小説 マカロニえんぴつ「なんでもないよ、」
未知と半同棲していた大学2年生の頃は、週に3,4回セックスをしていた。あれから5年経ち、今では月に1回するかどうかだ。でも、そんなことが俺が未知を好きじゃない理由とは関係ない。
そんなことを帰省帰りの電車の中で考えている自分はおかしいのだろうか。しかも、手術のために入院する母を見舞ったその帰り道だというのに。でも、帰り際の父の後ろ姿が頭に浮かぶ。
大切なこと何も言わない父。
明日母が手術をするというのに、父は優しい言葉一つもかけやしない。
病室でも変わらず、いつも通り無言で母の横に座っていた。
手術には仕事で立ち会えない俺にも特に何も言わず、去り際「じゃ」と一言言っただけだ。
あんな風にはなりたくないと感じた後に、急にはやく未知に会いたくなった。同時に、母にも俺にも何も言葉をかけない父を反面教師に、未知への気持ちを言葉にしなくてはと思った。だから、未知との今までのことを実家からの帰り道に色々と考えているというわけだ。
実家から未知と暮らすアパートまでは普通電車で二時間。そう遠くない距離なのに年に一回程度しか帰らなかったのは特別家族と仲が悪いとかそんな理由じゃなくて、ただ他の予定で忙しかったからだ。社会人になってからの休日は友達や未知とストレス発散に遊ぶために時間を割きたかった。スマホを見ると、未知からメッセージが来ている。電車に乗った時に到着時刻を伝えたのだった。
「了解!外寒いよね。あったかいもの作ってるから楽しみにしててね」
何かをたくらんだような表情をした猫のスタンプが続く。このスタンプの猫が未知そっくりだと思って去年俺がプレゼントしたものだ。母親の病気のことは知っているはずだけど、あえて触れないのが未知らしい。
未知に何と伝えればいいだろうか。
お互い20代半ば、会社にも慣れた。5年の付き合いだし、結婚する相手は未知しかいないと思っている。突然、何の計画もなしにプロポーズしたら、よっぽど母親のことで精神的にダメージを受けていると思われるだろうか。そんなことを考えながら、スマホに保存された未知との写真を見返す。
「お帰り」
出迎えてくれた未知はすでにパジャマを着ていた。
「お風呂まだあったかいから先に入る?先にご飯でもどっちでも良いよ」
笑顔でそう言う。猫みたいに少し吊り上がった目が未知のチャームポイントだ。それから笑うと出てくるえくぼも。
「あのさ…」
「ん?」
未知が俺の方をのぞき込む。俺は用意しておいた言葉を全てボツにする。どれも嘘くさい気がしたから。
「いや…」
「ん~何だろう」
未知はそう言って、俺の方から向きを変えない。
「なんでもないよ、」
俺はそう言ってはぐらかす。
少なくとも今は何にも言えない。
ただ、未知の待つ部屋までの帰り道に見ていた写真の俺はとんでもなく幸せそうだった。楽しそうだった。
未知といる時の自分が俺は好きだ。
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