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私を顕す一冊

「夜市」 恒川光太郎 生きるということについて 生きる渇望や生きる絶望が在りました そこへは選択を繰り返して辿り着いて行きますが それすら道半ばなのかもと想います 大きな振り幅で揺り動く 出会いは夏のフェアの平積み 表紙に惹かれて手に取りました 何度か手放しましたが 手元に戻ってくる稀有な一冊です 離そうとしても離れない そんな一冊をnoteの1ページに 記録します

    • 付箋と私

      読んだ本に貼付する付箋の話です。 今まで付箋の活用方法は「メモを残す」という意味合いが多くありました。 本の活用では栞が殆どで、印象深いところにも、栞やカバーの折り返し部分を使用していました。 「一時的」な意味合いが多くありました。 昨年から初めて、本に付箋を貼付するようになりました。 それは、今までの「残す」という意味合いでした。 付箋を貼付される方々と、昨年から触れ合うことが増えました。その時は、それぞれに活用方法があるなというくらいにしか据えていませんでした。

      • 選書と私

        ある文学ラジオのリスナーセレクト配信回の抽選に当選しました。その時の選書のお話です。 ラジオでは案内人の方々がセレクトした作品紹介が基本です。所謂、選書をしてもらっていた側にありました。 抽選のことを知って、考えたこと。 それは普段とあまり変わらないことでした。 ラジオで皆んなと聴きたいこと。読みたいこと。 そして、案内人達の語り合いを聴きたいこと。 ラジオのコンセプトは「色んな人に読んでもらいたい、色んな人と語りたい文学作品を紹介しよう」とあり、案内人達がゆる〜く作

        • 先輩と私

          私には後輩がいますが先輩もいます 吹奏楽部のOBとしてある日に現れた先輩は隣のパートの私の面倒もみてくれました 私の所属するパートはとても少なくて1年間でも一緒にいられた同じパートの先輩は今でもあたたかいです パート練習は隣のパートと一緒に行っていました その先輩は面倒見がよく初めて自分の所属する楽器の専門店に連れて行ってくれたことは今でも鮮やかです 部活を引退した後は同じOBとして面倒を見てくれていて仕事の先行きの悩みにも応えてくれていました 私は見栄張りです 先輩には

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          けものみち

          「草祭」 恒川光太郎 このなかの一編「けものみち」 そこでこれから先を問うぼくに春はたわけと告げます 戯れの言葉への応えでもあると思います ぼくは春と分かちたくなくて駄目だという感情を吐露しますがそれはぼくのための感情移入された言葉でした 春は諭しました 春のたわけの言葉にはぼくとの別ちが込められていたように想います ぼくの僅かな望みに春が応えた春のためでもある感情移入された言葉は 「気にすんなよ」 でした どうしようもなく分かたれる先に吹く強い風 初夏の夜 立夏の朝

          けものみち

          渡良瀬川と私

          「渡良瀬橋」 という曲があります 以前、弾き語りをしている方がこの曲を弾くと私をイメージすると言ってくれました 離れられない場所はないけれどその方と出会った年の春に渡良瀬川を渡りました 職場でメンタルサポートをしていた後輩に会いに行くために 後輩はその後異動先には長くいませんでした 私もそのもう少し先に転職をしました 燻っている訳ではないけれど 当時の想いが何処かしらに顕れていたのかな 渡良瀬川を渡ったときは晴れた日の昼間でした もう一度渡る機会があるかは未だ分からな

          渡良瀬川と私