自分のことは自分しか守れない

★いつも遂行せず適当に記事を書いてるため、趣旨が謎になったりする。この記事も、後から読むと、色々よくない部分がある。今度書き直します。


この世は、本音と建前、理想と実際がごちゃごちゃだ。
口ではこうだと言ってるのに、多くの人が選ぶのは別のものだったりする。
正直この現象が私は苦手だ。
私は、良いものは良い、悪いものは悪いと評価し、認める、というシンプルな思考回路だから。
『奥底ではあっちが正しいとわかってるけど、自分にはできないからそれを否定する、または自分の現状を正当化する』ということはしないのだ。
しかし、そういうことをする人間が多すぎるように思う。

私は世間的に見て、恵まれた実務能力を持ってると自負している。
学生時代に困ったことは無いし、仕事もかなり楽しんでいる。
そういう要領の良さをフル活用して女磨きもして、30になる前に満足いく仕上がりの外見になった。

はじめに一言断っておくと、この記事は、弱者の経験(悪い生育環境、精神病、ほぼ寝たきり、無職)をした上で、与えられたカードを活かし這い上がった私だから、ある面、第三者的な視点も含んで言えることだ。
生まれた時からずっと恵まれてる人は気付かないだろうし、言ったとしてもただの高みの見物感があるし。
一方で、色々理由はあると思うが、現状頑張れていないタイプの人や、社会を生きるのに有利な能力をそんなに持ち合わせていない人も思いつく内容ではないと思う。


さて、世間では良いとされる指標がある。
SNSなんか見ていると、どこの馬の骨とも知らんアカウントが、
『上品な人がしないこと』
『本当に優しい人の特徴』などなど、
『優れた振る舞い・能力』に関する『決めつけ』をし、『称賛』して啓発している。
書籍でもあったな、育ちのいい人だけがなんとやら。
あと一般的にもよく聞くのは、
『頭の良い人はそれを誇示しない』『頭の良い人は謙虚』という言説。
ロジックとしては、『上には上がいるのを知っているから過剰な自信は生まれず、謙虚にならざるを得ない』とのことだ。
まあ、わかる。嘘ではないと思う。学習に成功して高学歴になった人なんかは特にそういう風にはなりやすいとも思う。
でもこれは正直、建前の部類でもあると私は感じる。頭の良い人のプライドを世間的に抑制させるようなものだ。

私は勉強好きの男性に好かれることが多いのだけど、皆もちろん上には上がいるなんてことはわかった上で、プライド高いし傲慢でキツい部分を持ってるのを見てきた。
ある時二人組の同年代男性に声をかけられたのだが、ちょっと話した時点で『俺ら馬鹿な女性は嫌なんだよね(笑)頭良さそうだから声かけた』と言われたことがある。
私は男性なんて結局切れ味ないタイプの女の子が好きなんだろうと馬鹿にしてる(気の強い女の負け惜しみだ)から、この発言にはびっくりした。
実際、その後一緒に時間を過ごしたけど、地理の問題に答えられなかったら軽く馬鹿にされた。このことから、別に私をヨイショするためにそれを言ったわけでは無さそうということがわかる。
また、他でも声をかけられて一緒に居酒屋まで行った人が高学歴だったが、大学名を言ったら馬鹿にされた。
wak⚫tteTVを見てるような捻くれた人だったのでお察しではある(テンションがマジでふー⚫んみたいな感じだった)。私も私で、実際に中堅大学で、大学名でドヤれるとも思っていないので「うぜー笑」くらいにしか思っていないけど。
近所に住んでいた兄の同級生もかなり優秀で難関大学に行ったが、兄づたいにその辛辣な一面を聞いたこともある。
その他、歴代彼氏たちも、色々辛辣だった。
例えば、『歩く速度速くない?』と気にかけてくれたから「大丈夫、私歩くの早い方だから」と返したのだけど、その後『歩く速度が遅い人は仕事ができないんだよな』という持論を語ってきた。

思うに、頭のいい人たちは仲間内や取り繕う必要がない人間といる時はかなりぶっちゃけていると思う。
歴代彼氏たちだって、普段は全然そんな感じじゃないけど、たまーにポロッとそういう部分が出る感じだった。
外で見せているのは、あくまで万人受けの形だ。
そういう、自分を余所行きに演出できるのも、まあ一種の頭の良さというか、器用さなのかもしれないが。

『自分なんて全然💦』と謙虚に振る舞っている能力のある人を、その他の人々は気に入る。
自分が嫌な思いをしないからだ。
逆に、『自分は素晴らしい!』と言う、能力のある人を、嫌う。
そのようにできない自分がみじめに思えるから。?
そして先に書いたような他人が言った
『頭の良い人は謙虚』というような言葉を引用して、
『謙虚でない人は頭が本当は良くない』と繋げ、
逆に馬鹿にする。

その他、『上品であること』『優しくあること』『努力できること』なども、世間では良しとされてる概念だ。
ただ、人々は、無関係な第三者が説いてる理想論はありがたく参考にして自分に落とし込もうとはするのに、実際にそういう事ができている他人を身近で見ると嫌な気持ちになるらしい。
これでいうと、田中みな実氏が一般女性の支持を受けているのは、その構図を説明するのに適しており、かなりファンタジー要素が強いと感じる。
田中みな実氏に憧れる一般女性の近くに、田中みな実的な一般女性がいたら、いい顔はされないだろううね、というのが私の想像。
まあなんでそう言えるかというと、私自身が同性からのチクチクしたやっかみを受けた経験が人より多かったからだ。
目立ちながら女性コミュニティで快く受け入れられるには、自虐癖をつけるのが得策だ。彼女のようにあんな堂々と女子力アピールなどをしたら、総スカンを食らうだろう。
私もこのnoteでは好き勝手言ってるが、現実世界ではかなり立ち振る舞いを工夫しており、それでうまくいっている。

大体、他人が自分より優れていた方が楽だということに気付いていない人が多すぎる。優れている人の方が余裕があるので、本来自分に危害を加えることが少ないのに。
仕事ができる人がいればうまく場が回るし、
優しい人がいれば場が和む。
おしゃれな人からはアドバイスがもらえるし、
勉強ができる人からはコツを教えてもらえる。
逆だと、社会的弱者や性格に難がある人に寄り添おうとしたら思いっきり搾取されて、支援者が潰されてしまったという話もある。
私の大学の同級生の癖あり男子学生たち(オブラート)は、お互い『俺はこいつよりはマシ』みたいなスタンスでつるんでいた。
優れた人と共にするのは『自分のプライドが傷つく可能性がある(≒見下せるところがない)』以外は、良いことのほうが多い。
ただ多くの人は、そのプライドが傷つくという点から、優れた人にネガティブな感情を持つのだろう。
こういうことからも、他人を妬んで足を引っ張る人間は、感情論で生きてるとしか言えず、目先の快・不快しか見ていないのだと言える。


タイトルにあることが一番言いたいことだ。
『自分のことは自分しか守れない』

私は頑張って生きている。
頑張るということは、後で楽できるということに繋がる。
もちろん、貯金に一生懸命になりすぎて今を全然楽しめないというのは本末転倒。
ただ事実、今の私が生きやすくなってきたのは、過去の私が努力してくれていたおかげで、近い将来にちゃんと結果は出るものなのだ。
短期間でも一度頑張ってノウハウを刻み込むと、段々と洗練されていき、他のことに労力を割けるようになる。

私は自分なりに良くないところを反省し、改善している。だから年を取るごとに生きやすくなってるし、人としての魅力も増していると思う。
世間で言われてる「良いとされる概念」に当てはまっていることが多い。

それなのに、他人にネガティブな感情を持たれる事がある。あれ…?と察することができることの他に、実際にアクションを起こしてくる人もいる。
自己肯定感が低い時は単純にダメージを受けて自分を責めていたが、後から振り返ると『あの人のあの発言は、単なる妬みでしかなかった』と気づく。
良いとされる行いをしてても、嫌な思いをするって、なんて理不尽なんだと思った。

優しいことも一概に良いことではなかった。
優しいと傷付けられる確率がぐんと上がる。
優しい人は他人に搾取されるから。
”優しい人の周りには優しい人が集まる”という類友理論は、あくまで性格の悪い人との相対的な評価である。
性格悪い人の周りが、優しい人と普通or嫌な人が1:6で構成されているとしたら、
優しい人の周りではそれが2:6になる程度の話だ。
世の中大して優しくない人の方が多いんだから当たり前だろう。
優しいと損なのだ。でも優しい人はもう素の倫理観がそういう感じで作られてるから、酷い振る舞いもできず、結果生きづらさを抱えることになる。
この世は、ゴミをポイ捨てする人とスルーする人、そしてそれを拾う人で構成されているのだ。

努力ができることもそこまでいいことじゃない。
スポーツや学業やビジネスなど、他人から見てわかりやすい成果を上げるとシンプルに称賛されるが、
人生をより良くするような、一般人のストイックさというものはむしろ嫌われるまであるのだ。
例えば、体型管理を普段から気を付けているのは当たり前に良いことだ。理論上、悪く言われるはずがない。
しかし、実際はそれで妬まれることがある。事実私はふっくらしてる子たちに嫌なことを言われてきた。自分らがお菓子をよく食べていたり運動をしていないだけなのに、なんで?
ちなみに私は、小腹が空いたら夜でもコンビニに行くという発想がなかった。たまたま外にいたら寄るけど、家にいるのにわざわざ外に出てお菓子を買いに行くということをしない。
SNSで他人の発信を見て、そういうことをしている人が結構いて、え・そういうこともあるんだと驚いた。
本当は色々気を付けていたとしても、「少食なんだよね☆💦」ぐらいで収めておくのが無難。

また、自分の頭で考え、自分の意見を持ち、それを発言することも厭わず生きてきた。
『あなたの考えはもっともだ』と何度言われたことか。私の考えに筋が通っているのになんでそうじゃない方の人間が勝つことになるのか。
さらには『皆があなたのようにはできないから』と、逆に私のストイックさが害悪であるかのように切り捨てられる。
『えー私はそこまでできなーい笑』と引かれることもある。
『そんな頑張らなくても😅』とも言われる。

努力していない人、自分磨きしていない人は、一見開き直ってるようでも、よくよく見てると結局自分に自信がなく、人を羨み妬んでいることが多い。
自分の行動に納得がいっていないと、調子がいい時は問題なくても、ちょっと落ちた時に自己嫌悪してしまうのだ。
私はそういう風になりたくないから、内省や自己分析を繰り返したり、困難なことにも積極的に挑戦したりしているだけだ。
適当に生きてハッピー状態でいられるのは本当に一握りだろう。特にこんな、SNSが普及している比較社会の中では。

あとは、自分磨きしてると『自分軸がない』と言われることもあった。
社会に迎合するために頑張っていると思われている。
私としては、自分磨きをするという行為は、
『書き順を守った方が字は書きやすい』
 →書き順を学ぶ
『箸の持ち方は正しい方がご飯が食べやすい』
 →正しく箸を持つ
というのと同じ話なので。
あくまで効率的で筋が通っていて、自分に益があるからやってる。

私とて、完璧な人間ではない。
ただ最初に言った通り、自分の行動に責任を持っているから、自分が行動できてないならば、その事実を認め、それが出来ている人を素直に尊敬する、という価値観のもと生きているのだ。人の足を引っ張るなんてことはしない。

まあ結局何が言いたいかというと、
世間で優れているとされている能力や性質を携えていたって、全面的に良い思いができることなんて無いということ。
1つ目の記事で「頭が良いことは別にいいことではない。自慢ではない」と書いたのも、そういう思いがあるからだ。
あれだ、派生すると、東大卒の人が逆にそれでいじめられるという現象にも繋がるかも。

平和に生きるには、平均的な能力が一番良いのだ。
理想では皆、良ければ良いほどいいとするが、
実際は、良かったら良かったで周りの負担になるから手加減しろ、大人しく生きろ、になる。

頑張っている自分を認めてあげられるのは、
結局のところ自分だけなのである。
えらい、えらい、えらい。
皆が自分の人生に納得感を持って、幸せに生きよう。
そのためには、TwitterやInstagramなどはやめてしまうのが一番である。

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