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ヘテロセクシャルにこそ同性婚が必要です。

去る9月15日に第1回目の裁判が無事終わりました。第1回目は私達一人づつ「陳述書」を読み上げました。(←自画自賛ですがよく書けてるんで読んでくださいw)

今までの同性婚裁判ではお互いがどれほど純恋愛をして愛し合っているかをアピールしている事が多いですが、私たちは「家族愛」がどれほど強いかをアピールしています。
なぜなら「同性婚」は「恋愛」だけにとどまらない「愛」の問題で、世間一般の異性愛者にこそ必要な制度だと強く思っているからです。
10月号のSPURでもそれについての記事を掲載していただきました。(こちらもお読みください)

しかし、それに対し「友達同士で結婚とか本気で言ってんの?」「とんでも発想!」などと言っている方がいます。
そういう方に逆に「家族って何だと思ってるんですか?」とお伺いしたい。
私は結婚とは「家族」を作るための制度で、「家族(家庭)」は「安心できる居場所」である事が最重要だと考えています。
でも悲しいかな実際には家庭に居場所のない子供たち、夫たち、妻たち、、、、は沢山います。反対に世の中には素晴らしい「家族」もたくさんいます。そして本当に当たり前のことだけど「素晴らしい家族」には互いに「思いやり」と言う「愛」があります。
うまく行く恋愛に「思いやり」がある様にうまく行く家庭にも「思いやり」と言う愛がある。そして「恋愛だけが『愛』じゃない」ってみんな知ってるはずなのに結婚となるとなぜみんな「恋愛」だけにこだわるのか?と。
結婚とは家族を作るための制度なら互いに思いやる友人同士の結婚のどこが「とんでも発想」なのか?

最近見た映画で、シングルマザーで出産すると決意したルームメイトを、同居を続けたままで共に支え合って子を育てるってストーリーがあったけど、例えばそう言う事が起こった時、同性婚と言う選択があれば一時的にでもルームメートと「家族」になってお互いを助けられる。あるいは熟年離婚して両親も死に、子とも疎遠になり、兄弟も居ない、でも仲良しの友人と旅行に行くのが趣味って方とかも同性婚があればその同じ境遇の旅行仲間と家族になって最後は看取ってもらえる。
私は妻とそうやって老後はケアし合える存在でいたいから「家族でいる事」に拘っている。妻が他で恋愛しようが私に好きな人ができようが「家族でいる事」と「恋愛」は別の話。
そう言うと友人に「でも嫉妬とかしないの?」「嫉妬しないって事は愛がないんじゃないの?」って聞かれたけれど、私はその子に聞いたね。「あなた自分の息子の彼女に嫉妬するの?」って。
私の息子にも彼女が居るけれど、息子のことが大好きで、息子に対して本当によくしてくれて彼の心の支えになってくれている。そんな彼女に対して嫉妬なんてとんでもない!本当に感謝しかない。そして彼女に嫉妬しないからって息子を愛してないと思う? とんでもない!息子の事も彼女以上に愛していますよ。
妻に対しても同様。もちろん愛してるし、妻の恋人に対してだってそう。「妻のことを愛してくれてありがとう」って気持ちしかない。
息子の恋人や妻の恋人も含め「家族」全員を心から愛してるからこそそう思える。


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