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チームや会社で働くときに回避したい「しょうもなさ」

「しょうもなさ」に陥らずに働くことについて、書いてみる。

私がこういった大切さに気づいたのは、情報・気付き・アイデアの積極的な共有を推奨するカルチャーを持つ会社に身を置いた経験があり、そのカルチャーを全身で浴びたことが大きいと思っている。

 

 

どこを向いてバチバチすべきか

社内で軋轢が生まれることは珍しくない。
意見がぶつかることもよくある。

そんなとき、何を大切にバチバチすればよいのか。
バチバチを避けるあまり「しょうもない」空気読み状態に陥っていないか。
忘れないでいたいことがある。

 

私はカスタマーサポートとして、お客様と社内の開発部署等の間に立つ経験をしてきた。

会社の顔として、お客様からの質問や不具合修正依頼に応えるわけだが、
社内の関係部署から返ってきた回答が、お客様に伝えるにはあまりにも不親切で明らかに合格ラインに達していないことも時々ある。

「仕様です」と一言で切り捨てるのは簡単だ。
苦情を言われるかもしれないが、右から左へ流せば傷つかずに次の業務に取りかかれる。

 

ただ、お客様の視点と社内の開発側の視点の両方を理解できる立場として、明らかにお客様の視点を的確に捉えられていないと感じるとき。

そんな、カスタマーサポートとして簡単に譲ることはできないとき、
私は何度でも食い下がり、闘うのである。

一緒に働くチームメンバーもそういった意識を持っていた。

こんな回答はできない。
今回の事象はこうこうで、開発の意図としてはそうかもしれないが、サービスを利用するお客様目線からするとこう動くだろうというのは当然の期待であり、そこに対して何も処置を施さないのはありえない。

と。

 

このとき忘れてはならないのは、このバチバチは『社内のけんか』ではなく、
『社外に何かを送り出す前の練り上げ・攻防』であるという意識だ。

私たちが日々業務にいそしむのは何のためか?どこを目指しているのか?といえば、
それは製品やサービスを使ってくれる「ユーザー」であり、そのユーザーたちの集まりである「社会」であり、その社会が向かう「未来」だ。

バチバチし合ってはいるが矢印は互いに正対しているのではなく、
両者ともその「ユーザー」・「社会」・「未来」に向けて伸びているのである。

 

社内の雰囲気を取り繕うことばかりを気にして、一番価値を届けるべき相手にいいものを届けられないのは、本当にしょうもない。

逆に言えば、社内のみなが最終ゴールさえちゃんと共有していれば、同じ方向を向いて議論ができる。
バチバチしたところで、簡単にチームワークは壊れないのである。

 

 

テクニックを囲うほどしょうもないことはない

以前働いていた職場で同僚何人かと話していたときのこと。
こんなやり取りがあった。

A:え~それすごいね。やり方共有したら他でも役立ちそうだね。
 
B:共有はしない。だってみんなできるようになっちゃったら私がここにいる意味がなくなっちゃうからね。

※ニュアンスでしか記憶していないので細かな言い回しは違っている可能性あり。

 

私はBの発言を聞いて凍りついてしまった。

その場で直接言葉にして表明することはできなかったが、「こんな考えの人この会社にいたんだ・・・」と内心ドン引いたのだ。
本質を見落としているし、会社のカルチャーとも真反対の姿勢だった。

これはつまり、社内における自分の優位性を保つために、情報やテクニックをあえて周囲には共有せず自分だけのものにしておく、という考え方である。

 

これがいかによろしくない考え方であるかについて、私の考えを述べよう。

※自明ではあるが「情報やテクニック」とは、特許や企業秘密に該当するような高度な知財関連を指しているわけではないことは念のため断っておく。

 

 

1.(中長期的に)職を失う可能性が高まる

まず言えるのは、目先のことしか考えていないとても短絡的な視点であるということだ。

情報やテクニックを囲って得られるのは、本当に短期的でかつ社内という小さな世界での優位性だけである。
もちろん、世の中のほとんどの人にとって日銭を稼ぐことは重要任務であり、今の職と給料をキープすることは軽んじられるものではない。

 

しかしながら、次は「会社」という粒度でよく考えてみよう。

社員がナイスな情報やテクニックを共有しないことにより、会社全体としてレベルが上がりづらくなる。
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そうこうしてる間に、良いカルチャーや土壌のある競合会社は同じような情報やテクニックをいち早く社内で共有し、会社としての競争力をつけていく。
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結果的に、さきほどの会社は競争力や活力を失い業績が悪化。
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給料やボーナスのカット、リストラや倒産により、社員の職や収入が脅かされる。

 

このように、中長期的には自らの職を危うくする危険性を秘めており、あまり賢いやり方とは言えないと考える。

 

 

2.個人や組織の成長に繋がらない

情報やテクニックを自分だけの秘密にしてしまうのは非常にもったいない。

いいものは積極的にアウトプットしてフィードバックをもらい、周囲を巻き込みながら盛り上がっていくことで、自らの成長にも繋がる。

 

情報やテクニックを公開することで、その瞬間にその人と周囲の社員が同じ一直線上に立つかというとそうでもない。

それを「知っている」ことと、それが「できる」ことは明確に違うからだ。

もし、知ってすぐにできることであれば、みんなに共有してすぐにでも社内全体のレベルを底上げした方がいい。
もし、知ってもすぐにできないことであれば、それを知ってこれまで実践してきたあなたの優位性・価値は、共有したからといってすぐには揺らがない。

 

そして前者だった場合、みんながすぐ再現できる程度のものだったということだし、そんなものにバカみたいにしがみつく時間が短くなってよかったというものだ。

囲い込んで武器だと思っていたものは、いつの間にか陳腐化してしまう。
時代遅れになりいつの間にか自分の成長の足かせになってしまうこともあるだろう。

仕事も人生も、「執着」はときに身を滅ぼすのである。

 

 

3.評価に繋がらない

2とも繋がるが、いいものをしっかりと発信できる人はきっと評価されやすい。
会社全体のレベル底上げにもなるし、能力を持っていることを周囲が認識できる。

 

どんなことを考えているか、何を強みとしているか、最近仕事でどんなことがあったか。

オンラインでもオフラインでも、人は何かしら発信されたものから相手の姿を読み取る。
刺激を受け、コミュニケーションが活発になる。

 

そんな風に組織のパフォーマンスや楽しさを最大化してくれる人に、同僚は魅力を感るし、マネージャーは評価や期待をしやすいのではないだろうか。

 

 

4.仕事が楽しくなくなる

仕事に求めるものは人によって千差万別なため、一概には言えないことは知っている。
ただ私は、情報やテクニックを囲い込むような考え方をしていると、仕事そのものがつまらなくなると思うのだ。

 

会社の中で働くよさって、組織でいることのよさってなんだろう?と考えたとき、
「化学反応」だと私は思う。

もちろんフリーランスが集まって何かのプロジェクトを立ち上げても化学反応は起こせる。
でも、日頃から1つのゴールに向かって汗を流している仲間同士で化学反応が起きたときの喜びや興奮は、なかなかに代えがたいものがある。

 

そして、化学反応を起こすのに積極的なアウトプットは欠かせない。

情報やテクニックを囲って一時的には優位性を保ったつもりでいても、
それは化学反応の機会を奪い、あなたが活躍する・パフォーマンスを最大化するチャンスを奪い、働く喜びを自ら奪っている。

 

 

以上、備忘録も兼ねて書いてみた。おわり。

 

'21/09/05 最終更新

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