食べることに対する複雑な感情
自分にとって「食べる」ことは、幼い頃から現在に至るまで、複雑な感情を呼び起こす行為だった。
食べることが怖い。
食べることに対して、謎の罪悪感がある。
食べることで、誰かから奪っているような気がしてしまう。
食べないでいられるなら食べないで済ませたい。
とにかく面倒くさい。
出来ることならプラーナ(気)の交換だけで生きたい。
それなのに。
自分のnoteのヘッダー画像はチョコレートの画像、製菓のマガジン記事を書き、ツイッターのタイムラインはほぼ美味しいものの話で埋め尽くされている。
「食べているときは、すごく生き生きしてるよ」と他人から言われる自分がいる。
四六時中、美味しいもののことを考えている自分がいる。
四六時中、食事の献立のことを考えている自分がいる。
食べることが大好きで、美味しいものが大好きで、食べることばかり考えている自分。
そんな自分を責め、不食に憧れる自分。
その2つに、いつも引き裂かれている。
*
幼い頃、食べることに関して、親からエネルギーを奪っている感じがずっとしていて、それがどうしようもなくつらかった。
それは、自分の栄養摂取という意味での食体験の始まりが母乳を飲むことから始まっていることとリンクしていたのかもしれない。
下のきょうだいが生まれて、母親から言われた言葉がある。
「〇〇(きょうだいの名)の分の母乳が出なくなったのは、あんたが飲んでしまったからだ」
その頃、自分はとっくに離乳していた。
母のロジックでは、一生に出せる母乳の量は決まっており、そのうちの大半を第一子である自分が飲み尽くしたので、きょうだいの分が出なくなった、ということらしかった。
申し訳なくて、消えたかった。
自分は丸々と肥え太った子どもだった。
そして、お腹を頻繁にすかせては、親に隠れてこっそりクリープ(コーヒーや紅茶に入れるミルクパウダー)を食べたりしていた。
絶対にバレていたと思うけれど、親は何故か放置してくれていた。
丸々と肥え太っていて、食べては腹を減らす自分が嫌だった。
「この、穀潰し!」という罵倒が食べるたびに心の中に響いていた。
ただでさえ、胎児の頃から消えたかったのだ。
自分がいなかったら、明らかに親は楽だろうと思えた。
親が食べさせてくれるのに、食べることを拒否することも多々あった。
親は困り果てて、自分を宥めすかして食べさせたり、時には食わず嫌いを叱ったりしていた。
親を困らせたり怒らせたりしたいわけではなかった。
ただ怖くて申し訳なくて嫌で、身体が固まるだけだった。
それに、口の中の感覚や味や匂いがしんどいときもたくさんあった。
でも、親が困るのが嫌で、親を喜ばせたくて、頑張って食べているうちに慣れて、大丈夫になった。
食べると、親が喜んだりホッとしたりするので、それが嬉しくて食べるのだった。
何かを食べて、それが心地よくて思わず自分の顔がほころぶと、親はとても喜んで、
「美味しいね」
「美味しいね」
と口々に言っては微笑み、喜んだ。
そうやって、みんなが「美味しいね」となる瞬間が、とてつもなく嬉しかった。
食卓に並んでいる食べ物を、みんなで食べて「美味しいね」と微笑み合う瞬間が、嬉しくて、たいせつだった。
我が家族にとって、「美味しいね」を分かち合うことはとても重要だった。
両親ともに美味しいものが好きで、特に父は「美味いものが食べたいなあ」が口癖だった。
母が主に日常の料理を担っていたが、父も時々料理をしていた。
家にはレシピ本が溢れていた。
また、アレをこうしたら美味いんじゃないか、というアイデアの交換が家族のなかで頻繁に行われ、実際に試されたりしていた。
自分の、四六時中食べ物のことばかり考える癖は、そんな家庭環境によって培われたのかもしれない。
*
こうやって、食に纏わる感情の記憶を振り返ると、思い出すのは子どもの頃の親との関係のことばかりだ。
食べ物の味わいや、味わったときの感動の記憶は、まるで思い出せない。
自分が美味しいと感じるかどうかより、親が喜ぶかどうかばかりを気にしていたのだと思う。
自分の、食べることに対する複雑な感情の反応パターンは、この、幼少時の家族との人間関係の体験にルーツがあるような気がする。
幼い自分にとっては、「美味しい」はどうでもよかった。
「食べる」自体がどうでもよかったし、ないほうがマシだったし、なんで「食べる」のか意味がわからなかった。
ただ、親や周りに喜んでほしかった。
それだけが、幼い自分にとってのすべてだったのだと思う。
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