ウーマンラッシュアワー

今頃ですか?と笑われるかどうかは知りませんが、巷で噂の2017年末THE MANZAIでのウーマンラッシュアワーの漫才をyoutubeで観たんです。
ああ、まだ観てないですって? 旅のお供におひとつ如何ですか、笑。
巷で噂といっても、noteでは、あまり噂にならなっかったので知らなかったのかもしれません。ワタシ自身のブログも昔のように都会の喧噪のなかで政治ネタを書き殴って「あーでもない、こーでもない」と賑わっていれば、噂もすぐにキャッチできたのでしょうが、人里はなれた奥山の一軒家に引っ越したブログには訪ねてくる人影も少なく、噂も風に乗せられ舞う程度のものでは、なかなか届いてこないものでございます。別宅のNote Art村で噂にならないのは、噂としてよほど似つかわしくないのでございましょう。

で、漫才はどうでしたかって?

笑いましたよ。笑ったといってもネタに笑ったわけじゃありませんがね。
だってホントで当たり前のことすぎて笑うオチがみあたりませんもの。

じゃ、何故笑った?ってきかれますよね。

はい、あの村本って方、昔のワタシにそっくりなんです。そっくりすぎて、ついクスリとこぼれてしまいました。
原発に辺野古に都政に被災地に……あとホームレスの住人と障害者の住人と保育園の住人をネタに組み込めば、そっくりどころかワタシそのものです。
違うといえば、舞台で大勢にむかって漫才するのではなく、一人ひとりにつばを飛ばして訴えてきたってことでしょうね。

そんなことして嫌われなかった?って聞きたいんでしょ?

嫌われましたよ。嫌われましたとも。でも全然平気でした。嫌われることがステイタスだと思っていましたから。それにほんの少数ですが同意して一緒にいてくれる仲間にも出会うことができましたし。それにね、世間は解っていないことを自分だけは解っているって優越感に浸るのはそれはそれで気持ちのいいものですし。ほら村本さんが最後に「おまえらのことだよ」って言ったでしよ。あれですよ。
笑い話じゃないのに笑っていられるオマエらは何なの?
オレはこんなに憂いているのに……
でも、ちょっぴり憂いてる自分っていいヤツ、、なんてどこかで思っているかもしれませんね。そんなところが、ほんとに昔のワタシにそっくり……

ここまで読んだなら、なんで変わっちゃったんですか?って聞いてくださいね、^^;

ある時、他者に解っているのですか?と問うワタシ自身はホントに解っているのですか?と自問することができて、奥山の引っ越そうと思ったんです。
もしかして、他者の苦しみを声高に代弁することで自ら思索しないことの免罪符にしているんじゃないかってね。
他者のホントの苦しみは他者本人にしか解らないものであって、その他者にとっては苦しみでさえないかもしれないのに。もしかしたらホントに苦しみかもしれないけど、その「苦しみ」ゆえに真に「生きる」ことを知っているのかもしれないのに……
もしかしてそれまでのワタシってヤツは、ひとつの価値観の押し付けているの?なんてことを考えたりしましてね。
全ては仮説ですけどね、でもワタシは、少なくとも他者(の苦しみ)に乗っかって主張するのは止めようって考えたんです。それは他者の感性であってワタシのものじゃありませんから。
もちろんそれは村本さんを否定するものではありませんよ。彼のように世に訴えることも、きっかけ、としては大切だとは思っています。

そんな今のワタシでも、他者の苦しみを見ないようにしているのではありませんよ。
他者の苦しみを感じつつ、ワタシ自身の自然に素直に言葉少なげに寄り添えればいいかな、と今は思っているんです。地味で目につかないことかもしれませんが、自然とは地味で目立たないものかもしれませんね^^


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