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noteでフォローするということ

SNSでの出会いとは不思議なものだと、ブログ時代から感じていました。
SNS以前の生活では絶対に会わないだろう見も知らぬ人と知り合ったりもします。
しかもnoteではブログと違い「フォロー」して繋がることができますし。
これに関してはワタシは大きな失敗をしました。
noteの初期のころによくわからないまま適当にフォローしまくったのですが、タイムラインに流れてくるnoteをみて、ちょっと何かが違う、それ知りたくない、そのイラスト見たくない、へたすると腹ただしいなど、変な方向に気持ちがザワツクnoteも目に入ってしまうことを知りました。
自分でフォローしたのにもかかわらず見たくないのに見せられている、というとこまで行ってしまいました。
それに耐えられなくて、心で謝りながらフォローを解除させていただきました。解除されたとわかった方は気分が悪くなっただろうと想像し、本当に申し訳なく思っています。
ここで謝らせてください。申し訳ありませんでした。(って解除して気分を悪くされた人はこれを読むこともないのでしょうが、、、)
でもせめてnote(sns)ぐらいはただ好きという作品や感情だけに囲まれたい、というワガママな自分を許容しようと思っています。

かなり以前になりますが、リアル同窓会の盛り上がりがありました。
そのときに誘われるままにfacebookというsnsを開設して、盛り上がる同窓生たちとsnsでも「ともだち」として繋がりました。
後発のワタシはみんさんが楽しんでいるところに仲間入りしたのですが、どうも楽しめない。今日の昼は何を食べたとか、どこそこの店が美味しいとか、出張で今どこそこの観光地にいるとか、今日の天気はどうだとか、子どもの卒業式だとか、あの犯人がゆるせんとか、、、しらんがな!! それワシにしらせてどないせいちゅうねん!! と感じました。
でも皆さん楽しそう。あぁワタシは皆さんとは違うんだな、という思い知らされてアカウントを葬りそのまま同窓会とも縁を切りました。
ここまで読んだ人には、毒多が世間一般と合うわけないだろ、自覚が足らん、と言うかもしれませんが、同窓会が盛り上がった頃は、世間一般が珍しく面白がっていた時期なのかもしれません。
いや、ちがうかな? いまリアルでとても好きな人でも生活の一挙手一投足を知らされてもウンザリしてしまい、嫌いになってしまうかもしれません。
それは寂しすぎるので、やはりfacebookは二度とやらないと思っています。
noteのよいところは、その人のいまの感性や訴えたいことが直接でなく作品によることかもしれません。

こんなこともあり、noteでは新たにフォローすることにめちゃくちゃ慎重になったり、自分のわがままな気持ちに正直に、あとでフォローを解除することがないよう、フォローは本当に閲覧したいnoteだけにしておこうと思ったりしています。相互フォローになっていないのはこんな理由です。
お許しください。

そんななか、ワタシがあげるnoteの写真を好きと言ってフォローしてくださった歌人さんがみえます。その歌人さんは短歌を詠まれるのですが、短歌という形式がわかってないワタシも何かしら琴線にふれる歌がおおかったのでフォローもさせてもらっていました。
短歌から触発されて写真のテーマをみつけてnoteにあげたこともあった記憶があります。(ヘッダーの黒揚羽)
そんな交流をしていました。
最近、更新がとまっていることに気づきました。
フォローのアイコンから飛んでみてもやはり更新されていませんでした。
最後の更新の作品をひとつだけ転載させてもらいます。

にんげんのかたちを解いて生命のはじまりの夜を迎えにいこう

ワタシの思索心にはとても響き、いろいろな思いが降ってきます。
そうした句だと思っていました。
今回ふたたび訪れて、ヘッダーにブログのアドレスがあることに気づきました。
ブログ記事の最後のほうは作品ではなく、歌人の現状がかかれていました。
治療断念、緩和ケアにはいる、、、
ブログもまたnoteと同じよう2020の秋を最後に更新がとまっています。
それから半年あまりが経った今、どうされているのか、はたして生きてみえるのかワタシには知りようがありませんし、知ってどうするのかと自問しても何も浮かびません。
ただ、これがsnsで繋がるということなんだんぁ、更新がとまるひとつの理由なんだなぁ、となんとも間抜けな感傷が浮かびました。

これはリアルでも同じかな。縁を切った同窓会の誰かが知らぬうちに亡くなっていることも当然あるし、それを知らないままということもあるんだよな。
フォローを解くこともそんな意味をもっているのかもしれないな。
でもフォローしているとこんな風に意味をしることもあるんだな。
もちろん自分が死んでも誰も知らないということもあるでしょう。というか、ワタシはそれでいいと思っています。
一人静かに「にんげんのかたちを解かれたい」なんてふと思いました。
noteで繋がった歌人さんが今どうされているかもしれず、もう話すこともないかもしれませんが、あなたの作品はワタシのなかに生きていますし、更新がなくなってもフォローを解くこともありません。
ときおり思い出したときにあなたの作品たちのもとに訪れたいと思っています

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