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劣等感(コンプレックス)の超克 Part4(霞ヶ関での武者修行)

前回の続きです。

東村アキコ先生の「かくかくしかじか」

前回から時間が空いてしまいましたが、東村アキコ先生の「かくかくしかじか」5冊を一気読みして、以下のシーンに涙ぐんでしまいました。

東村アキコ先生の漫画家としてのコンプレックスをあけっぴろげに打ち明けたストーリーに共感しました。弟子と師匠に美しい関係が描かれています。

「かくかくしかじか」を読んで、「あ~、書(描)かなければ!」と、自分のコンプレックスの連載記事を思い出しました。

本題(留学後の話し)

さて、本題に戻ります。

留学先で少しばかり安全保障に触れたため、留学後は安全保障の課を希望したところ、希望通りの安全保障の部署に配属されました。

しかし、その課は、いままで全く経験したことがない部署でした。

しっかりとした法律>政令>省令があり、これら法令(法律、政省令をまとめた言い方です)に基づいて民間企業からの申請の審査を行う部署でした。

そして、私の役割は、その大きな方針の企画立案でした。

この新しい課で感じたのが、自分は相変わらず「雑な人間」だということでした。

Part2の記事で紹介のとおり、法律改正を1度経験したため、緻密人間になったつもりでした。

しかし、役人の厳密な綿密さには、全く達していないことがわかりました。

360度評価で下からのボロボロの評価

私の職場には、3人以上の部下がいる者は、部下から評価を受ける360度評価の仕組みがあります。

留学から戻ってきた年に、私の詰めが甘いことからくる仕事の不出来さに対して、ボロボロの評価を貰いました(もちろん匿名ですが、3人しか部下がいないため、誰からの評価がわかってしまいます)。

省内の人事担当から呼び出しを食らうほどに、ボロボロの評価でした。

私の右隣にいる方は、3種(高卒相当)ですが、同じ部に10年近く在籍されているベテランの方でした。

その方の私に対する怒りを薄々を感じていたので、その評価を貰ってからは、その方とのコミュニケーション方法を見直して、より密にコミュニケーションを取り、その方の仕事の負担を下げるため、かなりの仕事を私が引き取りました。

そうしたところ、半年後の360度評価では、ある程度、評価が改善されました。

留学先では、他人から評価を受けるという環境でなかったため、2年ぶりに出身省庁に戻ってきて、「また、うんと厳しい環境に戻ってきたんだな~」と実感しました。

今回は、通常業務がすべて、法令に基づいているため、これまでにもまして緻密度合(詰める精度)を上げないと、仕事にならない事ばかりでした。

少ししか紹介できませんが、仕事のスケールが大き過ぎるのです。

私の省庁のみでは判断ができず、国家安全保障局という所に、他の省庁に対して説明責任を果たすという役割までも担っていました。

ガチガチに仕事を詰めていかないと、他省庁に突っ込まれたら、案件が倒れてしまうという緊張感がある仕事が大半を占めました。


またもや法律改正

このような状況のなかで、数ヶ月すると、またもや法律改正業務に巻き込まれることになりました。

結果として、夏休みが全て飛びました。

1週間ほどで、ベトナム、ラオス、タイに行く予定で、フライトや宿泊先も押さえていましたが、「桐島君、8月4日と9日出勤してねー」と、サラリと流れる会話のなかで、伝えられました。

事前に休暇の決裁(了承)を取得したはずだったのに、春のそよ風のようなNaturalパワハラに抗えず、私の旅行計画は終わりました…

フライトと宿泊のキャンセル料バカにならん… 泣

万一、私が2020年代に入省していたら、すぐに役所を辞めていたと思います…

しかし、当時はこんなのは普通でしたし、留学から帰ったばかりだったので、自己決定権と発言権がありませんでした…

本来であれば、役人として「巻き込まれる」という受動的な言葉を使用すべきではないのですが、「巻き込まれました」、、、

本当に法律苦手でした、、、

以前のPart2の頃(入省4年目)と比較すれば、文書力は向上していたのですが、如何せん法律に対しては、全く苦手意識を克服できていませんでした。

しかも、今回は、前回とは異なり、世の中に半端ではないインパクトを及ぼすSuper Big Scaleの法律改正でした。

国民生活全般に関わる程ではないものの、日本企業や投資家の大部分に影響する性質のものでした。


超優秀な仲間たち(Superサイヤ人のドリームチーム)

このような大型の法律改正だったため、省内から超優秀な人たちが集められました。

上司1人、同期1名、後輩3名という構成でしたが、その後輩のうちの1人は、司法試験に合格しているステータスで、もはや先輩と呼べる存在でした。

同期も超優秀で、「世の中でこんな優秀な人に会ったことはない。今までの人生で見てきたなかで1番優秀な人」と、ため息が漏れそうになるほど優秀でした。

Superサイヤ人のドリームチームに、なぜか一般市民(私、桐島)が混じってしまったという、アンバランスさでした。

この同期は、いまだに同じ省内でも、私が人生でいままで出会ったなかでも、1番頭の良い優秀な人間だと思います。体力があり、好奇心も旺盛です。

いまでは、総理大臣の近くで働いていると聞いています( ;∀;)

消えることのないコンプレックス

法律改正は難しく、会社法、金融証券取引法、その他の法律にも関係するものでした。しかし、Superサイヤ人のチームメートは、全員1を聞いて100を知るタイプでしたので、完全に落ちこぼれました、、

社会人になって、年次の近い人たちと一緒に働いて、まざまざと力の違いを見せつけられる経験はなかったため、「自分はこの省庁に入ってこんなにも優秀な人たちと一緒に働けて良かったな!」と感謝の気持ちを噛み締めるとともに、「こんなDreamチームに、私は不要だろう!」と絶望的な気持ちになりました。

社会人7年目ともなると、チームの中で自分の役割を見いだせるようになるのですが、そもそものテーマが法律改正なので、法律の基本的なことを知らないとキャッチアップできない構造でした。

例えるならば、小学1年生が、掛け算の問題に挑戦させられる気持ちです。

あまりに課題のハードルが高すぎると、はじめに何から手を付けてよいか分からなくなるものです。

タコ部屋

さて、法律改正の具体的なイメージが沸かない方のために、具体的にどのような仕事の仕方をするのか、解説します。

法律を作るためには、一大ブラックプロジェクトチームが立ち上がります。
このチームが所属する部屋は、「タコ部屋」と呼ばれます。

省内の小さな空き部屋を使用して、そこで朝から晩まで缶詰になります。
朝から晩まで法律案を議論し、資料を作成し、省内各部署や他省庁と調整をしたりとかなりきつい場所です。

特に、Part2で紹介した法制局からの指示を守るのは絶対です。

「今日の16時から時間が空いたので、来れますか?」という電話が急にきます。常に法制局の説明資料を作成することを第一義に考えます。

通常は、法律は通常国会(1月から150日間)で審議されるため、それに向けて、スケジュール管理するのですが、この法律は例外で、政治との関係で急いでいたため、10月~12月の臨時国会に間に合わせなければいけませんでした。

省庁→内閣法制局→閣議決定→臨時国会(10~12月中)という順番に間に合わせなければいけません。

省庁の威信に関わる問題なので、チームメンバーには失敗は絶対に許されません。それゆえ、精神的にも肉体的にも厳しい仕事なのです。

私は、現在の法律を分析して、改正事項を洗い出して、改正のふさわしい文言をはめていくという超難易度の高いジグソーパズルは苦手でした。

そのため、法律の運用に、問題が生じないように、法律の改正範囲を絞ったり、具体的に改正によってどのような影響があるかなどを分析して、内閣法制局資料に記載する役割を担当しました。

本当に厳しい仕事で、夜24時過ぎ(25時、26時頃)に家に帰って、朝8~9時には職場に来なければいけない生活が数か月続きました。

Superサイヤ人のドリームチームのおかげで、11月に無事に改正法が成立しました。

改正法が成立したわけでは終わりません。

その後、政令、省令の改正も待っていました。

法律に比べると多少楽ですが、それでもかなりの苦役を伴います。

このような法令(法律、政令、省令)の改正を翌年4月に終えました。

自分の貢献はほとんどありませんでしたが、やっとタコ部屋からシャバに戻ってこられると安堵しました。

もちろん、法律に対する苦手意識は、心の奥底に澱(おり)となって沈殿することになりました( ゚Д゚)


法律改正チーム員のステータス

私は、法律改正に「巻き込まれた」だけでしたが、法律改正に携わることの地位は、非常に高いことは有名です。

小泉総理の下で、首席秘書官を長らく務めた飯島勲さんの言葉を借ります。

 わたしは、官僚の実力を査定する際のポイントとしても、法律に触ったことがあるかどうかを重視しています。30代を迎え、課長補佐クラスとなったキャリアなら、法律の一本も作った経験がないと話になりません。仮にそこを通過していない補佐がいたとしたら、能力と資質を疑ってかかる必要があります。
 一本の法律を作るとはどういうことなのか。1府22省庁の時代から、全省庁に漏れなく配布し、意見を求めます。当時なら800問程度、1府13省庁の現在なら、500~600問の「ケチ」がつけられます。
 担当官は、まずこれらのケチに対応しなければなりません。すべてを論破したあと、ようやく内閣法制局と渡り合う資格を得ます。
 法制局とは、微細な点のすり合わせを行います。極端な話、テンやマルの位置についてまで意見が出ます。
 その次は、各省庁の省議にかけます。省議を突破すると、大臣の承認を得ます。その後、ようやく閣議決定となります。
 法案は、これだけの過程を経てようやく政府案として国会に提出されます。担当官の仕事はまだ終わりません。今度は与野党議員の根回しが待っています。
 委員会で与野党の反対、賛成の双方をつぶします。採決になれば、本会議。可決、成立まで手から離れることはありません。
 キャリア官僚とは、これだけの作業を1人でこなせる人種を指します。一般企業で優秀といわれる人材が100~200人束になってかかっても無理なことを、平気でやってのけます。
 日本の官僚は、それだけ優秀ということです。その爪の垢でもいい。大臣として嗅いでおく必要があります。委員会や本会議などの答弁を通じて「法案に触った」と実感できます。法律一本程度は経験しておいたほうがいいです。

2012年の書籍で、2000年代のことを指摘していますので、多少差っ引いた方がいいと思いますが、2000年代の官僚は本当に、優秀過ぎる人が多かったというのは、いまの省内の40代後半や50代を見て、納得します。


解消されないコンプレックス

その後、その時に法律改正の携わった聡明な女性が、私が所属している部署の後任になりました。そして、私は5月に国際的な会議を担当する部署に異動になりました。

法律改正の時のコンプレックスが大きすぎ、仕事もハード過ぎたため、

新しい部署にきて、国際会議に参加して、英語で発言し、英語で声明文(statement)の文言調整をすることがかなり楽に感じました。

ポジションとしては、課長>総括補佐>担当補佐>係長>係員のなかで、総括補佐になりました。

新しい課は、仕事内容は楽になりましたが、なんと、人間関係での悩みが始まることになりました。

続きは次回!!!

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