日常に散らばっていた物語ーミニ読書感想『わたしのいるところ』(ジュンパ・ラヒリさん)
ジュンパ・ラヒリさんの『わたしのいるところ』(中嶋浩郎さん訳、新潮社クレストブック、2019年8月25日初版)が心に残りました。米国のインド系移民である著者が、イタリア・ローマで生活していた頃の経験からイタリア語で書いた本書。登場人物の誰にも、舞台のどこにも固有名詞がないという変わった物語でした。
「歩道で」「彼の家で」などなど「私のいるところ」について書かれた46の短い掌編が連なる。それは、日常生活にはいくつもの物語の断片が散らばっていたことに気付かせてくれました。
主人公の「わたし」は、どうやら40代で、大学で教師をしている。一人暮らしで、住んでいる「地区」には元恋人の「彼」や、彼が結婚した「友達」も暮らしている。名前のない抽象的な世界なのに、語られる物語はすごく具体的で何気ない。顔は浮かばないのに、情景は浮かぶ不思議な物語世界です。
特に気に入ったのは、主人公が学会に出かけた「ホテルで」。ここでも主人公は孤独だけれど、隣の部屋に入った学者の「彼」が救いになる。彼は政府の迫害を受けた亡命学者。なぜか、その学者と部屋に戻るタイミングや出るタイミングが合う。
なんと、ここでこの話はおしまい。普通なら、ここから彼と恋愛関係や、少なくとも言葉を交わすくらいには発展しそうなものなのに。次の章では、もう全く違う物語の断片に移行する。
主人公は、異国でひとり暮らした著者の投影に感じられる。著者はインド系移民である自らのアイデンティティや、そこに縛られずに遠ざかる手段としてイタリア語(外国語)による創作を選んだそう。徹底して、孤独の意味や効用を考え抜いた人なのでしょう。安易に孤独を消滅させない。
発展しない物語。その断片に触れることで、自分の周りにも小さな物語が転がっていることが想起される気がします。
たとえば、自分は昨日見た鮮やかな夕焼け空を思い出しました。マジックアワーと呼ぶに相応しい色。障害がある可能性があり、この先を案じる自分の子と、いつかこんなふうな景色を共に「きれいだね」と言い合う日は来るだろうか、と思いを馳せました。
その物語は、それ以上発展はしないかもしれない。でも、自分にとっては大切な物語の萌芽でした。
こんな物語が、日常に散らばっていたこと。そのささやかな幸福に気付かせてくれる物語でした。
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