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認められたいだけかも

昨日、最近のもやもやをつらつらと書いたけれど、また今日も新しい種類のもやもやを見つけたので、その正体に迫っていきたいと思う。


今日は、美人で仕事ができる、お姉さん的先輩がいらっしゃった。たまに姿を見せるその先輩は、頑張ったら頑張った分だけ「よく頑張ったね、ありがとう。助かったよ。」と声をかけてくださる。しかも満面の笑みで。新しい先輩像だった。ちゃんと、私を、私たちを育てようとしてくださる。それが、すごくすごく嬉しいし、この人と一緒に仕事ができたらどんなに幸せだろうと思う。


でも、その先輩を前にすると、なんだか張り切りすぎてしまう。できるところを見せようと、『疲労』という単語を頭から消したように動けてしまうのだ。今日の私には、自分でも驚いている。人手を求められたら、コンマ一秒で手を挙げたし、なぜか進んで洗い物をした。

正直、私がしなくていいことまで背伸びをしてするのは、自分の感情を押し殺しているみたいだ。、と、帰りの自転車をこぎながら悲しくなった。


でも、大好きな人たちがいる現場で、私がどんな人間か知らない人が多いけれど、「あのこ頑張ってるよね」と見つけてもらいたい、それだけなのだ。


これが異常な感情なのか、誰かに教えてほしいとすら思う。


でもね、憧れの人の前で身を粉にして働いても、「私、将来舞台に関わって生きていきたいんです」とはいまだ口に出せてない。自分の無力さは、自分が一番知っているからだろうか。


仮に、私を否定してくる人が現れたら、私はきっと泣いてしまうと思う。「こんなに頑張ってもだめなのか」と。この気持ちがこぼれないように、今日も必死だった。


何だか、自ら沼にはまっていったようでややこしい。
けれど、演劇は「まだ」大好きなままなのである。

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