見出し画像

付箋と私

読んだ本に貼付する付箋の話です。

今まで付箋の活用方法は「メモを残す」という意味合いが多くありました。

本の活用では栞が殆どで、印象深いところにも、栞やカバーの折り返し部分を使用していました。
「一時的」な意味合いが多くありました。

昨年から初めて、本に付箋を貼付するようになりました。

それは、今までの「残す」という意味合いでした。

付箋を貼付される方々と、昨年から触れ合うことが増えました。その時は、それぞれに活用方法があるなというくらいにしか据えていませんでした。

昨秋。付箋付きの本が本棚に並んでいました。

「読みたいな。」

そう思えました。
見えない誰かが、その本のどんなところに印象を抱いたのか、知りたいなと思いました。
そして、私はその本のどんなところに印象を抱くだろうと、それを思いました。

今まで「一時的」だったもの。

昨冬。初めて読書会に参加しました。
一時的なふわっとしたものを表現するには難しく、直前まで何回も読み返していました。
結局、緊張してしまったな。
それは、2回目も変わらなかったけれども。

読書会に参加する前に、初めてオンラインで文学について意見を交換し合うというところに参加させてもらいました。とても良い刺激をもらえたけれど、実践してみた結果、オンラインは自分には経験がたくさん必要だなと感じました。

オンラインが苦手で、口下手で。だけど。

「一時的」なものを「残したい」

そんな心がふんわりと、強くなりました。
それは、誰かと確かに残った印象を話し合いたいなと、思えているんだなと。

時勢で、話し合う機会も多くはありません。
付箋は、確かな「残す」として、印象の代弁をしてくれました。

私が手に取った本棚に並んだ付箋付きの本のように、私の付箋も私の印象の代弁として、なれたかな。

それは、あたたかな読書会のように。