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努力不足

   野球のWBCが終わっても、テレビでは連日WBCで活躍した選手の特集が、1か月以上に渡って続いていますね。それだけ大谷選手の、野球だけでなく色々な物事に対する姿勢が、今を生きる日本人の多くが心から望むものであるからなのかもしれません。そんな私も、彼のストイックさとか、誠実さ、加えて研究熱心だったりするところは、非常に好きです。
   とは言え今日は野球の話ではなく、野球等のデータを用いて、努力とは何かについて、少し考えをまとめていきたいと思っています。スポーツや、野球の話を期待してこの記事に辿り着いた人には、少し残念な記事になってしまうかもしれません。

データで分かる、野球が上手い人の特徴

   今回のWBC日本代表は、投手・野手ともに15名ずつ招集されたようです。
   データで分かるということで、凄く分かりやすく、平均身長というデータを見ていくと、投手平均は186cm、野手平均は179cmとのことです。とのことです、とあっさり書いていますが、高くないですか?身長。
   バスケットやバレーのように、見た目に分かりやすく高身長が有利なスポーツとは違う野球というスポーツでも、日本や世界の高いレベルで活躍するような人は、日本人の平均よりも身長が高い人が多いということに、データ上なっているということです。
   と言う事は、野球というスポーツで他者を圧倒するような成績を出したければ、身長が高い人の方が有利である。と言う事が言えるのではないでしょうか。そして、その身長、努力で買えますか?という話を、今回はしていきたいと考えています。

どの世界にも例外は居るけれど

   こういう話をすると、必ずと言っていいほどサンプル数の少ない例外を持ち出して、数字なんて関係ないと仰る方がいらっしゃいますので、先にそういう所から触れていきます。
   先に、見た目に分かりにくい野球というスポーツの話をしてしまったので、もっと見た目に分かりやすいバスケットの話をしてきましょう。NBAという、世界最高峰のバスケットボールのプロリーグがあります。リーグに所属する選手の平均身長は、198cmです。
   そして、日本人のバスケファンなら大体は知っている、日本人初のNBAプレーヤーの田伏選手、その身長は173cmと、平均身長を25cmも下回っています。なんなら、私の世代のバスケファンが口を揃えて名前を挙げた、A.I.ことアレン・アイバーソンは、NBAシーズンMVPを皮切りに、3度のオールプロ、11度のオールスター選出に加え、4度の得点王を始めとする輝かしい成績を収めていますが、身長はその平均から大きく下回る183cmしかありません。
   こういう人が居るから、身長の差なんて関係ない、努力次第でなんとかなるという主張を繰り返す人が居ますが、もしそれが正しいのであれば、平均身長というデータは、どのスポーツでも大して変わらないと言う事にはなりませんか?
   高身長な人ほど努力をしている人が多いのでしょうか、もしくは努力したから高身長を手に入れたのでしょうか。その意見が正しいのであれば、体操選手は皆努力していないということにならないでしょうか。
   そして、今そういう主張をする貴方は、努力して身長を手に入れれば、こんなところでくだらない愚痴に付き合いような必要すらないほど突き抜けた存在になれていたはずではないでしょうか。
   そう、どんな世界にも例外というものは存在するのです。それを無視しろとは言いませんが、殆どの場合、そうではないと言う事を認識し、理解する必要があると言う事です。

努力不足を他人に押し付けたらどうなる?

   先に私の趣旨をある程度知ってもらったところで、野球の話に戻していきましょう。今年は春の甲子園に母校が5年ぶりくらいに出場し、少し嬉しく思っていますので、分かりやすく高校球児たちの例え話をしていきます。
   とある高校に、小さいころから野球が好きで、ずっと野球ばかりしてきた身長185cmの恵まれた体格を持つ、エースで4番のA君と、身長160cmに満たないくらいの、それでもA君と同じく野球が好きで、ずっと野球ばかりしてきた万年補欠のB君が居たとします。
   夏の県大会に向けて、監督がベンチ入りメンバーを考え出すこの時期に、仮にこのA君が、万年補欠のB君に対して「お前は努力が足りないから試合に出れないんだ。試合に出たいなら、もっと努力しろ。」という趣旨の発言をしたとき、果たしてそれは正しいと言えるでしょうか。
   勿論、A君とB君は普段から仲が良く、最後の夏の大会で、B君と一緒に試合をしたいA君の熱い気持ちがあるのかもしれません。ですが、ここまで読み進めていただいているなら、最早このA君の発言、ただ物理的に才能に恵まれた側からの、ポジショントークにしか見えない方もいらっしゃるのではないでしょうか。実際問題、A君にB君に対する熱い気持ちが微塵もないような関係性であれば、ただの暴力です。

自閉症は努力をしていないのか

   さて、私は自閉症ですので、自閉症に纏わる数字も紹介してきましょう。
   就労率というデータがあります。15歳~64歳のうち、就労している人の率を示すデータで、日本国内では75%を上回る程度の数字だそうです。これは厚労省により発表されています。
   次に自閉症と診断された人の就労率ですが、3割ほどと言われていますよね。日本国内の正確な数字は発表されていないものの、海を挟んだお隣の韓国や米国では3割に満たないほどと発表されていますから、日本もその程度なのでしょう。
   ちなみに、知的障害や重度肢体障害を持つも同じように低く、前者は3割、後者に至っては1割ほどだそうです。こちらは何故か地方自治体から数字がある程度出ていますね、差別ですかね。
   こういった数字を踏まえた上で、働いていない障害者に対して、「努力が足りないから企業に拾って貰えないんだ。もっと努力して、働け。」と仰る行為、これは先程のA君と何か違うところはあるでしょうか

私がした努力

   私は過去に、駿台予備校が主催する全国模試で1位を取った経験があります。受験の時は努力して勉強していたと思います。私の学年の誰よりも。
   ですが、努力だけで全国1位という順位を取ることは難しいです。たまたまその試験で、私の得意な範囲が多く出たり、当日の体調含めた集中力、そもそも勉学に関する才能など、様々な要因があったと思っています。
   要するに、最低限必要なだけの努力はしていて、たまたまその1回は運が凄く良かったと言う事だと思っています。

   そんな私に対して、努力してないから就職出来ないんだと仰る方、貴方は私より努力しましたか?
   全国1位とは言わなくても、少なくとも模試で全国2桁に入るくらいはしたのでしょうか。私は、受けた模試の全てで全国2桁以内の順位を取っていました。努力していました。たまたま、1回以外は運が良くなかったのです。つまり、運が良くなくても、勉強というカテゴリで努力しさえすれば、全国2桁くらいは取れてしまうものです。
   そんな風に私が言いきってしまったら、それは逆に暴力なのです。
   全国模試で1位とか、2桁みたいな数字を取るには、誠に申し上げにくいですが、才能が必要だと思っています。
   そうであるから私は、努力しさえすれば全国1位になれるなんてことは、暴力を振るわれない限り言いません。

ただの暴力

   努力しさえすれば、ベンチプレス100kg、BIG-3合計で400kgなんて数字、誰でも挙げられる。君は努力が足りないから、虚弱だ。なんてことは言いません。
  努力しさえすれば、誰でも服の上からでも分かるくらいの逆三角形の体格を手に入れられる。君は努力が足りないから、デブだ。なんてことは言いません。
   努力しさえすれば、旧帝や早慶上智レベルの大学なんて、誰でも合格できる。MARCH程度の学校なら、寝てても入れる。君は努力が足りないから、浪人している。なんてことは言いません。
   努力しさえすれば、趣味でやってる程度のゲームでも世界ランカーになったり、大会で勝ち上がったりするなんて誰でも出来る。君は努力が足りないから、ずっと低レートで燻ぶっているんだ。なんてことは言いません。
   出来る側から出来無い側に対して、努力不足を押し付ける行為。これは正直に申し上げれば、ただの暴力だと私は考えています。

成功者しか見えない世界

   低身長だけど、努力してスポーツで成功した。
   障害者だけど、努力して就職出来た。
   良いことだと思います。思いますが、それが全ての人に適用されるかというと、そうではないと思うのです。
   勘違いしないで欲しいのは、努力すること自体を否定しているわけではないのです。私自身、人生の多くの時間を努力に費やしてきた自覚があります。
   ですが、その費やしてきた、自分にとって掛け替えのない時間『だけ』を、足りないという一言で一蹴する行為は、どうしても理解も納得も出来ないのです。
   ヒトにはそれぞれ得手不得手があり、自閉症の人は、現代社会に求められるモノの多くが不得手の側に寄ってしまっている。その結果、平均的に就職するのが難しくなってしまっているように感じているのです。
   そういう自閉症に対して、才能を持った成功者のポジショントークは心に響かないし、何の価値も生み出さないように思っているのです。

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