見出し画像

言葉を身に纏う

初めに今回言いたいことを一言にまとめよう。
それは「自分は言葉が大好きだ。」ということ。
自分はこれまでの人生の中でたくさんの言葉に救われて、時に傷ついて生きてきた。多分多くの人がそうだろう。
なぜ言葉が好きなのだろう、と割としょっちゅう考えを巡らせているのだが、自分の中で思う一番の理由は「見えないから」だと思う。なんだろう、見えないからこその奥ゆかしさと言うのだろうか。
もちろん紙に書いたり石に刻んだりすれば見えるのだけど、そうじゃなくて普段のさり気ない呟きだとかそんなようなものが好きだ。いや、思いを言葉にする過程が好きなのかもしれない。まあ兎に角、言葉の見えない性質が好きなのだと思う。
言葉は時に人を殺すような凶器にもなり、人を守るバリアのようにもなり、新たな世界への扉にもなる。これらは全て目には見えない。きっとだからこそ人々は恐れたり救われたりするのだと思う。人は見えないものが怖いし、見えないものを信じたがる生き物だから。
最近のSNSによる誹謗中傷も、世の中を混乱させる陰謀論も文字としての実在としてのみ認識できる。大好きな誰かから掛けられる背中を押してもらえる言葉も目には見えないけど常に自分の心の支えになる。きっとこれが人間の本質の一部であり、言葉の性質の一部を表してるのだろう。その意味でとりわけ現代に生きる自分たちにとって言葉は切り離せない存在だ。
人間は言葉を介することでしか物事を伝えることが出来ない(ボディランゲージなんてものもあるが)。そしていま、オンライン等人と人との直接の関わりが軽視されつつあるからこそ、もう一度言葉を通じる人の在り方について思いを馳せていきたいと思う。
人を動かしたり、惹き付けたり、心を動かすのはお金やブランド品なんかじゃなく、人の心であり、それを表現する言葉だと自分は信じている。
言葉を磨くことで誰かを惹きつけたり、誰かに良い影響を与えられるとも信じている。
言葉はひとつのファッションのようなものかもしれない。言葉はその人の感性だったり美しさを表現する。目には見えないけれど、その人が纏う言葉は服のようなものであるはずだ。
目には見えないからこそ、それを磨くかどうかで他の人との差がつくと思う。自分は目に見えない美しさを兼ね揃えた人にどこか惹かれる部分がある。だからこそ自分もそのような美しさを持っていたい。
また、それは見えないものだからこそ、自分とそれに気づいた人との間でしか共有されないある種の秘密っぽさを持っている。なんかそれって素敵だと思う。
見えない美しさってどこか矛盾してるように思えるんだけど、どこかに存在する気がする。
いつか自分も見えない美しさを纏った人になりたいな、と思う週末でした。

ここまで読んでくれてありがとう。
良かったらスキ&シェアとTwitterのフォローよろしくお願いします。

この記事が参加している募集

スキしてみて

サポートありがとうございます! サポートの前にぜひSNSでのシェアをおねがいします! 皆様からのご厚意に感謝します。 頂いたものはすべて機材等の購入に役立てていきます!