大人になること。明るいほうへ進むこと。
24歳くらいだったかな?
働くことに慣れてきた社会人2年目くらいの頃。
大学時代の友人(男)が結婚して、おめでとーって飲み会を何人かでした。
帰り道に親友と酔っ払って、2人で締めはラーメン?いやいや、回らない寿司でしょ!と贅沢して、笑いながら帰った。
32歳になる年を迎えて、その友人とランチをしながら色んな思い出話をした時に、その日のことをふと思い出す。
「あの時さ…私たち、ぜーんぜん、結婚に憧れがなかったよね。」
と私が言うと、彼女は笑った。
「いい事言うかと思ったら…。でも、本当にそう。憧れてなんかなかったね。」
今時は違うとは思うけど、
もしも結婚が女の子の憧れって価値観があるなら、そんなのを私たちは1ミリも持ち合わせてなかったのだ。
友達の幸せそうな結婚報告を、祝福する気持ちは当然あったけど、ちっともうらやましいとは思わなかった。
ふーん。って遠い世界を、自分たちにはまだ関係ないけどって見ていた。
それより目の前のキラキラしたものを味わうことの方がずっとずっと楽しかった。
色んなことをし尽くして、満足して、楽しんでから結婚しよう。
そう思っていた。
そして、私たちは30歳間近に結婚したのだけど、正直結婚したからと言って、生活も心の持ち方もあまり変わらなかった。
私は転職したばかりの仕事を辞めたくなくて横浜と名古屋で別居しつつ結婚生活をしているし、彼女も弁護士になるという夢を見つけ、夫の海外赴任についていかず日本で大学院に通っている。
人生のパートナーという味方を見つけて、それぞれやりたいことをやって、理解されてっていう良いとこどりの結婚生活。
でも、そこから2年以上たって、私は今妊娠している。
正直にいうと、年齢的に子供をつくろうという焦りがあった。
結婚は焦らなかったけど、子供に関してはどうしても不安があった。
高齢出産、不妊治療、そういったワードが頭の中にちらついたのだ。
夫は子供を望んでおり、私よりずっと善良で、シンプルに父になることを望んでいたし。
とはいえ、結婚と違って、妊娠というものは、私が想像していたよりもずっと自分の生活と心境を変えるものだった。
特に身体的な負荷は凄まじく、自由にできることが減った。
ホルモンバランスの乱れのせいか、情緒不安定になることが増えた。
不平不満、不安を抱けば、母になるというのに、子供を授かることが出来たのに、という気持ちから罪悪感を持つ。
そういったことを受け入れていく過程が、私にとって大人になることに思えた。
とてもネガティブな気持ち共に。
20代で思わぬ妊娠をしていたら、そのままの勢いで深く考えず、母になったと思うけど、色々やり切って、計画的に妊娠したからこそ、ライフステージの変化を、若くないことを受けれ入れなくてはならないという謎の覚悟を持ってしまうのかもしれない。
ぽわぽわと生きていたい。
いつも人生に対して前のめりで
これは幸せ?
これは本当にやりたいこと?
今の私、自分のこと好きって言える?
そんな自問自答を繰り返して、アグレッシブに生きてきたからこそ、自由意志とは反対の、不自由さへの変化に適応できないのではないか?
今まで、幸せに貪欲だったからこそ、立ち止まって自分と家族、新しい尊い命の幸せのために時間を使うことに戸惑いがあるのかもしれない。
親になれて幸せだねー。
赤ちゃん楽しみだね。
出産こわいけど頑張るね。
幸せになろうね。
そんなぽわぽわした陽だまりみたいな、明るさがこれからの私の生活には必要なのかもしれない。
明るいほうへ。
陽の差すほうへ、すくすく伸びていきたい。
それを健全とか、幸せとかと呼ぶ気がするから。
大人になることは、そんな風に毎日を生きることなのかもしれない。
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