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AI、コミュニティ、(de)centralization… 『サマーウォーズ』が今観ても最高だった

期間限定でサマーウォーズが上映されるとの情報を聞きつけ心待ちにしていた私は、先日29日にさっそく最寄りの映画館に観に行ってきた。
なんだか分からないけど、とてもワクワクする作品として私の中で印象に残っていた、サマーウォーズ。
2009年8月1日の公開らしい。自分がちょうど中高生の頃か。

私は同じ映画作品を2回以上観るということがあまりない。観たとしても1度目の感動に並ぶことはほぼない。ところが、サマーウォーズはめったにない『今観てもまた違う角度で感動できる作品』だった。
改めて鑑賞して、期待通りどころか期待を予想外に上回ってきた感すらあったので、興奮冷めやらぬうちにアウトプットしておきたい。



AIが欲望を持つという革新的なテーマ

近未来を描くというテーマは、ジャンルを越えてあちこちのエンターテイメント作品で試みられてきたことだと思うので、きっと昔からAIもの作品はたくさんあるんだろうけれど、それはさておき。
侘助わびすけが開発した攻撃型AIは、Chat GPTで世間が騒がしい今だからこそより響くものがある。
そしてなにより、「AIに知識欲を持たせる」というやり口はとてつもなく画期的であり、同時に底抜けに恐ろしい。

私はエンジニアではないし、数年前に『誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性』という一般人向けの入門書を読み、人工知能の外観を掴んだというレベルの知識だ。※そのときの感想はこちら
その私の理解では、AIが自我を持つ・言葉の意味を理解する・感情を獲得するというような次元は、まだまだ今のAIブームでは到達できなくて、あるとしてもまだ(数十年以上?)先の話だと認識している。

もちろん作品中に米軍が登場するように、最先端技術は基本的に軍事分野で真っ先に開発・利用されその後に民間社会に降りてくることが多い。
たしかインターネット技術でさえも、元々は軍事用に開発されたもののはずだ。
そういう意味では、世界各国の政府や民間企業のトップシークレットレベルの軍事領域で何がどこまで開発され実用化されているのかを知ることはできず、AI技術も今後どれくらい早くどのような軍事利用がされていくかは未知数だ。

AIは従来のコンピュータープログラムと異なり、より ‘知能’ らしく拡張的・自律的な動きをするという認識なのだが、『欲望』がそこに加わるということは単に従来の機能の幅が広がったというような代物ではない。
どちらかというと、次元が違うという方がしっくりくる(と私は思っている)。
なぜなら、欲望や感情といったものには合理性が通用せず、それまで合理性があることによって引かれていた限界ラインをことごとくぶち破って ∞(無限大)のパワーを生み出すからだ。

これは人間でも同じだ。
世の中の犯罪を抑止したい場合、基本的には得られるリターンに見合わないくらいのコストを払わせる状態をつくればよい。例えば、空き巣に対してドアロックの数を増やしたり、犯罪に対して刑罰を重くしたりするなどが挙げられる。
ただしこれは、その相手が合理的に物事を考えていることを前提としている。相手が合理性を超越してくる、つまり感情や執着や欲望といったもので武装しているとき、コストを多く払わせようとする従来の方法は通用しない。
ストーカーが恐ろしいのは、執着や欲望といったものが原動力となっているからだ。執着・欲望・感情、あるいはどん底まで落ちて開き直った人間ほど恐ろしいものはない。そういった人間にどれだけのコストを払わせようが命の危険を感じさせようが、そんなものは通用しないからだ。

どれだけ非合理的だろうがどれだけ時間が掛かろうが、ロックオンされ得る。
『欲望』はそれを可能にする1つのファクターだ。

AIに関しては、長らくたくさんの幻想が吹き荒れている。ターミネーターのような世界なんかも、そもそも来るかどうか分からないし来るとしてもかなり時間が掛かることが想像されるだろう。
ただ、もし人工知能に汎用的な『欲望』を実装できたとしたら、かなり危険な事態に転ぶ可能性は十分にあると、なんとなく感じている。

奇しくも、サマーウォーズの少し前に観に行った『Mission: Impossible – Dead Reckoning Part One』でも、AIの脅威がテーマとして描かれていた。
新技術に対して何でもかんでも脅威として捉えるのは良くないが、AIと欲望というこのテーマは今だからこそ想像できる妙なリアルさがあって、とても観応えがあった。


メタバースやブロックチェーンの開発が盛んな今

サマーウォーズでは、まさに今ホットなテクノロジーや関連するテクノロジーが登場する。
 

Web2とOZとWeb3

作中に出てくる仮想世界OZオズは、中央サーバー?があってそこで厳重なセキュリティの下にID情報などが管理・制御されているという中央集権的(Centralized)なシステム、いわゆるWeb2と言えるだろうか。
現代においておそらくほとんどのサービスがこの方式で構築されており、私たちにも馴染みが深い。
一方で、OZのような巨大かつ現実世界のあらゆる職務権限とリンクするようなごついシステムの場合、作中のAIによる侵入のような外部からの不正アクセスや、管理者側の悪意/恣意的な運用によってシステム操作されたときのリスクが計り知れないほど大きい。
権限が集中する中央部を掌握されれば、成す術はほとんどない。

OZ、およびそれにリンクしたリアル世界が崩壊する様子を見て、私はブロックチェーン技術を筆頭とした非中央集権的(Decentralized)な世界の構築を模索するWeb3の動きを思い出した。
私がCryptoクリプトデビューしたのは2017年、前回の半減期バブルのとき。3年ほどのブランクを挟みここ1〜2年、また暗号資産・ブロックチェーンやWeb3関連のニュースを追いかけている。
※Crypto自体は「隠れた」「秘密の」「暗号」などを意味する。用語としては Crypto Currency(暗号通貨・仮想通貨)や Crypto Asset(暗号資産)などがあり、その界隈を総称してCryptoと呼ぶことがよくある。

Crypto界隈で頻出する超重要単語が「decentralizedディセントラライズド」だ。
centralizedセントラライズド(集中化した、中央集権化した)の頭に打ち消しの ‘de’ が付いて、分散化した、非中央集権化した、という意味合いになる。
これは地図のテストで日本がどれか分からなかったら話になんないよねレベルの必修単語で、ブロックチェーンとは?Web3とは?という概念理解のフェーズでも、De-Fi、DEX、dApps、DAOといった基本用語の理解でも、とにかく重要な単語だ。
※それぞれ DecentralizedなFinance、DecentralizedなExchange(取引所)、DecentralizedなApps、DecentralizedでAutonomousなOrganizationという意味合いで、先頭にDが付く略語はだいたいこれだと思っていい。

Web3では、‘中央管理者’ は存在しない。
トランザクション履歴やデータやIDが分散して管理され、単一勢力によって全情報が管理されたり監視されたり改竄されたりせず、1人1人が自らの手で管理できる世界を目指した試みだ。
OZがもしDecentralizedなテクノロジーで構築されていたなら、侘助がばあちゃんに殺されかけることもなかったのだろうか…と妄想せずにはいられない。


Decentralizedな世界はどこまで普及するのか?

とはいえ、Web3がすべてを変えるとも全面的に支持されるとも私は思っていない。
以前とある記事を読んだのだが、そこにはこう書かれていた。

これまでも自己主権的な技術はいくつも登場してきたが、結局広く支持され受け入れられることはなかった。ブロックチェーンも似たような結末に終わる。

私は具体的な技術には明るくないので、どういった技術がこれまで注目を浴びたり低迷してきたのかはあまり分からない。ただ、一般消費者にとっても中央集権的なサービスの方が都合が良いというのはよく分かる。
中央管理者がいないということは、ある程度自分自身で管理する能力が求められるということでもある。
例えば、銀行で振込先を間違えたとき、組戻し手数料を払えば中央管理者である銀行はそれなりに対応してくれる(振込先の了解は必要だが)。

一方で、ブロックチェーン上のトークン(暗号資産)を送金するとき、送金先アドレスを間違えたら基本的には一生戻ってこない。
それが100円相当だろうが1億円相当だろうが、金額の多寡は関係ない。中央管理者がいないので誰も勝手には動かせないが、それは下手をすると自分自身すらもアクセス手段を失うことを意味する。
※これを大規模ハッキングにより大量の暗号資産を失った取引所MTGOXマウントゴックスになぞらえ、「セルフGOX」と呼んだりする。
これをやらかしたら、現状ではその送金先に生きた利用者が存在し親切に送金し返してくれるという奇跡を待つしかない。
強力な権限を持った中央管理者が独自判断で何かを書き変えたりできないような世界がWeb3なので、もちろん分散化されたコミュニティ全体で送金取り消しに対する合意が得られれば話は別だが、逐一そんなプロセスを回す現実的な運用がWeb3にあり得るのかどうかは私には分からない。

つまり、多くの人にとって、ある程度信頼のおける中央管理者に自らのデータや資産を預け管理してもらう(世話を焼いてもらう)方が、楽で現実的で快適な(そしてそれが自身に及ぶ監視や危険への懸念を上回る)可能性は高い。
私も実はどちらかというと、この説を信じている。

ではなぜ、CryptoやブロックチェーンやWeb3といったトピックに興味を持っているかというと、それは「おもしろいことに首を突っ込みたいから」に尽きる。
私は知的好奇心が生きる原動力になるタイプの人間だ。わくわくする!おもしろい!興味深い!と感じることが生きる喜びなのだ。
どんな未来に繋がるのか・繋がらないのかはまだ確信がないが、それでもWeb3の領域に人や金や情報がグイグイ集まっていることは確かだ。この先、現代人が感じる行き詰まりに対して、革新的なソリューションが提供されるかもしれない。あるいは革新的とまではいかなくとも、選択肢がより豊かになる可能性はある。
だから、そこで何が起こっていくのか、私は見ていたい。そしてちょこちょこ参加もしてみたい。そう思っている。


Web3と国家の関係性

さて、Decentralizedな動きというのは、究極的に突き詰めれば現代社会を形作る国家と中央政府という中央集権的な存在に対する「革命」となる。
どんな性質の国家であれ、本質的で本格的なDecentralizationを容認するはずはない。国家というのは、原理的に人民を監視し管理し制御することを考えるからだ。
ただもちろん、EXODUSエクソダス(Web3関連のポッドキャスト番組)で大木さんが話すように、私もガチな革命が起きるとは思っていないし、既存の仕組みと緩やかに併存する未来が来るのではないだろうかと想像している。

注目したいのは、まだ発展途上であるWeb3の領域に、各国中央政府がどのようなアプローチを仕掛けてどんな未来を描こうとしているのかという点だ。完全に押さえつけるのが無理だとすると、うまく取り入って表面上は仲良く、裏ではある程度監視しようとするだろうか。
少なくとも言えるのは、国家に対して不都合のある動きが出てきたら、‘規制’ や ‘テロリストの取り締まり’ といった大義名分の下に本気で潰しにかかるだろう、ということ。
だから、Web3プロジェクトと各国政府との関係性や距離感というのは、きっとこれから先もニュースに事欠かないだろうし、非常に興味深いポイントだと感じる。

加えて、1つ注意したいのが
「ブロックチェーンを活用する = Decentralizedな世界」でもないし、
「Decentralizedな世界 = 個人やプライバシーが必ず守られる」わけでもない
ということだ。
最近話題になっているプロジェクトにWorldcoinというものがある。
虹彩をスキャンすることでIDを作成し、1つのIDで世界中のサービス(主にファイナンス領域?)にアクセスできるようにし、たしかベーシックインカムの実現も企図するようなプロジェクトだ。
※私もまだちゃんとキャッチアップできていないのでおぼろげな説明で申し訳ない。

すでに虹彩スキャンとWorld ID生成は始まっており、Web3業界関係者のみならず各国規制当局等も巻き込んで、賛否両方の様々な動きが起きているとのこと。
そんな中、私が注目しているプライバシー領域のプロジェクト「Nym」では、ツイート(Xエックス)を眺めている限り否定的な記事を出している。プロジェクトの性質上どうせポジショントークだろうと言ってしまえばそれまでかもしれないが、新たな監視に繋がる危険性があると警鐘を鳴らしている。
※この記事もちゃんと読めていないので、またまたおぼろげですまない。

でも、この辺りの選別眼を持たないといけないというのは私も思っていて、さきほども書いたようにブロックチェーン技術を使ってDecentralizedな構造になっていたとしても、個人を監視するシステムに仕立て上げることは可能だと思っている。
「Decentralizedだから安全」ではなく、そのプロジェクトがどんな理念と未来設計に基づいていて、Web2のどんな問題を克服するものでどう言った技術設計が施されているのかをちゃんと見極めないと、本質的にDecentralizationの価値を享受することはできないだろう、と。


メタバースの今後の展開

作中のOZは、いわゆるメタバースだ。

2021年にFacebookがMetaと社名を変えたことで大きく騒がれたが、直近で今度はAppleがVision Proを発表して話題を読んだ。
Vision Proはメタバースうんぬんというよりは多機能XRデバイスであると認識しているが、今後メタバースはどう普及し、どう現実世界と接点を持ち併存していくのだろうか。
XRに関しては色々な人間活動を拡張し親和性があるので確実に広まっていく予感がしているが、メタバースはまだ正直よく分からない。

あと1つ思うのが、乱立するメタバースプラットフォームが今後どう使われていくのかという点。私が聞く限りでも新旧様々なプラットフォームがどんどん出現しているが、マスアダプションが起きると(あるいはその過程で)どうなるだろう?
OZのように単一のプラットフォームに需要が集中していくのか、あるいは複数の大小プラットフォームが併存するのか。複数併存だとすると、プラットフォーム間の相互接続というか互換性はどうなるのか。
それこそWorld IDの話ではないが、プラットフォームごとにID登録・管理をしていたら煩雑だし、同じID(アバター)を使って各プラットフォーム間を行き来できないのはどうなのだろうか、と思ったりする。

しかしそんな私も、実は恥ずかしながらメタバース空間やXRデバイスを経験したことは(記憶の限りでは)まだない。
ちょうど今日本で進められているIDOL3.0プロジェクト(Nippon Idol TokenというERC20トークンのIEOで資金調達を実施)があるので、この先メタバースLIVEが開催されるとなったら試しに参加してみようかと思っている。


余談だが、何かのインタビュー動画でメタバースを語っている人を見て気づいて以来、私は「メタバース」を英語の本来の発音に近いイントネーションで使うようにしている。
日本では「めたばぁす」(←ひらがなで書きたくなるようなこの語感、伝わるだろうか・・)というイントネーションが一般的だが、ガラパゴス化してシームレスに海外の人に通じないのは嫌だし、「どこでもドア〜」的な若干アホっぽい響きも感じるので私は使わないことにした。まあかっこつけたいということだ 笑


コミュニティの重要性

テクノロジーに関連する話ばかりしてきたが、もう1つこの映画で語らずにはいられないのがコミュニティ、人と人との関わり合いについてだ。
 

個人や多様性は良いが、やはり「わちゃわちゃ」が足りない

サマーウォーズの舞台となる陣内家(一族)は、昔からの由緒ある家系で親族も多く、一見古典的なコミュニティに見える。
作中でも、男は強くあれ、女は食事の準備をしろ、子作りはどうだという言葉や行動がところどころに見られる。
※家父長制的な枠組みとこの大家族的営みはどう違っているかなど、私の中でもまだ十分に整理できてはいないのだが。

家制度などの ‘家’ 的価値観への風当たりが強い昨今だけれど、個人的にはやっぱりコミュニティっておもしろいなと感じた。
作品内ではもちろん、陣内家の抑圧的な側面というのは特にフィーチャーされていないので目立ちにくいし、違った切り口での見方はあるのかもしれない。
それでもやはり、人間臭くて時にお節介な ‘わちゃわちゃ’ したコミュニケーションは、社会の中でいつまでも豊かに醸成され続けてほしいと、そう感じたのだ。

コミュニティや生き方を考えるとき、ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」で、型にはまる方が心地よかったし生きやすかったという堀井さんと、型にはまりたいときもあったけどはまれず型じゃないところに価値を見出してきたスーさんの話を思い出したりする。
もちろん、人間性・人格や人権を深く毀損するような構造的な問題点など、「デメリット」という言葉で矮小化してはいけないものは当然あるが、それ以外に関して言うならば、基本的に八方美人なコミュニティの形はない。
どんなコミュニティにもメリット・デメリットがあり、人によって合う・合わないがある。

ころっと話は変わるが、メイクの話だってそうだ。
メイクを抑圧や消費だと捉える人もいれば、ドラマ『紅さすライフ』のように武装や自己表現だと捉える人もいる。
もちろん長らく軽視されてきたような負の側面はきちんと再考されなければいけないが、同時に物事を多角的に捉え考えていくことも忘れないようにしたい。


そしてもう1つ忘れたくないのは、『わたし紹介 〈コーポレートサイト風〉』でもValueの1つとして書いたように、

そこで生きる ‘リアル’ へのリスペクトを持つ

こと。
世界には様々なコミュニティ環境や社会環境があり、私たちから見ると劣悪だと思える環境もある。そんなとき、私たちはつい自分が持っているものさしで世界中のすべてを測れると勘違いしてしまいがちだが、実際にすべてを測れるかというと100%そんなわけはない。
だから、「かわいそうな人たちだね」という言葉は間違えても軽々しく吐かないよう気をつけたいと思っている。

なぜなら、どんな環境であれそこで生きる人たちは、日々幸せや不幸せや絶望や希望を感じながら(あるいは逆に何も感じていない可能性もあるが)、1日1日を生きているからだ。
私たちが外からいくら「かわいそうだ」「救われるべきだ」「不幸だ」とわめき散らかそうが、彼ら彼女らの人生は今日も明日も続いていく。
どんな環境であろうが、その人たちが今生きていて日々の暮らしを紡いでいるという、そこに横たわる圧倒的な ‘リアル’ は誰にも覆せない。絶対に。

だから、その社会や構造や慣習を批判することはあっても、決してその人たちの「人生」を否定したり断定することはあってはならない。
私たちは、そこに横たわる圧倒的な ‘リアル’ に対して少なからずリスペクトを持つべきだと、そう考えている。


人と人が関わるということ

ちょっと検索するだけで色んな人が書いているので、やはり多くの人たちに響いているんだなあと思うわけだが、さかえおばあちゃんの言葉はすごい。

一番ダメなのはお腹をすかせていることと、独りでいること

↑原文ママではないがこんな感じだ

とても染みる言葉だ。限りなく素朴で、でも同時に根源的で本質を突いている。
どんなに娯楽が増えようとも、どれだけテクノロジーが発達しようとも、どれほどタフになろうとも、人は人と関わらずには生きていけない。
誰かと関わりながら生きていくことは人生を豊かにする(と思う)し、それは必ずしも家族でなくてもいい。他人でもいい、年齢が離れていてもいい。
サマーウォーズではその形がたまたま大家族、一族だったってだけで。
私が人生のVisionとして掲げている『週4で働き3つ以上のコミュニティに所属、豊かに多角化された人生』も、ベクトルとしては近いところを向いていると思う。

話は飛ぶが、昨今の世界情勢等に影響されて安全保障の話が出るたびに一定数現れる、安全保障や抑止力をそのへんの街のけんかと混同しているような人たちを見て「それってどうなのかな・・」といつも思っている。
そして、グローバル化が進んだ現代においては、人と人との豊かな繋がりが存在し生み出され続けている状態こそが、最も強い(ソフト面の)安全保障なんじゃないかと密かに考えている。
豊かでリスペクトフルな草の根の人の繋がりが、国家という共同体間のリスクを最小化する1要素になりうるのではないか、と。理想論だろうか。


※おばあちゃんといえば、ふと『佐賀のがばいばあちゃん』を思い出してしまった。
あのばあちゃんのエピソードも私は好きなのだが、実は著者でありばあちゃんの孫である島田洋七師匠(芸人の間ではたしか師匠と呼ばれている)は、1冊目はともかく続編等で書いている後発のエピソードは全部創作だと何かの記事で告白している。
それを言ってしまうのが芸人らしいというか潔くて笑えるのだが、たとえでっちあげでもそれで感動できるならめでたいじゃないか。私は「おもろいやん」の一言で包み込むことにしている。


好きなシーン

好きなシーンがある。
作品の前半、OZの影響で現実世界が大混乱に陥った際、栄おばあちゃんが方々に電話を掛けまくるシーンだ。
年賀状を机の上に広げて、黒電話であちこちのつてに連絡しまくる。

何のためにあんたたちがいる。
今動かないでいつ動く。
あんたならできる。

これほど泣けるシーンがあるだろうか。
栄おばあちゃんの言葉には、私がこれまでカスタマーサポートの仕事をする中で形成してきた1つの価値観・信条と通底しているものがある。

カスタマーサポートは日々のお問い合わせ対応やヘルプページの更新といった定常業務だけでなく、インシデント(システム障害など)発生時の顧客対応も行う。
社内でトラブルや大規模インシデントが発生したとき、「ご迷惑をお掛けしてすみません」とエンジニアや他部署の人から謝られることがよくあるのだが、私は「いえいえ、そういうときのために私たちがいるんです」という気持ちでいる。(本当はちゃんと口に出して伝えた方が良い…)
もちろん、インシデントで急激な負担が生じているのはたしかなので、てんやわんやした状態に「あ~だるっ」と感じる人はいるし、私にも少なからずあるだろうし、その気持ち自体は否定しない。

でもそれ以上に考えるのは、自分たちが何のためにいるのかということ。
顧客対応の最前線に立つプロフェッショナルとして、むしろそういった緊急事態こそ『カスタマーサポートの出番であり、1つの力の発揮のしどころ』なのだ。
「何のために俺らがいると思ってる。フロントはこっちに任せてお前らはそれぞれの持ち場に集中しろ!」
それくらいの気持ちを持ってチームとして働けるのが最高だなと、私は思っている。

そして、これは決して会社や特定のプロジェクトという枠組みだけでなく、社会全体にも言える。
私たち大人は、1人1人曲がりなりにも何十年もの経験や知識を積み重ねてきている。大なり小なり力や影響力も蓄えている。
その経験や知識や影響力をいつどう使うのか?というのは、本当に人が試される瞬間だと思う。


サマーウォーズ上映は8月10日(木) まで!

書きたいことが膨れ上がってしまい、気づいたら上映期間の前半が終わってしまったが、今夏の特別上映は来週の木曜までだ。
上映館・上映時間ともに限られているので、早めに最寄りの劇場をチェックしておくことをおすすめする。


先日の私は昼間の時間帯に観たので、上映が終わって映画館を出た瞬間

  • 真っ青な空

  • ギラギラの太陽

  • ムッとする熱気

が迎えてくれた。まさに

£££ 夏 £££

だ。
みんなもぜひ昼間の時間帯を狙って、最高の夏を劇場で味わってほしい。
(ただ、今気づいたが台風カーヌンの影響でどうやら全国的に天気が悪くなるらしい…くぅ)


'23/08/06 最終更新

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