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暇と退屈の倫理学(著者:國分功一郎)

ジャンル:哲学

満 足 度:★★★★★



〇感想

・「暇と退屈」について、哲学、倫理学、歴史学、人類学、経済学、政治学、社会学、心理学、精神分析学、文学、生物学など様々な学問から考察しており、内容的に難しい部分もあったが、非常に読み応えがあった。読み終わって達成感があった。

・結論だけ先取りすることが最近は流行っているが、今回の「暇と退屈の倫理学」は過程を経るか否かによって、結論の捉え方が大きく異なる。そのため、諦めずにまずは通読してほしい。

「概念」は、ゼロベースで生まれるのではなく、これまでの概念に対する批判から生まれるという経緯が分かった気がする。本書では、過去の有名な哲学者の主張に対して、ここは納得できる、ここはおかしいというのが、ハッキリ述べられているので、哲学初心者の自分でも議論の進め方が理解出来た。

・本書では「遊び」という言葉はあまり使われていないが、『子どものための哲学対話』に出てきた人生の意味、高度な「遊び」や、『遊ぶが勝ち』の「遊びの重要性」と親和性があると感じた。

「勉強」、「遊び」、「贅沢」は退屈から避けるために大事なキーワードだなと個人的に感じた。


〇印象に残ったこと

・「退屈」が人類の大きな問題として浮かび挙がったのは近代だが、大昔の移遊動生活から定住生活に変わった時には少なくとも「退屈」そのものは発生していた。

・現代は経済が発展し、時間的にも、経済的にも余裕(暇)が生まれたが、それによって本当に好きなことをしているかは不明。本当に好きなこととは、余裕がない時に叶えられなかったどうしてもしたかったこと。

・消費・・物では無く「観念」を受け取るため、限度がない

・浪費・・物そのものを受け取るため、限度がある

・「文化産業」は現代の消費社会に生まれた人間の暇につけ込み、「これが楽しいことですよ」と煽り、消費させる。このような状態から抜け出すためには、「贅沢=浪費すること」を取り戻す必要がある。つまり、物そのものを受け取ることが必要。

・物そのものを受け取るためには、学習をする必要があるが、高い教養が求められるものではなく、日常の行為(食事など)も学習である。

・この世界は全ての生物に特有の時間が流れ、同じ世界を見ているわけではなく、各生物特有の時間、見え方があり、各々の世界(=環世界)が存在する。人間も、例えば職業や年齢、立場によって世界の見え方が異なり、それぞれの環世界がある。

・環世界の移動しやすさ(=環世界移動能力)が高い点が人間と動物が大きく異なる点。人間は、環世界を移動しやすい分、一つの環世界に留まることが出来ずに「退屈」する。

・一つの環世界に留まる「動物的な生」をして、退屈から逃れるためには、「考えざるを得ないもの」に遭遇し、思考をとりさわられる必要がある。つまり、自分がとらわれる対象にどれだけ出会うかが、退屈しないためには重要。これは、贅沢を取り戻す(=物そのものを受け取る)ことと繋がる。


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