柴垣節子 (どらみ)

どらみ💗→ 音楽教育家(ハンガリー給費留学1年間)×語学屋さん ★41歳で突然心筋梗塞…

柴垣節子 (どらみ)

どらみ💗→ 音楽教育家(ハンガリー給費留学1年間)×語学屋さん ★41歳で突然心筋梗塞。今日も命あることに感謝。 ★自分の人生は一度きりの旅。波乱万丈な人生も 経験=学び、楽しみの宝庫💎 ★Xで 毎日着物柄を英訳中 ★旅、花、一眼カメラ写真、ヤドン、くまモン好き💗

最近の記事

音大受験まで 走り続ける覚悟

(第7回、楽器持ち 満員電車でも できる・・からの 続き↑) 前回から ずいぶん間があいてしまったな~(反省)。 ♪ 遅ーく🎻 violin という楽器を始めた私、どらみが、音大教授(当時)女史の門下生になり、 無謀ともいえる 実質4年半で 音大教育学科(violin専攻🎻)に 何とか 現役合格できたのは なぜなのか? ♪その後、どうして ハンガリーという国に 奨学金いただいて(1年間) 音楽留学したのか?  ************************ ♪ 波

    • 🎻楽器持ち、満員電車でも できること

      No.7 女史の言葉に ひと筋の光を感じた・・ から 続き 長距離通学、満員電車、🎻楽器持ちでも^^ ♪ 前の記事に書いたように、私 どらみは 高校生になってから 片道2時間弱、それも都内でも一番混雑する時間に 電車3本乗り継いで 通学するようになった。 ♪ 高1で音大女史の🎻レッスン+ もうひと駅先まで歩き、再開した🎹レッスン+音楽理論、ソルフェージュ(音楽読み書き)のレッスンを 別の女性先生に受けて 自宅の夕食時間にギリギリ間に合うか・・の日曜日。 ♪ ゆとり世代

      • 女史の言葉に ひと筋の光を感じた・・

        No.6 順風満帆な日々だけじゃない ・・ から続く♪ ♪ 高校1年10月初旬。音大女史 門下生の会で、  自分より ずっと🎻violin歴の長い(と思われる)、上手な ジュニアオーケストラの伴奏で、当時の私の実力では キツイ、Mozart の 🎻violin concerto No.5 ヴァイオリン協奏曲 第5番 1楽章の ソロパートを弾いた。 さいわいにも、本番当日だけ ギリギリ弾けた(とても自分で満足できる出来ではない)状態。 ♪ このまま続けても、学業と両立させな

        • 順風満帆な日々だけじゃない

          No.5 中3で ひとつの夢を叶えた・・から 続く ♪ 中学3年の秋、冬。 文化祭、音楽会で、Antonio Vivaldi (ヴィヴァルディ)の ヴァイオリン協奏曲 G-major ,  初めての 全楽章Soloパートを任された どらみ。 ♪ 10月の文化祭ステージ、12月も後半、都内 虎の門ホール(音楽専用ホールではないが)での 中学最後の音楽会。 クラス一斉に50人が🎻をもって 1年時から練習してきた曲を発表。 ♪ そして私にとっては、中1で始め、夢中になって練習

        音大受験まで 走り続ける覚悟

          🎻 中3で ひとつの夢を叶えた!

          (No.4  violinにドはまりしたんですが・・から続く) 前回、中2の夏の終わり、当時 音大女史だった先生の 門下生になったことを書いた。 先生の「入門条件」=学校の勉強も手抜きしない=音大行かなくても 普通に大学進学できる学力は維持しつつ、まず中学いっぱいは、ヴァイオリン🎻練習に集中する! を守るべく、 中学時代、水泳部(アホ!な選択)、厳しいK先生の ピアノレッスンを やめた。 が、英語の私塾に平日夜、週一で通うようになり、 結局 毎日忙しい・・^^; それ

          🎻 中3で ひとつの夢を叶えた!

          🎻violin に ドはまりしたんですが・・

          (↓ No.3 どらみ、violin と出会うから続く) 13歳から 遅~いスタートを切った、私の🎻violinレッスン。 鈴木メソッドの おじいちゃま先生レッスンは、無理せず わりとゆっくり。 第1巻目の教本、1曲目は「きらきら星変奏曲」☆彡 🎻violinは 4本の弦を 下からG,D,A,E音に合わせる(調弦=tuning) 🎹と違って、黒鍵、白鍵の区別はなく、音程もギターのようにフレット(目印)もないので、基本、自分の耳で判断しながら、左手4本の指で 音程を作る。

          🎻violin に ドはまりしたんですが・・

          中学1年春。どらみ、violin🎻と出会う

          (↑ No.2 おじいちゃんが海外の面白さを・・・から続く) 1968年夏。 C.I.S.V. (国際こども村)、スウェーデン、Halmstad で さまざまな言語が飛び交う中、リーダーやジュニアカウンセラーなど 総勢50名くらいの大所帯での 4週間暮らし。北欧の夏の白夜は、ブラインドを降ろして部屋を暗くすることも初めて知った。(冬は真逆で 暗い時間がほとんどになる→ゆえにインテリアは白木や明るい色のテキスタイルなど、気持ちも部屋も明るくなるデザインが多い。納得) 4週間

          中学1年春。どらみ、violin🎻と出会う

          おじいちゃんが 海外の面白さを教えてくれた🌎

          母方の祖父・・・おじいちゃんは、明治生まれ。 建築家。広島出身だけど、江戸っ子の祖母の夫(養子)になった。 1923年9月1日に、関東大震災で 東京が焼け野原になった後、 「大震災、火事で燃えてしまった 今までの木造平屋家屋は、  今後(当時)東京、近郊の人口が増えていくと、現実的ではない。  西欧(当時の英国、独)へ行って、鉄筋の入った  頑丈な建物、それも平屋ではなく 多層階住宅の勉強してきてくれないか?」   おじいちゃんは、当時の厚生省(現 厚労省)、建築部門に

          おじいちゃんが 海外の面白さを教えてくれた🌎

          「東」と「西」の国境を越えて・・・・ハンガリー音楽留学 1980-81

          今は むかし・・・ 歴史の教科書でしか 知らない方が多いでしょうが・・・ 第二次世界大戦後、旧ソ連(ソヴィエト連邦)の傘下、「東ヨーロッパ」と呼ばれる諸国がありました。 1989年に ベルリンの壁が崩壊し、社会主義体制から民主主義国家へ変わっていく9年前。 全く ソウテイガイに、 私は 音楽の勉強をするため、ひとり ハンガリーという国へ行くことになりました。 **************** なぜ ハンガリーへ行くことになったのか? ↓ 最初なのに あまりに安易

          「東」と「西」の国境を越えて・・・・ハンガリー音楽留学 1980-81

          【今日描き加えた足跡が、自分の人生の1ページになる】

          こんにちは、どらみです。 この世に生まれて・・・自分でも びっくり!の年月を 過ごしてきました。 66年目の人生を 2023年の今は 少しペースをゆっくりにして 楽しみながら歩いています。 客観的にみたら、おばーさんの年齢かもしれないけれど、 とっくに社会人の息子たちは ふたりともsingle(独身) 私に孫はいないけれど、じゅーにぶんに しあわせな毎日を送っています。 41歳で 急性心筋梗塞 なんぞという、命に関わる大病しながら、 とにかく運がよくて、ラッキー×

          【今日描き加えた足跡が、自分の人生の1ページになる】

          【ある日突然、心筋梗塞 2001年出版】

          はじめまして! 22歳からニックネームだけは「どらみ」(当時、オーケストラ団長が ドラえもん、彼より10日 誕生日が遅いと判明!その場で妹=どらみ、になりました^^; 結婚後、姓は変わりましたが、「どらみ」は変わらず・・・(笑) 人生は上り坂もあれば 平坦な道、下り坂もあり、時に「まさか!」に遭遇することがあります。 今の家に越してきて2年目。長男中3,二男中1になり、ようやく少しほっとした 1999年 6月11日未明。 月末に誕生日を控えた 41歳のどらみ。 それま

          【ある日突然、心筋梗塞 2001年出版】