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2019ITUポンテベドラLD世界選手権日記【その③試合当日編】

5月4日(土)試合当日

時差ボケが治りきってないので3時頃に目覚めてしまうが、逆に好都合。しばらくうつらうつらして4時に起床。持ち物を再確認する。前はいつもフレームにジェルを貼りまくっていたが、昨年の五島から山室さんにあやかってボトルに全部ぶち込む作戦に変更した。今回も180kcalのジェル6本+100kcalのジェル2本で合計1,200kcalオーバーで満杯にした。これで足りなければエイドで配ってるジェルをもらう予定。

まずボディナンバータトゥーシールを貼り付ける。最近は五島でもおなじみのやつなので問題ない。違うのは2点、スイムキャップにも番号を貼るのと、ふくらはぎの一方にエイジクラス(M50)を貼ること。

カラーのロゴも入っててなんかゴージャス
これで試合中「どういう人に抜かれたのか」丸わかり

あとは股ぐらにシャモアクリームをたっぷり塗ってジャパンの公式トライスーツを着込んで気合いを入れる。しかしこれはセパレートじゃないのでトイレに行くのが面倒なのが気にかかる。

五島や宮古と同じく、ホテル側で早朝用のランチボックスもといブレークファストボックスを準備してくれている。中身はサンドイッチとりんごとチョコクッキーに水。結構まともな量があったが、もちろん足りないので買い込んでおいたおやつを追加し、さらにジェルやら粉ヴァームやらBCAAやらを摂っておく。

昨日バイクバッグに入れ損なったヘルメットも被り、バスに乗り込んでいざ出陣。五島と違うのはバスのクオリティが異様に高いという事。

でもやはり皆緊張して誰も何も言わず、まだ真っ暗な道をポンテベドラへ。

バスを降りると、そこらの電光掲示には気温7度の表示。いや、ある程度早朝気温が下がるのは予想してたけど、一桁というのは想定外。夜露は降りてるし、息も白い。これはほぼ冬じゃないか!?

寒い。空も凍てついている

つべこべ言ってもしょうがないので、バイクラックにて最終チェック。ガーミンのスイッチを入れてセンサー動作を確認しておく。最初「Working...」表示のままなかなか進まず、ヒヤヒヤしたが無事起動してくれた。

まだ時間はたっぷりあるが、何しろ寒すぎる。最終的にウエットを着て、他のものを全部緑バッグに入れて預けてからスタート整列に行く事になるが、その前にスイムが短縮になるかどうかが問題だ。発表は7時の予定だったが、競技場の外にいたせいか、時間が過ぎても何も聞こえてこない。

しばらくして中から出てきた人に「なんか言ってました?」と聞くと「あー短縮です。スイム1500。」と呆気ない答え。「ヨーシ!」「やったー!」と喜んでいると中島コーチが「なんで喜んでんですか!」いやいやいやそりゃ喜ぶでしょ。

もともとのコースは、一旦川下に向かって500ほど下り、折り返して川上に1500、再度折り返してスタート地点に戻ってくる一周回だったが、短縮によって川下側が無くなり、川上側の750を往復することになった。

また、それに伴いスタート時刻も繰り下げとなり、エイジM50以上は9時20分となった。

となるとまだまだ時間がある。とりあえず緑バッグ預け場所を確認しておこうと、Y山さんと一緒に移動。建物に入ると廊下で寒さを凌いでる選手がたくさんいたのでそこで待つことにした。

寒さ対策のためにY山さんは頭をすっぽり覆うキャップ、ホットクリームにさらにダイビング用ソックスまで準備して抜かりない態勢。自分も一応スイムキャップ二枚(五島のやつ+今大会のやつ)に耳栓も追加し、さらにホットクリームの一番効果が強い(真冬の気温0度対応)やつを持って来た。

しかし、試しに手の甲とかに塗って見たが「本当に効いてんのこれ?」という感じ。まぁしょうがないので信じて塗るしかない。

しばらく待ってトイレももう一度済ませ、応援の嫁さんも三たび合流したので手伝ってもらってウェットを着込む。手足と背中を中心にホットクリームをしっかり塗りたくっておく。やはり効いてるんだかどうなんだかよく分からないが、ウェットも着込んだのでもうあんまり寒くない。公式発表では気温9度、水温14.1度だったとのこと。

実はTOの8木さんに教えてもらったITUの公式ルールでは、気温9度+水温14度だった場合、スイムキャンセルに該当する。しかし邪推するに、地元の英雄ハビエル・ゴメスまで来ている世界選手権でスイムキャンセルでは格好がつかないから、水温を0.1度盛ったのではないかと思っている。まぁそんなことはどうでもいい。泳ぐと決めたら泳ぐだけだ。

いよいよスタート待ち整列の方へ移動する。会場ではアップテンポのロックが大音量で鳴っていてアゲアゲのMCがさらに気分を盛り上げている。ちょうどスイムアップからトランジットエリアに向かうコース手前に来た時、大歓声と共にエリート男子が上がって来た。先頭はやはりゴメス。ついに観た生ゴメス(笑)だったが、「前から」見たのはその一瞬だけだった。

エイジM45以下がまずコールされ、スタートしていく。上から見ていると結構集団のばらけ方が激しいというか、遅い人はいくらでも居るという印象。人数と面積からするにそんなにバトルは心配しなくても良さそうだ。

でも一応気持ち前の方でスタートしておきたいので先頭に近いあたりに陣取って列を進む。

いよいよM50がコールされ、スタートの桟橋に移動する。実際のスタートは川に入ってブイの間からフローティングになる。Y山さんと健闘を誓ってガッチリ握手をし、覚悟を決めて川に飛び込んだ。

スイム+T1

行って帰って1500

こんな水温の水に飛び込んだ経験はもちろんない。確かに猛烈に冷たい。ウェットのおかげで体幹は大丈夫だが、手足の冷たさがハンパない。とにかくバタバタとスタートのブイ付近へ移動。すでにいつもの「やめときゃ良かった」「でももうどこにも逃げられない」の思いが交錯する。

上流からの流れは思ったよりあって、少し前に進む感じで立ち泳ぎしないと川下に流されてしまう。飛び込んでからスタートまでは随分早いと聞いていたが、整列するまでしばらくのタイムラグがあった。

「On your mark!」「プワ〜」で一斉にスタート。やっぱ本場のOn your markはカッケーなぁ、などと考えながら必死で進む。あまりの苦しさで過呼吸になりそうだったが、復帰したばかりの頃と違うのはそれに気づけることだった。息を深く吐くことを意識して、あえてストロークを弱めて力を抜いた。こんな状況だとタイムがどうのと言ってられない。生きてスイムアップすることが最も大切だ。

思った通り、バトルはほとんど発生しなかった。これは助かった。ただでさえきつい状況でガチムチの西欧人にボコスカやられたらたまったもんじゃない。それにしても先頭はあっという間に見えなくなって、自分がどの辺にいるのか全くわからない。とにかく黄色ブイを右に、オレンジブイを左に見ることだけを考えてただひたすら冷水を掻くが、いつまでたっても一つ目の橋が近づいてこない感じだった。

やはり思った以上に川の流れに流されていたらしく、後で聞いたらみなさん普段のタイムより3割くらい遅かったとのこと。

いつものことだが、10分くらい苦しんでたらだんだん感覚が麻痺して状況に慣れてきた。あとはもう無我夢中で進んでいた記憶しかない。

ようやく橋の下をくぐり、左にゆるやかにカーブしながらさらに上流を目指す。時折へんな方向に進んで来るやつと腕がぶち当たったりしたが、大したことはない。もしかしたら自分が変な方向に進んでたのかもしれないが、一応後でGPSの軌跡を見たら蛇行はしているもののそんなにメチャクチャでもなかった模様。

そこから折り返しまでがまた遠かった。感覚的に30分以上かかっている気がした。折り返し近くの水域には魚がいっぱい泳いでいて、なんだか幻想的な光景だった。

ようやく折り返しにたどりつく。まだ体は大丈夫。これでもう後は流れに任せていけばスイムアップはできそうだ。しかしこの辺から5分後、10分後にスタートした女子の速い選手がガンガン抜いて行くのがわかる。自分はなんとか普段通りにストロークすることを意識するのが精一杯。

復路はやはりだいぶ速く進んで、記憶ではあっという間にスタート付近まで戻ってきた。事前に中島コーチから聞いていたとおり、最後のオレンジブイを回ってから流されないように階段よりも上流を目指す感じで。なんとかスイムアップにたどり着いた。

階段を上る時に自分が思いの外フラッフラになっていることに気づいた。体が斜めになってこけそうになるのをギリギリで凌ぐ。普段からスイムアップしたらすぐ走れるように練習しているのが良かったかもしれない。

実は脚フラフラでよろめいている

トランジションへ向かう絨毯上を必死で走る。途中嫁さんが応援してくれているのがわかったのでかなりハイテンションで声を出して通過。とにかく生還した。もう半分終わったも同然だ。

途中でガーミン不死鳥先生のことを思い出して競技場に入ったあたりでスイムアップのラップを押した。44分というのが見えてゲンナリ。遅いとは思ったけど5割増しとは・・・

着替えテントはもっと混んでるかと思ったが、速い人たちはとっくに上がってるから割と空いている。体は寒さでガチガチだったが、動けないほどではない。素早くウェットを脱ぎ、ジェル吸ってソックス履いてバイクシューズ履いてヘルメット被り、走りながらメットのシールドをつけ換えてグローブをはめる。

バイクラックに行くと、思った通りガラガラ。まぁしょうがない。ガーミンのスイッチを入れてバイクスタートに向けて走る。マウントラインで腕の不死鳥先生のラップを押してバイクスタート。だいぶ頑張ってT1のタイムは7分台に収められた。

バイク+T2

バイクコースは、まず川沿いの市街地内の公園のようなところをクネクネと曲がりくねって周回したあと、山岳コースに入る。その後はもうひたすら山岳。もちろんそんなに酷い勾配のところは一箇所ぐらいしかなかったが、ずーっとアップダウンの繰り返しだから非常にきつい。

だいぶややこしいコース。これを三周

序盤のどこかで、もうすでに一周目を終えてきたトップの選手に豪快に抜かれた。真っ赤なスペインのトライスーツ。背中に「GOMEZ」の文字。ゴメスだ!!今俺は、あんなエリート選手と同じコースを走っている・・・!!て言うか、俺こんなに遅くて、ゴメンッス・・・(やめろー)

その後もありえない速度差で欧米選手がガンガン抜いて行く。なんなんだあれは?モータードーピングか?そんな状況だから、序盤は抑え目に行こうと思ってたのに、ついつい踏みすぎて300W以上出してしまったり。

予想はしていたが、冷水スイムのあと濡れた状態で走ってるので非常に寒い。ひなた+登りなら体があったまるが、日陰+下りだとガタガタ震えが止まらない。もういいから登りになってくれ〜!と思ってしまうほどだった。

しばらくダラダラ登りをこなしたあと、右に鋭角に曲がって激坂が始まる。ログを見ると最大13%ぐらいだった。そこはギュッと登ってちょっと下りたところですぐUターン。

その後平均5%ぐらいのダラダラ登りをしばらくこなしたあと、エイドがある。1周目はまだエアロボトルとジェルボトルだけで全然補給が要らない。そこをまた鋭角に右折してさらに貯水池のある最高標高地点へ向けてグイグイ登って行く。

その先へまた一山越えてガーッと下ってまたUターン。同じコースを戻り、さっき鋭角に曲がったところでさらに北へ向かい、数キロ行ってまたUターンして来た道を市街へ戻って行く。

欧米人の選手層は非常に多岐にわたっていた。猛烈に速い連中は異常な速さでかっ飛んで行くし、一方で「アンタどうやってクオリファイしたの?」と言いたくなるような巨体でポタリングしてる人もいるし、もちろん自分とほぼ同じペースで抜きつ抜かれつになる人もいる。

地元のスペイン人が最も多く、それと同じぐらいアメリカ人、そしてイギリス人。その3国が実に多かった。日本人は10人に一人だから時々見かける、という程度。2周目でエリート女子の西岡さん、3周目で同じく稲葉さんに抜かれた。彼女らは今年の宮古で女子2位・3位の強Gouだが、後で聞いたら彼女たちですら散々だったそうだ。

後半は下り基調だが、周りも異常に速い。時速60kmぐらい出してるのにさらにぶち抜かれるとか、どうかしている。

貴重な(笑)エアロポジの写真

市街地まで戻ってきたあと、一旦川沿いをスタート地点から反対側まで走ってまたUターン。歩行者保護のために車を減速させるためのバンプがあるのでいちいちエアロポジションを外さないといけない。

この辺になると声援がすごいことになってくる。ゴール手前のところで周回は左、バイクフィニッシュは右の表示がある。周回カウントは自分でやらないといけない。間違えると当然DSQになってしまう。もちろんガーミンを動かしてるから間違えようがないが。

2周目になって、さっきより北風が強くなって来た。この頃はまだ力が残っていて200W目処で頑張れたが、相変わらずアメリカ人・イギリス人をメインに異常な速さで抜かれまくる。その頃になると自分と同じか若いエイジクラスのみならず、M60とか場合によっては鶏ガラみたいな脚の(失礼!)F60の人にまで抜かれるようになってきた。これはショックだった。

2周目のうちはエアロボトルとジェルボトルだけで補給をこなしていたが、残量からして3周目には足りなくなることが予想されたので、2周目後半のエイドで水ボトルとジェルをもらっておく。ジェルはココア味の変なやつだったが、カロリーが摂れりゃなんでもいい。

この辺りで大腿四頭筋がピクピクし始める。大したパワー出してるわけでもないのに情けないが、こうもアップダウンばかりだと仕方ない気もする。しかしそろそろランに脚を残すことも考えないといけない。

市街地はバンプがあるので慎重に

3周目に入っても依然として猛烈な速度差で抜いていく奴らが一杯いる。しかしここでふと思った。こんな時間帯に自分を抜いて行くってことは、こいつら俺よりさらにスイム遅かったってことじゃん?ププッなーんだ大したことないじゃん?みたいな(自慢にならない)。

また大盛り上がりの市街地を抜けて最終周回へ。序盤はある程度選手が固まってるエリアもあって、ドラフティングには気をつけていたが、終盤はもう全体にバラけていてドラフティングしようにも周りに誰もいないような状況も増えて来た。

時折前と近づきかけてる時にオフィシャルのモトが来るとちょっと緊張したが、5車身しっかり空けるようにしていたので無問題。後で聞くとやっぱり国内大会より厳しかったようで、日本人でペナルティを取られた人もいたらしい。

3周目のダラダラ登りは本当にキツかった。もうきちんとパワーを出すこともできなくなり、ペースも明らかに落ちている。でもここで無理をするとランで潰れるから、ぶち抜かれても焦らずマイペースで。

最後の市街地が近づいてくると、いつもの「ああ、後ランやったら終わってしまうのか」という安心感と寂しさがないまぜになった不思議な感情が沸き起こってくる。

最後の分岐を右に折れてバイクフィニッシュのトランジットエリアへ。慎重に減速してディスマウントライン手前で停止。すばやくガーミンのストップボタンを押してボランティアのバイクキャッチャーにバイクを渡し、「グラシアス!」と声を掛けてテントに向かう。

メットを脱いでジェルを吸い、ゼッケンベルトつけてソックスはそのままランシューに履き替え、グローブ取って全部袋に入れてランコースへ。競技場を出るところでタイミングチップのマットがあったのでそこで不死鳥先生のラップを押す。T2は3分台とまぁまぁ優秀だった。後はラン30キロを残すのみ。

ラン~ゴール

ランコースもだいぶややこしい。7.5キロ周回を4周

ロングディスタンス世界選手権もついにランを残すのみとなった。日差しが出てきて、ジワリと暑くなり始めている。ロングと言ってもフルじゃないので30キロ持たせればいい。まずは抑えめに・・・と思って入ったが、やはり気分が高揚しているせいかいきなり4分台の中盤が出ていてびっくりする。そんなに速く走ってるつもりはなかったのだが。

しかし、周囲の観客の声援(ラテン系のノリ)はすごいし、実況のMCもアゲアゲだしで、この雰囲気で落ち着いて抑えるとか、無理!

もうこうなったら潰れるの覚悟で押して行くことに決めた(ある意味負け)。キロ5切りを目処にガンガン行く。当然周りを結構な頻度でぶち抜いて行く感じ。バイクの終盤で抜いて行った人を少しずつ回収して行く。

まず最初に川沿いを少し走ってからスイムでくぐった橋を渡って左側へ行き、森の中の非常に美しいコースへ入る。思わず「ええコースや・・・」とつぶやいてしまう。ダートのシングルトラックみたいなところもあるが、固く締まっていて走りやすい。木陰もあるし、とても気分がいい。

一周してまた橋を越えて反対側に戻り、遡上する形で少し行ってから折り返し。エイドは2キロ以内に一箇所ある感じで、充実している。前半はずっと水を取って飲んでは被りで体温上昇を抑える。

トランジションの陸上競技場まで戻り、一旦トラックを半周走ったあと裏に抜けて旧市街の方へ入っていく。ここがまた風情のある街並みで、しかもビール片手に飲みながら応援してる地元民の皆さんの熱気がものすごい。口々に「Vamos!!(行け!レッツゴー)」「Animo!!(意味は「魂」だけど要するに「頑張れ」)」「Venga!!(意味は「来い」だけど要するに「行け」)」などと大騒ぎ。

これだけやられて盛り上がらないほうがどうかしている。日本の選手も見つけてはお互いにエールを交換して力をもらう。国内の試合と違って仲間が大量に居る感じがする。

しかし、このあたりに実は(ランにしては)かなりの激坂が待ち構えていた。3段責めのように勾配がきつくなり、これは4周目には地獄をみるぞ・・・と思われた。

この辺は日陰だったが・・・

1周目を終えてゴール付近に戻ってきたら、嫁さんが応援しているのを見つけた。と、その横にY山さんが!?「なんでY山さんそこにいるのーッ」。後で聞いたらなんとスイムの途中で両脚を攣ってしまいタイムアウトだったとか。何にせよ「これはいかん、Y山さんの分まで頑張らないと・・・」とその時は思った。

2周目の途中までもまだ力はあった。どんどん前の選手をぶち抜いていく。12キロあたりまではまだキロ5をキープしていたが、当たり前だが次第にきつくなってくる。それでも2周目までは淡々とこなして全体アベレージが5分ちょいぐらいで戻ってきた。後2周!

3周目。日差しがますます強まってきたが、前半の森の中はまだ力が残っていたのでやはり前の日本人選手に声をかけつつ、地道にパスしていく。

しかし、それも19キロまでだった。20キロ地点でゴール前に戻ってきたあたりから急激に脚に来た。キロ5分半〜6分手前まで落ち、その後の旧市街の激坂にやられて6分台後半まで落ち、この辺りで気持ちが切れた。そして日差しはさらに強くなり、歩き出す選手や木陰で倒れる選手まで出始める。エイドごとにしっかり水を被り、さらにオレンジを貪り食ってクエン酸を補給する。

なんとか3回目のゴール地点まで戻ってきたが「あと一周あんのかよ!」という思いと「あと一周で終わってまうのんか!」という思いが交錯する。

それ以降はかろうじて7分を切る程度、完全にジョギングモード。さっき抜いた人にも抜き返される有様。でもこの辺りになってくると周りも暑さにやられてヘロヘロになっているので、みんな似たようなもの。

再度競技場を抜けると、次から次へとゴールしてる選手たちが居る。もう時間が何分なのか気にするのはやめた。最後の旧市街、応援はさらに盛り上がり「ジャパーン!ガンバッテー!!」などと日本語も織り交ぜて熱狂的だ。身体はもうボロボロだったが、そこらじゅうでハイタッチをしながら「ああ、こんな素晴らしい経験ができて本当に幸せ」と思いながら走り続けた。

市街を抜けて川沿いに出るといよいよ残り1キロもない。最後だけは少しはマシなペースに戻そうと思ったが、6分半が関の山という有様。ゴールは競技場に入ってホームストレートでUターンしてから。ここだけは恥ずかしくない走りをしようと最後の力を振り絞った。

うおっしゃあああぁぁぁ

ゴール。振り向いてキャップを取って一礼するとスタンドから大きな声援が沸き起こったのが聞こえた。

ゴール後

トライアスロンはもう何度も完走してきたが、今までで最も嬉しいメダルを掛けてもらった。ゴール裏のエリアに抜けていくと、先にゴールした日本選手達が待っていてくれて「おめでとう!お疲れ様!」と口々に祝福して握手を交わす。みんな「キツかったですね!」「でも良かった!」「よく生きて帰ってきたよね!」とお互いの健闘を称え合う。最高の瞬間だった。

総合タイムは8時間1分25秒と、目標としていた7時間半には遠く及ばなかった。でもそんなことはもうどうでも良かった。最高の舞台で力を出し切ったんだから・・・

しばらくゴールしてくる選手達を迎えた後、緑バッグを回収して完走Tシャツを受け取り、バイクとトラバッグをピックアップして嫁さん、Y山さんと合流。スイムで何人もリタイヤがあった話、ゴメスのゴールでスタンドが大盛り上がりだった話、応援していてもすごく楽しかった話などを聞きながら、早く宿に戻ってバイクをバラさないといけないのでそそくさと会場を後にする。名残惜しいけど、表彰とかには縁がないから気楽なものだ。

なかなか凝ったデザイン(意味はわからない)

ホテルに着いて一息入れたあと、すぐにバイクのパッキング。正直これが一番辛い。でもこれを済まさないことには日本に帰れないんだからしょうがない。

また2時間近くかけてなんとかパッキングを完了。8時過ぎだが、ちょうどレストランが開き始める時間。せっかくの最終日なので、良いめのレストランに行こうということで、情報を貰っていた一軒目のレストランに行ってみると予約で満杯。それではと二軒目に行くとそこは「11時までなら大丈夫です!」とのことで、流石に高級レストランだけあってウェイターさんは英語もちゃんとできる。安心して前菜とお肉を頼んでビールで乾杯。異常な美味さだった・・・

しかし諸々感傷に浸っている暇はなく、すぐにホテルに戻ってパックしたバイクをトラックに預けないといけない。時間はギリギリだったが、どうにか間に合った。

こうしてポンテベドラのロングディスタンス世界選手権はすべて終了した。あとは翌朝荷物をまとめて帰国するだけだ。

帰国・総括編につづく


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