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義母に「娘ちゃんの面倒は見るから働けば?」と言われた話

先日、義理実家に長く滞在して、お義母さんとたくさんお話をしました。
その中で、タイトルのような言葉を言われて、モヤモヤしつつ、スッキリもしたのでそのことを…。

文脈を書かないと、このセリフ誤解を与えそう。
「自分の子供を祖母が奪おうとしている」とか「働けと強いている」とか…思われても致し方ない。
でも、そんなステレオタイプな困った義母として、この発言を言ったわけではない。

夫と私は別居婚をしており、出産を機に、育休を利用して同棲している。長く育休がとれる職場だから、職場復帰できるかな?と悩みつつも、甘えて長く申請した。
そりゃあ仕事だからストレスもあるし、家で子育てしている方が幸福度が高いけど、自分に合っている、待遇も良い仕事ではあった。
でも、一緒に暮らすためには、子供のためにも…
私がこのまま仕事を辞めないといけないんだろうな。
(夫は育児等に理解はあるのに、私の仕事のために仕事を変えるという選択肢はどうしてももてなさそう!困った人だ…。)

そんな話をぼんやり義母に伝えたら、義母はやめなくてもいい方法が見つかると良いね、と優しく言ってくれた。
義理実家は、母が専業主婦だったし、地方の固い家だと思っていたから意外だった。その後、二人でぼそぼそいろんな話をしていたら…

「これは私の本当に勝手な妄想なんだけど…」という前向きで義母が話を始めた。

かなちゃんと娘ちゃんで職場の近くに2人で住んで、その近くに私(もしくは夫婦)が安いアパート借りて暮らして、娘ちゃんの世話をお手伝い出来たら幸せだなって。(私の夫)は週末こればいいのよ〜。

一緒に暮らしたくはないし、ただの私のこうなったら幸せだなってはなしなだけだから。ほら、私この県から離れて暮らしたことないから遠くに住んでみたくて。
と、話をした。

その話を聞いた時、私は最初のステレオタイプのよく聞くような「娘を奪おうとしているんではないか!?」とか「そんなうまくいくわけないだろ?」とかネガティブな感情がモヤっと浮かんだ。

義母はとても、丁寧に押しつけがましくなく、冗談みたいにちらっとはなしただけなのにね。

でも、そのあとすぐに「それが義母の幸せなのかもしれない」とも思った。
私は娘が産まれて、誰かの成長を見守ったり、手助けできる幸せも知った。今まで自分の成長や幸せを追求することばかりしてきた私は、誰かの幸せばかり願う母がうっとうしく、寂しく思うこともあったが、出産を経てようやく、そういうことが生きがいになる人の気持ちが分かったから。

同時に、生きている人、特に家族には幸せになってほしいと産後めちゃくちゃ思ったので、それが義母の幸せなら叶えてもらうのもありかも?と思ったのだ。

だから、笑顔で「そんなこと考えもつかなかった。仕事の復職がしたいのか、自分でもわからないけど、ありかもしれないですね。」と軽く答えた。

それから数日たって、なんだかずっとその言葉が頭の中をぐるぐる巡る。

まずは、そうやって家族を支えたいと思ってくれる親がいることに感謝する気持ち。

次に、現実的にそれはやらないだろうとは思うけど、選択肢が一つ増えて心がすっと軽くなった気持ち。もしも働きたいと思ったら、できるんだと思うと安心した。
私の心の中でこの安心感が今大きな希望みたいなものになっている。出産を経て仕事を辞めず、図々しくも選択肢を残しておいてよかった。本当に感謝。

三つ目は、私はまたもや「当たり前」にとらわれていたこと。
義母に娘の世話をしてもらうなんて、うまくいかないよ。家族は一緒に暮らさなきゃ。などの周りから聞いたことがあるようなセリフに縛られてしまっていたなと思った。
もちろん、うまくいくかはわからないけど、少なくとも私の性格、義母の性格、夫の考え、私の仕事の状況などなど個の要素によって、結果は変わるだろうに、そういったことを加味することなく、決めつけてしまったな、と反省した。

私たちは、個人が自分の幸せを追求するべきだと思う。
それは誰かと一緒に生きたいが含まれてもいい。
でも、それが別の誰かの幸せを阻害するなら駄目だけど。
とはいえ、この世で生きているんだもん、綺麗ごとだけど
みんなに幸せになってほしい。
だから、努力して、みんなが幸せになるための方法を考えていきたいな。


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