ジェンダーレス保育の保育士に思う@傾聴

昨日かな、朝NHKを観ていたら「“男・女らしさ”以外の選択肢を保育の現場に」というプチ特集をやっていた。ジェンダーレスな保育をすすめる保育士の取り組みを中心に紹介されていた。

保育園でもジェンダーについての固定観念はあり、たとえば園児の持ち物に貼るシールの色が、女の子だったらピンク男の子は青とか、シールの図柄が女の子は花で男の子は車みたいな思い込みをもっと自由にしたい、というわけ。
それで、色合いとか図柄とか女の子・男の子のどちらとも取れないものをデザイナーと一緒に作り出し、子どもに好きなものを選んでもらう、みたいなことをやっていた。

誤解なきようにいうと、男の子は男らしく、女の子は女らしくという従来の固定観念を否定するのではなく、そうしたい子どもはそれを認め、そうでない子には強要しないという。
さらには、ジェンダーレス的なシールは選択肢をひろげるためだというわけだ。

この保育士自身が子どもの頃、男なのだから野球をやりなさい、とか、泣いては駄目だみたいなことを言われて「自分はだめな子」的な嫌な思いをしてきた。
だから同じような思いをさせないために、ジェンダーレス保育を始め実践している。さらには、周囲の保育士ととも考えようとしている、ということ。

報道を観た限りでは、保育での思いや実践に文句のつけようがないし、具体的に取り組む姿は偉いなぁという感想を持った。
なんといっても、この保育士自身がやりがいをもって輝いている。
ガンバレ~!! と応援したくなるのが正直なところ。
きっと、ここで保育された子どもたちはジェンダーについてのストレスはなく、すくすくと自分らしく育つだろう、と思わせる。ジェンダーフリーでストレスフリーである。

きっとこの子どもたちは、この保育士のように押し付けられたジェンダーに苦しむことも悩むこともないし、ジェンダーについてこの保育士のように疑問をもって思索し、実践して輝くこともないだろう。世の中のこうした問題と無縁になり、そこで苦しむ人たちへの共感もしなくてすむ、、、、、のかなぁ??

唯一の疑問はここなんだよね。
ジェンダーレスの保育は立派だと思うし、世の中を変えていこうというのも共感する。ただこの保育士がジェンダーの押し付けによって苦しんだり悩んだりした経験は、絶対に圧倒的に悪いのか、というとどうなんだろう?
だって、今すごく輝いているのはその経験があったからだよな。
確かに無ければないほうがいいのだろうけど、少なくとも今の輝きにいたったかどうかは分からない。

親をふくめ周囲の大人にすべて先回りで予防してもらって無菌室でのほほんと何の問題もなく悩みもなく生きてきた人と、いわれのない押し付けに悩み苦しみ考えざる得なく行動せざるえない人、どちらが友人になりたい、といえばワタシなら圧倒的に後者なんだよね。後者の友人のほうが面白いし魅力的なのは現実の実感としてもそうなんだから。
正直、この保育士なら友人になれるかもしれないが、この保育士に予防されて育った園児はどうなんだろう、と考えてしまう。

だからといって、こんな理由で非合理な試練を与えるべきとか、許容すべきと言いたいわけじゃないんだけどさ。なんとなくね妄想してしまったのさ。
まあ、この世の中ひとつの問題が解決してもいくらでも矛盾に満ちているもので完全になんの問題もなくすくすく育つなんてことは無さそうだから、一つづつ問題を解決していくという態度でいいのかもしれないな。

まあ、極論を言ってしまえば、世の中の問題がすべて解決して、何も悩むことも苦しむことがなくなれば、「自分の存在」や「生きることそのもの」に悩むことになるのかもしれないな。
と、すると所詮世の中の矛盾程度で悩んでいるのは本質的な悩みでもないのか。でもここまで言ってしまえば、押し付けのジェンダーごときなんでもないよな、ってことになってしまうよなぁ、、、とすると、あの保育士は何で輝いているのか、となってしまうよな。やっていることに疑問を持つようになるのかもしれない。

この世的な悩みや苦しみから「存在」や「生きる」という本質を考えるようになるのは、昔からの定番だったっけ???
とすると、、、、ふ〜ん。

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