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あり得るかもしれないもう一つの「コロナ後」ーミニ読書感想「祖父の祈り」(マイクル・Z・リューインさん)

ハードボイルド小説の巨匠マイクル・Z・リューインさんの「祖父の祈り」(田口俊樹さん訳、ハヤカワポケットミステリー、2022年7月10日初版発行)が胸に沁みました。米国で2021年に刊行。新型コロナウイルス禍の真っ只中に、明らかにコロナを意識したパンデミック下の近未来を描く意欲作です。本書の荒廃した世界は、あり得たかもしれない、いや、今後もあり得るかもしれないもう一つの「コロナ後」です。


本書の世界ではコロナとは明言されないものの、非常に強力な感染症が拡大しています。街はほとんどが空き家になり、どうやらごく一部の富裕層が「丘の上」に安全なコミュニティを確保している以外は、荒みきっている。主人公の「老人」は、「娘」と孫の「少年」と3人で、空きビルに息を潜め、時には拳銃を使った強盗を働き、なんとか生きている。

祖父である老人の語りから、断片的に悲惨なパンデミックが描かれる。3人以外の家族が欠けている理由はやはり、度重なる感染の「波」がその命を奪ったからだと見えてくる。

つまり本書は、現実社会のパラレルワールド。いまはここまで酷い社会ではないものの、少しボタンを掛け違えば、「あり得る」社会がそこにある。

ただ、本書は「コロナはここまで恐ろしいものになり得る」と脅かしているだけではない。もちろん、命を奪われる苦しみは大きな主題ですが、コロナによって何が失われるのか、考えさせられるシーンが数多くあります。

ある日、孫である少年が野良犬を拾ってきて、廃墟の住宅の中で飼うことになる。当然、さらなる食料が必要になるし、まるで「羅生門」の世界のような界隈を犬の散歩で出歩くことはリスクがある。老人は難色を示し、娘とちょっとした言い合いになります。

 「あの子には何かが必要なのよ」娘は立ち止まり、視線を合わせようと老人の肘をつかんだ。「あの子の人生がどんなものか考えてみて」
 「まだ人生の途中だってことを?」
 「何か彼だけのものが要るのよ。あの子はもう十四よ。それなのに自分だけのものを何も持っていない」
 「おれたちも何も持っていない」
 「思い出があるじゃないの、父さんとわたしには」娘はまえを向いた。「行きましょう、遅れちゃう」
「祖父の祈り」p47-48

大人たちは「コロナ前」の思い出を反芻して、この苦しい世界を生き延びていける。しかし子どもたちには、反芻可能な思い出すらない。思い出を作る機会を、コロナに奪われている。その事実を突きつけます。

命は何物にも変え難い。同時に、取り返しのつかない時がいま、過ぎている。このジレンマの中で私たちは生きていかなくてはならない。本書の中ほど世紀末的な状況にもなっていませんが、この葛藤と矛盾は現に存在するかと思います。

一歩間違えば本書のような荒廃は現実になる。一方で制限の長期化は、命とはべつのものを奪う。容易に整理できない難問です。

いま日本では、コロナの法的位置付けの変更が模索されている。そんな今だからこそ、読み、考えたい一冊です。

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