順風満帆な日々だけじゃない
No.5 中3で ひとつの夢を叶えた・・から 続く
♪ 中学3年の秋、冬。 文化祭、音楽会で、Antonio Vivaldi (ヴィヴァルディ)の ヴァイオリン協奏曲 G-major , 初めての
全楽章Soloパートを任された どらみ。
♪ 10月の文化祭ステージ、12月も後半、都内 虎の門ホール(音楽専用ホールではないが)での 中学最後の音楽会。
クラス一斉に50人が🎻をもって 1年時から練習してきた曲を発表。
♪ そして私にとっては、中1で始め、夢中になって練習してきた ヴァイオリン🎻のソロパート。
弦楽部の同級生、下級生がtutti (テュッティ:全員で、のイタリア語)として後ろに控えて弾いてくれる中、
Antonio Vivaldi の Concerto Grosso G-major (合奏協奏曲 G-major ト長調)を1楽章、短調の緩徐楽章(ゆっくり)、再びテンポが速くなる3楽章、指揮者をつとめる指導の先生の脇に立ち、
最後まで 弾き切ることができた。
♪ もちろん 緊張はあったけれど、制服姿とはいえ、このステージで
solo🎻 を弾きたい、ああなりたい! という憧れ、夢をかなえられた。
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♪ 学校とは別途、音大女史の ”門下生の会”も 例年通り、文化祭の直前あたりで開催され・・・
♪ なんだかVivaldi 祭り? のようだったけれど、こちらでは、同じ A. Vivaldiの ヴァイオリン協奏曲 g-minor (こちらの方が有名な曲)の1楽章を弾いた。 表現は 自分が こう弾きたい、というところに まだまだ
追いついていなかったけれど、少なくとも
前年「スコットランドの つりがね草変奏曲」から、1年間で、
全てのポジションを 一応習い、1stポジションでは出せない
高い音を どうすればよいか・・・がわかり、
徹底的に練習すれば 何とかなる、というところまできた。
♪ 3ポジションが終わると、その後は ほぼ1レッスンで 次のポジション。
理屈はわかるでしょ? あとは自分で反復練習して身につけてね、という具合。何というスピード^^;
♪ 本来なら先生は、第1の次にキモになる 第3ポジションと同じくらい、時間をかけたかったのだと思う。
が、一応 音大をめざして・・という前提で門下生になったため、私には時間がなかった。
♪ 頭で理解できても、手指がついていかない・・・
小5のバッハで つまづいた経験と同じようなことが、violin🎻でも
起こり始めていた。それでも中学いっぱいは 疲れもあったけれど、
充実感の方が勝っていて よかったな。ようやくここまでは来られたな。
そう感じていた。
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♪ この年、もうひとつ 私にとって大きなできごとがあった。
11歳の夏、C.I.S.V. (国際こども夏の村 第2話に書いてある海外体験)で 一緒に ひと夏を過ごし、当時 一番仲がよかった 中米コスタ・リカ(Costa Rica)(言葉はニホンゴと スペイン語で通じなかったが)、
Zaida (日本語よみ、サイダ)から「手紙」がきて、なんと お母さま、伯母様と3人で来日!
彼女、母上、伯母上が滞在する都心のホテルに迎えにいき、
15歳になった 私たちは 4年ぶりの再会! 美しい彼女は スラリと背 も伸びてまぶしいほど綺麗だった✨
♪ さらに驚いたのは、11歳の時、スペイン語のみ、だった彼女の 素晴らしい英語力。
日本の英語の学校教育は 読み書き中心で、
会話ができない自分!
彼女は、スペイン語のみ、の母上、伯母上を連れて、
ホテルや移動・・・すべて英語で できるようになっていた。
とても同じ15歳とは思えなかった。
♪ スペイン語は単語自体が長く、早口に聞こえるが、
語学力に圧倒された。
私も 何とか話せるようになりたい・・・そう思った瞬間。
♪ サイダと一緒に、東京生まれの私も 初めて「はとバス」に乗り、
都内名所めぐりを体験。
夕方は、ついに、彼女、母上、伯母上も、都区内 当時の私の実家に来宅。
♪ 家族の英語もカタコトレベル。でも母の手料理を喜んで食べてもらい、
4年前、浴衣と下駄をスウェーデンで交換したが、にわか仕立ての日本舞踊を踊った時の着物(正絹ではない)と帯、草履を母が出してきて、
プレゼントした。
♪ 大喜びで受け取ってくれ、ハグして、ホテルまで送り届ける。コスタリカは遠い国だけれど、また必ず会おう!再会を誓って
後ろ髪惹かれる想いで 彼女たちと別れた。
私の中学3年間が終わった。
ささやかでも 自分が目指したことに 結果を出せた。
よく練習し、充実した3年間だった。
どらみ、高校1年に。 諸事情 急変!
♪ 付属中学からの内部進学だが、
高校になると、状況が大きく変わった。
♪ 私自身の問題として、まず 通学時間が 片道1時間45分(朝、電車の乗り継ぎなど確認した状態で)と 大幅に延びた。
♪ 高校校舎は 戦前から この地にあり、
従姉たち2人も数年先輩で 同じ学校に通っていたから、
都区内の実家から 相当遠いのはわかっていた。
♪ 自然豊かな(言い換えれば 都心から離れた・・^^;) 地域にあり、実家から 激混みのターミナル駅乗り換えを2回、電車3本乗り継いで、かつ学校最寄り駅から往きは ずーっと続く
上り坂を20分くらい歩いて校舎に到着する。
(私が卒業後、校門から ぐんと近い場所に 中高合併の新校舎が竣工した。)
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♪ 音大女史の門下生であり、日曜日11時からの🎻レッスンは変わらず。
が、ついに音大受験を意識して、🎻の後、ひと駅先に、ピアノと音楽理論、ソルフェージュ(音楽の読み書き)を教えてくださる、音大付属教室現役教師の女性先生にも 師事することになった。
高校時代は、これで 日曜日が丸一日 音楽レッスンで埋まる。
♪ 自宅に帰ると、もう夕食時間。夕食終えてから、忘れないうちに少し
レッスンで注意されたところを つまんで練習、
翌日、月曜の学校授業の宿題等、確認したり・・・。
正直 くたくたで、その後は バタンキュー!(笑)
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♪ 日曜日も朝 9時過ぎに家を出て、
🎻のレッスン1時間強。すでに還暦近い🎻の女史は お料理も得意で
私のレッスンが終わると、ピアノの先生宅へ歩く前、お腹空いちゃってるでしょう(マジ、空腹である^^;) と、軽食を日当たりのよい窓際テーブルで 食べさせてくださることが多く、本当にありがたかった。
♪ ピアノのレッスンは 中1夏で 一度休んでいたため、すごく久しぶり。音大入試では 全24調のscales(音階) と アルペジオ(分散和音)の 「どれか」を必ず 課題曲の前に弾くそうで、毎回の音階練習は必須。
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ムリ! ヴァイオリンをやめよう!と思った日
♪ 高1の秋、門下生の会は 例年通り10月。 易しい曲を弾いていた時は夏頃から準備して 最後、伴奏弾いてくれるピアニストと合わせを2,3回して本番へ・・・で間に合っていた。(間に合わせていた)
♪ が、この年は 音大女史が
「今年は ちょっと面白いこと考えているのよ。
都内の某ジュニアオーケストラを指導している 友人先生(男性)とお話してね。
秋の門下生の会では、5人だけ ジュニアオーケストラの伴奏で Beethoven の ロマンス「ヘ長調」「ト長調」、W.A.Mozartの ヴァイオリンコンチェルト(協奏曲)3番、4番、5番の 1楽章 を弾いてもらうことに決めたの。」
「ほかの人、もう決まっちゃってね・・・ あなた(どらみ である)、一番難しいかもしれないんだけど、
Mozartの 5番1楽章 に挑戦しましょう。」
ぎゃぁぁぁ~~~!!!!!
音大女史に言われて 反論できる立場ではなかった。
まず楽譜を入手、音源も(当時は まだレコード)入手して
どんな曲か調べなくちゃ。
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何これ!? 難しいやん!!!!!
♪ 最初に 楽譜と音源(当時は レコード^^;) を入手して
楽譜みながら 曲を聴いた第一印象
🎻パート譜の 楽譜の表紙をめくると、タイトル書いてあるけれど、
最初の1ページ、全部 小さな音譜 → ここはソロパートの出番ありませーん! オーケストラ(またはピアノ等)伴奏でーす。
↓ Tutti と書いてある最初の1ページは、ソロを弾くところ、ひとっつもありませ~ん^^;
♪ ソロのパートは 2ページ目 冒頭からでーす! (えええっ!?)
♪ 更に・・・Soloパート(私が 門下生の会で 弾く予定の)は、
最初の 6小節だけなんだけど・・
すごーくテンポがゆっくりの Adagio (アダージォ)で、かつ音楽的な表現が難しい(当時の私には特に)。
♪ で、その後、急激にテンポが Allegro (アレグロ 走るようなテンポ)に変わり、音の高低差も大きく、高いポジションも自在に操る必要あり。
速いテンポの中で、輝くような音色、快活、時に抑えた感情など弾き分ける・・・Allegro aperto →(快速テンポ+apertoは「開く」の意。目の前の視界が急に開けたような 明るさ、輝き・・そんなイメージ)
♪ とにかく 当時の私には、この1楽章(カデンツを除く、パート譜5ページ分。)、冒頭からして、ちょっとやそっとの「背伸び」では間に合わない。(当時の)自分の実力からみて、非常に難度が高い、と すぐにわかった。
注: カデンツとは →演奏者ひとり、無伴奏で
弾いてきた楽章の中のフレーズを、奏者の技術を駆使して お披露目するパート。長いと カデンツだけで10分近く弾いたりすることも。
地獄の オーケストラ合わせ
♪ 5月末頃に曲をもらい、長距離通学、高校の勉強、英語の私塾、
ピアノ、ソルフェージュ、音楽理論も 指導を受けながら
このMozart5番を やらなくちゃ・・と ヨロヨロ練習。
毎週レッスンにいく度、難度の高い課題が いくつも出てきて
楽譜は えんぴつの書き込みで どんどん黒くなる。
♪ そんな状態でも、都区内某ジュニアオーケストラのみなさんと、ソロ+伴奏オケ 合わせの日程が 夏休みの間に3回決まった。
ジュニアオーケストラが練習に使っている、いつもとは違う
区民センターのような 広い空間。
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♪ 第一回目の「合わせ」の日。 暗譜は大丈夫、のはずだが、
「美しく弾く」自信は まったくない。仕上がりには ほど遠い・・・ ほかの ソロ合わせが進み、耳に入ってくると
なおさら 不安になる。
♪ ついに 私の番が回ってきた。 指揮者は温厚そうな男性で
ジュニアオケを指導している先生。
♪ 先ほども書いたように、この曲は ヴァイオリンソロが出てくるまで、パート譜 1ページ分もの長い間、オーケストラだけの伴奏が続く。 ソリストは自分の「入り」まで、傍らに立って
聴いていなければならない。
♪ もう この時に
無理無理無理 ムリ~~~~!!! と
私の心が叫んだ
なぜ?
♪ ジュニアオーケストラメンバーは 小、中、高校生の混成で Mozartのこの曲に出てくる 木管楽器(フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン)、弦楽器は 1, 2 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。
♪ 皆、 上手い!!!!! 特に 人数の多い ヴァイオリン🎻
私より ずっと年下でも、みんな幼児の頃から始めて 自然に弾けるようになっているんだろうな~
♪ 耳に入ってくる 🎻の音(オーケストラ伴奏パート)は、
当時の私の演奏より ずっと上手に聴こえた。実際、そうだったと思う。
♪ 中学の文化祭、音楽会とは 違う。 ソリストとして 立っている自分より ずっと上手(と感じた)な ジュニアたちが 後ろで伴奏パートを弾いて・・・
♪ こんな自分が ソロを弾くの? そんなことできるの?
自分の🎻技術に対する自信が、最初の音を出す前に
ガラガラと崩壊していくのを感じた。
♪ 案の定、ソロパートの冒頭、ひとりで音を出す冒頭では、指が震え、ヴィブラートも うまくかからない。
なんとか 緩徐パートをくぐり抜けて、
急激にテンポが速くなり・・・💨
♪ 自信がないと こんなに崩れてしまうのか?
自分でも情けないくらい、背後のオーケストラの音に乗れない。
♪ 指揮者とアイコンタクトしながら棒に合わせる 余裕さえなく、
途中から、十六分音符が並ぶ 細かく速いパッセージで
ついにオーケストラのテンポを 追い抜いてしまった!!!!!
→ 初めてのオーケストラ合わせとはいえ、完全にアウト~
ソロとオーケストラが合わないなんて・・・音楽じゃない!
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♪ 夏から9月末までの間に、私にとっては、地獄のような
ジュニアオーケストラ合わせ練習が あと2回行われた。
♪ 少しずつは よくなり・・・
10月初め、門下生の会 本番では 何とか オーケストラと ずれたり
止まったりすることはなく 1楽章を弾き終え・・・
♪ 優しい 男性指揮者の先生は、「今日は よくがんばったじゃないの。
今日が一番 よかったよ!」 と ねぎらってくださった。
♪ が・・・
私の心の中は ズタボロ~!(涙)
♪ 門下生の会が 終わった。
次の週はレッスンお休み。
♪ 2週間後のレッスンで、同じ Mozart のコンチェルト 2楽章を 少しだけ弾いた。また 涙が出てきた。
♪ ジュニアオーケストラの子どもたち(同じ年くらいのメンバーもいたけれど)は、生き生き 自信を持って演奏しているのが 後ろから伝わってくる。 そんな子たちをバックに、自分が ソロのパートを弾いた・・・
♪ 中学音楽会とは 真逆。 私は 自分のviolin🎻の能力に限界を感じていた。
「先生、今まで どうもありがとうございました。辞めさせてください。本当に申し訳ありません・・・」
♪ 本心だった。これ以上 続けられない・・・やっぱり始めたのが遅すぎたんだ・・・。
2楽章を途中まで弾いて レッスンが中断したタイミング。
私は 音大女史に 譜面台の楽譜を挟みながら 立ったまま 思いのままを伝えた。
(続く)
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