「元気をだして、あの笑顔をみせて」といわれても・・・
♪チャンスは何度でも訪れてくれるはず、はやく元気を出してあの笑顔をみせて〜♪
これで元気が出るんだろうか?
出るよ、という人もいるんだろうけど、心底落ち込んでいたら無理な気がする。
これでもか、と励まし倒す究極の励ましソング「元気をだして」を歌う薬師丸ひろ子の声に耳を傾け、なんだかいいなぁ、と感じる自分は余裕で聴いてるからなんだろう、と思う。
もし苦しみのどん底に突き落とされた日であれば、どんな励ましを聞かされても、たとえ薬師丸ひろ子だろうが、なにも聞こえては来やしない。聞こえてしまえば「元気をだして」「あの笑顔をみせて」などと励まされても、かえってイラつくか、余計に落ち込むか、いっそ死にたくなる、かもしれないという想像は陽気に励ましてしまう人にはつかないんだろうな・・・
相変わらず「傾聴」をやっている。するとこの種の想像に敏感になる。
だいたい、励ますってのは誰のためかといえば、まさに歌詞の通り自分のためなんだよね、多分。
(あんたの辛気臭い顔を見せられたり、どんよりした溜息なんか聞かされた日には、こっちまで気持ちが沈んでいくんだって)だから、、、はやく元気を出して、あの笑顔をみせて、、、、なのだ。
どん底にいる人の自身ではどうしようもない苦しみの呻きを20分、30分、1時間とひたすら傾聴する。
かなりの精神的負担を感じる。
そんな精神的なプレッシャーの軽減をしながら正面から聴く傾聴の技術を体得しているから1時間でも聴き続けることが出来るだが、技術もなく無防備で真正面からガッツリ向き合えば、聴いてる人が「苦しみの雪崩に押しつぶされる」ことになるだろう。
多くの人は耐えきれなくなるのは目に見えている。
耐えられなくなり、、、、、病む。
病むまえに、ほどんどの人はキレる。
「いつまでくよくよしてんだ。シャキっとしろ!!」
そうでなければ、優しい薬師丸ひろ子のように励ます。
「チャンスは何度でも訪れてくれるはず、はやく元気を出してあの笑顔をみせて」
苦しみを吐き出しきるまえに耐えられずにキレるか励ますか・・。
とはいえ、聴いてる側にとっても病まないための自己保身のためなんだろう。生物としての無意識の「防御本能」かもしれない。
ただね、苦しみのどん底にいる人が言葉を吐き出すのも「自己保身(自己治癒)」であり、苦しみからの「防御本能」なんだと思う。
言葉を吐き出して、涙をとめどなくだだ漏れにして、怒りを噴出させて、それで少し苦しみが和らぐ。これは「傾聴」をしていて感じるところ。
だから、周囲に苦しみのどん底の人がいるならば、「元気をだして」と励ますのではなく、ただうなずいて言葉を受け止める。
それが大切な人ならなおさら、ただひたすら聴いて欲しいと思う。
自分の防衛本能が働き聴くのを限界だと感じたら、聴くのを一旦中断しよう。
でも、また余裕がでたら聴いてみてはどうか。
励ますことなく、ただ頷き聴くだけ。
人は言葉を吐露することで苦しみが薄らぐだけでなく、自らの裡から自分自身を励ます言葉が生まれてくる。
傾聴をしているとその瞬間に立ち会うことができる。
どんよりした雲にかすかに開けられた切れ間から刺す一筋の光。
あ、いま、新しい言葉が生まれた。
聴いているワタシも励まされ勇気づけられる。
本当の「励まし」とは自らの裡から生まれるものかもしれない。
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