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「万引き家族」読了

ふらっと入った本屋で噂の映画が描き下ろされた本が文庫本になって平積みされていたので買った。
是枝裕和監督の「万引き家族」で、監督みずから書いている。
タイトルから家族全員が「万引き」で生活する物語かと思っていたのだけどそういう話ではなく、それぞれ事情を抱えた人間が寄り合い、万引きのほかにも「仕事」をしながら家族のように暮らす物語だった。
読み進むうちに、昔、日雇い労働者や青カン(ホームレス)支援で遊んでいた頃のことを思い出した。そこに居た者はそれぞれにこの社会での常道に乗れなかった過去を抱えながら流れ着いた「寄せ場」のイメージ。文字通り「寄せ場」。
社会に乗れている世間の多くは馬鹿にしたり見下したりしているが、実は義務や制度ではなく寄り合って生きていて言うほど悲惨じゃない世界だった。ぼくらは、青カンのおっさんらは「“ハウス”レス」ではあるけど「“ホーム”レス」じゃないかもな、なんて街なかの隔絶されたマイホームの壁のなかにある孤独を想像しながら喋っていた。

まあ、人は痛みをしっているほうが他者に優しくなれるのかもしれないし、もしかしたら、優しくなれる人間ほど傷つき疎外され痛みやすいのかもしれないな。だからどん底でもお互いに許容し共同体を作れているのかな。
「万引き家族」のなかにもそうしたどん底と痛みと優しさと許容を感じた。
どちらもアウトロー的なところでの繋がりなのだ。
法律で強制されていない繋がり。
法律で守られていない繋がり。
でも、だからこそ何かを感じさせてくれる繋がりなのだ。
ただ、完全に心の底から信頼しあっているかというと全て明かすことのできない過去故えの微妙な距離感や壁があるのも似ている。

本の「あとがき」で是枝さんはこの映画に「声に出して呼んで」というタイトルをつけるつもりだったということが書かれていた。「声にならない声」がテーマだと言う。
家族のようでありながら、たとえば「ママ、お母さん、父さん」と声にだして呼べない、など言葉にならず声にならない、言葉のむこうに沈む苦しみや思いがある。
それは一人の人間ではなんともならなかった過去からつづく思い。
法律や道徳によって守られなかった傷。
あまりに深いから声にできない。
表せる言葉のその向こうにある表出できない思い。
アウトローで「純粋」に寄り合った家族同士でもだせない言葉。
それでもいつか言葉にできる予感はあったのだけどな。

結局「万引き家族」は法治国家の権力によってインローに連れ戻された。
アウトロー家族は法律によってバラバラに振り分けられた。
ひとりは牢屋に、孤独なアパートに、行く宛もなく、養護施設に、、そして元のネグレクト実母のところに、遺体は土に還ることができずに焼かれることに、、、またバラバラになった。
別にボクにしても、インローが駄目でアウトローが善いということを言いたわけではない。法律がなければ社会は成り立たないだろう。祥太が気づいたように道徳や倫理も必要であることは間違いない。
だから本当のことは別のところにあるとは思うものの、法律や道徳という縛りによってまたバラバラにさせられたという感じは否めない。
社会に強制送還されて、話せそうになっていた言葉がまた沈まされた。

もし「万引き家族」の一人ひとりがボクに言葉を絞りだして話してくれるなら、じっと聴きたいものだ。「声にならない声」そんな言葉のむこうに沈む何かを感じるようにじっと耳を澄ませるさ。
たとえアウトローとよばれても社会の常道に乗れなかったからこそ、お約束ではなく純粋に繋がれると信じて・・・


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