見出し画像

ASDの内的世界を学べる本ーミニ読書感想『自閉症だったわたしへ』(ドナ・ウィリアムズさん)

ASD(自閉スペクトラム症)当事者のドナ・ウィリアムズさんの自伝的著書『自閉症だったわたしへ』(河野万里子さん訳、2000年7月1日初版発行、新潮文庫)が勉強になりました。定型発達者の多い私たちは、ASDをその外的特徴から「通常とは異なる」と判断する。しかし、それは当然ながら、ASD当事者が「どう感じるか」とは別の話。そうしたASD当事者の内的世界、内的感覚を、言葉を通じて学べる本でした。


著者は、3歳ごろの自身の感覚を鮮明に語る。まずそのこと自体、そのずば抜けた記憶力に驚きます。なにせ書き出しはこう始まるのです。「生まれて初めて見た夢を、わたしは今でも覚えている」(p25)。

ASDは、人よりもモノへの関心が強いと言われます。定型発達の視点で考えてしまうと、それはとても冷淡なことに思える。しかし、著者の語りに耳を傾けると印象は変わってくる。

 このように、ある人の象徴のような物を大事に取っておいたり身近に置いたりすることは、わたしにとって、魔法のおまじないのようなものだった。もしそういった物がなくなったりとられたりしてしまったら、魔法が切れて、悪者たちに襲われてしまうかもしれないと思っていた。もちろんこれは狂気でも妄想でもなく、あどけない空想にすぎなかった。しかしその根底には、自分の無力さについての、激しい恐怖感があったのだ。

『自閉症だったわたしへ』p31-32

無力さについての激しい恐怖感ーー。こう聞けば、モノへの執着は、荒れ狂う世界への防衛手段に見えてくる。そして、恐怖感を感じる繊細な心、冷淡さよりむしろ温かさを感じはしないでしょうか。

本書はこのように、驚きの連続です。定型発達とはあまりに異なる感覚が、淡々と描かれる。アクセルはいつまでも緩まなくて、「ちょっと待って」と言いたくなるくらい。

しかし、同時に「分かる」と思うこともある。例えば著者は幼少期、空中を漂う髪の毛のような生物「ウィスプス」や、無数の丸「スターズ」という存在を空想していたそう。これは分かる。自分の場合、雨の日、車の窓ガラスを伝う雫を何かの生物だと思って妄想していたし、いわゆるケセランパサランのような綿毛様の生物を思い描いたりもしました。

ASDは、「スペクトラム(連続体)」だと言われます。著者の感覚は総じて、自分とは異なるものですが、しかしながら自分の感覚とも連続している部分があるとも思う。ここに、ASDと定型発達者が分かり合える余地があるのではないかと思うのです。

スペクトラムの先に、全く想像だにしない内的世界がある。こう想像を膨らませれば、ASDに対して「普通」を押し付ける行為は、多少減らしていけるように感じました。

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

万が一いただけたサポートは、本や本屋さんの収益に回るように活用したいと思います。