく抵抗せず…

いや、ピクリとも動かない…

物音もない、鹿の叫び声どころか、鳴き声すらあげていない、眠ったのか?

とはいえ、異常を察知したのであろうか、ほかの鹿たちの姿は消えていた

男が手招きしている

近づいていくと、鹿は明らかに絶命していた

「首の骨を捻るとさ、すぐ折れるようになってるんだよ、脳と繋がってる神経がねじ切れて、苦しまずに死ねるようになってる」

できるだけわかりやすいように、とでも思ってくれたのだろうか、実際に横たわっている鹿の首あたりに腕を絡めながら絶命させる方法を説明してくれているが…

一瞬、鹿が自ら身を委ねたように見えたのは気の所為だろうか…それだと…この男は“ 狼 ”だということになる…

鹿の首が細くて長いのは、狼が咬みつきやすく、折りやすい

「狼に食べられるためだけに生まれてきた」

その言葉の意味するところを、目の前でまざまざと確認することができた

にしても、なんて技だ…そもそも技なのか?なんなんだ?

もしだ、もし狩りに…いや仮にだ

この男が本当に狼の代わり、鹿にとって狼のごとき存在だとするならば、いま目の前に横たわっている鹿は

あの天賦の美味たる「気絶鹿」かもしれないのである

「ヨダレ、でてるぞ」

男ははじめて笑いながら、こちらを見ていた

この一週間、正直、ろくなもんを食べていなかった

それもこれもこのためだったのかもしれない

男は言う
「銃を使っても、罠を使っても、薬でも“ 一番おいしい状態 ”にはならない」

「それでは鹿たちは浮かばれない。美味しく食べられるために生まれてきた鹿たちは、それでは成仏できないんだ」

狼ほどではないにしろ、鹿たちだって警戒する

人間の臭いがすると、やはり逃げてしまうし、逃げなくても警戒されて距離を置かれてしまう

そのために一週間かけて“ 人の臭い ” を消したのだという

鹿を担ぎ、先程の餌場からは、だいぶ離れた河原にきていた

そこは、一見するとわからないが、鹿を捌き、洗い、食べるための“ 厨房 ”のような機能を果たすように工夫されているらしい

小さめの鳥居のようなものは、鹿を吊るすためのものだった

慣れた手つきで腹を割き、内臓を取り出し、皮を剥ぎ取る

見事なものだ、息をするのも忘れてしまうほどに、思わず見入ってしまった

あっという間に切り分けられ、鹿は鹿肉となった

なぜだろうか、死してグッタリとしている段階から、目の前で引き裂かれていく姿をみていても

一貫して ” うまそう ” なのである
とにかく ” うまそう ” なのだ

「食え」

いきなり、赤い肉片を渡される

いずれかの内臓らしいが

「心臓だ、ハツだな、刺身だ」

「いただきます」

いただきます、の語源は「“命を”いただきます」だと聞いたことがある

いまがまさにそれだ、もしその説が正しいのなら、これこそ「いただきます」の中の「いただきます」だ

塩も醤油もないままに、口に運ぶ

甘い?血の鉄分の錆びた嫌な感じがまったくない

それどころか、血の塩と呼ばれる、血に含まれる微かな塩分が、程よい味付けとなって口に拡がる

心臓…ハツの独特のコリコリっとした感じ、ザクッと歯で肉を咬みきるその感じは、一瞬だが狼になったような気がした

次にレバーを渡された
採れたてのレバーは、まだしっかりとその肉質を保ち、ハツほどとはいかないまでも、角が立ちコリコリとしていた

正直なところ、レバーに関しては、多少時間が経ち、細胞が熟れて、トロっとしたくらいが好みだ

こんなときでも、そんなことがよぎってしまう自分の食いしん坊ぶりよ

まぁ、その食いしん坊ぶりのおかげで、世界一うまい牡蠣を創ろう!などと足掻き、がゆえに、いまこうしてこの山にいる

美味しいカキは、山に大きく左右されてしまう

が、今回、ここにきたのは、直接的に牡蠣のためではなかった

ひと月ほど前に、別エリアの山が原因となり、その下流の海で、とんでもないものが検出された

男が立ち上がった
また先ほどの餌場に戻るという

しばらく経つと、鹿たちは何事もなかったように、また餌場に戻ってくるという

「相手が狼ならね、捕食されたいんだよ、鹿たちはね」

この男…狼…そう、まさに狼男だ

なぜこの “ 狼男 ” の警戒心を解くことができたのか?

それは、ひと月ほど前に海で検出された “ とんでもないもの ” のおかげだった…

続く

この【家賃からの解放】は連載しておりましてマガジンもつくっております。よかったらフォローしてお付き合いください…現在この投稿以外に9本…あ、これが10本目だ…☟

たまに「とんでもないもの」も検出しちゃったりしますが、世界的にも減少傾向にあり問題となっている藻類を増やす「海護(アマモ)る活動」などを行っております☟

それではまた次の章でお会いしませう

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