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夢十液

文豪に成る、などと大言壮語する割には、何を課せども遅々として進まず

欲をかいているのか、将又すでに諦めのようなものを感じ始めているのか、彼方へ行き此方へ行き、一向に定まる気配すらない

文豪がなんたるかを解していない節もあり、業を煮やした森先生がまた一計を案じてくださった

「夢十夜を、夏目漱石に成りきってパスティーシュせよ」

間違えてパストリーゼを買ってしまったとしても、コロナ対策になるので問題はなかろう

これを以て、あまりの才の差に打ちのめされ、筆を置くなり、元の道に戻るなり、他の道を探るなり

いつものように悪ふざけのごとく卒なく熟したとしても、多少は得るものもあるであろうし

いずれにしても損のない課題。いつもながらの素晴らしさ

当の本人は、乾坤一擲で臨んでいるのだが、いかんせん結果に繋がっておらず

こんなことを滔々と書き連ねているから進まんのだ。さっと始めるがよし

何はともあれ、夢十夜を読むところから。冒頭を読みはじめたところでハタと気がつく

あえて読まずに書いてみてはどうだろう…

「いいから、書け」
「はい」


第一液、夢魔の最適

こんな夢をみた

どろどろどろどろ
どろどろどろどろ

そっと触れてみた
なんだかザラザラとして
気持ちの良い感じがしない
見た目では良さそうだったのに

どろどろどろどろ
どろどろどろどろ

ほかに纏わりついていた
少し手招きしてみると流れてきた
とても馴染み心地よく
いつまでもこのままでいたい

どろどろどろどろ
どろどろどろどろ

あれほど馴染んでいたのに
そっと触れることすら億劫になった
心地よさは不快さに
それでも縋りついてくるので
強引に振り払った

どろどろどろどろ
どろどろどろどろ

見るからに輝いていた
そっと触れてみる
なんという心地の良さだろうか
これまでで一等である

ふとみると他の手の痕がいくつも
それでも縋りつくことにした
いつのまにかいなくなっていた

どろどろどろどろ
どろどろどろどろ

ついては離れ
離れてはついて
いつのまにか隣にいた
なぜだか懐かしい
あの馴染んでいた心地よさのよう

二つに分かれて
ひとつは僕によく似ていた
このままずっと隣にいるのだろう
あるとき突然にいなくなった

うろうろうろうろ
うろうろうろうろ

もうあらわれては
くれぬのだね

第二液、だいなしや

夢がさめてしまった

やめてやる
こんな所

忠実にして現実
陰湿にして乱雑

言われるがままに
切り刻み

貪るがままに
屠り続けた

やってられるか
あんな所

淫猥にして妖艶
壮麗にして絢爛

興じるがままに
満たし

悦び咽ぶさまに
奮えた

やめられない
そんな所

岩塩に黒胡椒
オリーブオイルに鷹の爪

オーダーされるがままに
腕を振るう

とまらない
みんなの所

第三液、嫁十夜

こんな嫁の夢を見た

腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た嫁が、掠れた声でもう飲みますと云う

嫁はたわわな二の腕を枕のように敷いて、輪郭が曖昧な重なる顎をその中に横たえている

真白な歯の間に冷めた夕餉の滓がほどよく差して、唇の色は無駄に赤い

とうてい飲めそうには見えない

しかし嫁は掠れた声で、もう飲みますと判然云った

自分も確にこれで飲めばと思った

そこで、そうかい、もう飲むのかい、と上から覗き込まないようにして聞いて見た

飲みますとも、と云いながら、嫁はパッチをあてた瞼を開けた

大きなカラコン入りの眼で、長いマツエクに包まれた中は、ただ一面に真黒であった

その真黒な眸の奥に、充血の眼が痛そうに潜んでいる

自分は見るほどに善く出来ているこの黒眼の指垢を眺めて、これでも飲むのかと思った

それで、ねんごろに瓶の縁へ口を付けて、飲むんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した

すると嫁はつくり眼を痛そうに睜たまま、やっぱり掠れた声で、でも、飲むんですもの、仕方がないわと云った

じゃ、私の顔が見えるかいと一心に聞くと、 見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた

自分は黙って、口を瓶から離した。腕組をしながら、どうしても飲むのかなと思った

しばらくして、嫁がまたこう云った

「飲むから、押して下さい。大きな象牙印の判を押して。そうして口座から落ちている月の返済を倍額にして置いて下さい。そうして地下のスタバに待っていて下さい。また払いに来ますから」

自分は、いつ払いに来るかねと聞いた

「円が上がるでしょう。それからドルが沈むでしょう。それからまた上がるでしょう、そうしてまた沈むでしょう。―― 赤い線が左から右へ、上から下へと落ちて行くうちに、―― あなた、待っていられますか」

自分は黙って首肯いた。嫁は掠れた調子を一段張り上げて、「百萬持ってきて下さい」と思い切った声で云った

「百萬、いつもの地下のスタバに黙って持ってきて下さい。きっと貰いに来ますから」

自分はただ持ってくると答えた

すると、赤い杯のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、嫁の眼がぱちりと閉じた

長いマツエクの間から涙が頰へ垂れた。―― もう飲んでいた

自分はそれから居間へ下りて、象牙印の判を押した

象牙印は大きな滑かな縁の鋭どい牙であった。判を押すたびに、牙の先が手の平を差していらいらした

湿った土の匂もした
穴はしばらくして掘れた
嫁をその中に入れた

そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに象牙印の牙に月の光が差した

それから杯の破片の落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた

瓶の中身は丸かった。長い間貯蔵を続けている間に、角が取れて滑かになったんだろうと思った

拾い上げては土の上へ置くうち に、自分の胸の内が少し軽くなった

自分は苔にされてたんだ。

これから百萬の払いをどうしたら待ってくれるんだと考えながら、腕組をして、丸い味わいを舐めていた

そのうちに、嫁の云った通り円が上回った。大きな赤い線であった。それがまた嫁の云った通り、やがてドルが落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定した

しばらくするとまた仮想通貨のビットコインがのそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した

自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い線をいくつ見たか分らない

勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い線が画面の上を通り越して行った

それでも百萬がまだ出来ない。しまいには、苔にされた辛い日々を馳せて、自分は嫁に欺されたのではなかろうかと思い出した

すると床の下から斜に自分の方へ向いて青い手が伸びて来た

見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった

と思うと、だらりと揺ぐ腕の頂に、心持首を傾けていた細長いマツエクの顔が、ゆっくりと瞼を開いた

真白な肌が鼻の先の骨が徹えるほど臭った

そこへ遥の上から、ふらりと猫が落ちたので、嫁は自分の重みでふらふらと動いた

自分も首を前へ出して冷たい床に倒れる、臭い猫の便に接吻した

自分が床から顔を離す拍子に思わず、黒い画面を見たら、約定の印がたった一つ瞬いていた

「百萬はもう出来ていたんだな」とこの時始めて気がついた


今液はこれにて

「夢十夜もKindleUnlimitedにあるんだな」といま始めて気がついた☟


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