正しいわたしを纏った冷たい虚無ー読書感想#32 「破局」

遠野遥さんの小説「破局」の手触りが忘れられない。食べ終わった後も口に残る肉片のよう。物語は、2人の女性を揺れ動く大学4年生男子の話。なのに、蘇るのは青春の甘酸っぱさではなく、居心地悪さ。この主人公は何かおかしい。帯の惹句にある「新時代の虚無」とは、この主人公のことではないか。それは正しい「わたし」を纏った、得体の知れない冷たい「何か」だ。


この主人公は本当に1人なのか?

自分は本作を読む前に誤解していた。帯にある「私を阻むものは、私自身にほかならない」の言葉。そして「ラグビー、筋トレ、恋とセックスーーふたりの女を行き来する、いびつなキャンパスライフ」。ここから、主人公「私」が、2人の女性の人格を行き来するSF小説なのかと思ってしまっていた。

読み始めて、主人公「私」は優秀なラグビー選手で大学4年の陽介だと分かる。しかし、読み続けるとまだ違和感が襲う。

たとえば書き出しで描かれる陽介はこんな人物なのだが。

 目と目が合って、彼が恐怖を感じているのがわかった。私がこの位置までカバーに来るとは思わなかったのだろう。筋肉の付き方は悪くない。背も私よりいくらか高い。どうしてもっと自信を持って戦わないのか。私に勝ちたいと思わないのか。憤りを覚え、確実に潰すと決めた。(p3)

ラグビーの一場面。相手側の「彼」が陽介の強さに恐怖を感じたことに、陽介は憤る。「確実に潰す」とさえ言う。勝負への厳しい姿勢に加えて、相手にそれだけの畏怖を与える陽介の自己管理の徹底ぶりもうかがえる。

本書は「✳︎」で場面が区切られる。このラグビーのシーンから切り替わり、ベッドから飛び起きた人物が行動を開始する。

 頭の片隅で、今日が何の日だったかを考えつつ、裸のまま日課である腕立て伏せやスクワット、腹筋などのメニューを一通りこなした。裸で腕立て伏せをすると、性器が都度床に触れて面白い。でも衛生面を考えれば下着を穿いたほうがいい。本当はジムに通ってベンチプレスなども行い、限界まで自分を追い込みたい。腕立て伏せでは自分の体重未満の負荷しかかけられないが、ベンチプレスなら100キロ以上の重さで大胸筋、三角筋など広く一度に追い詰めることができる。しかし公務員試験が近づいていたから、それまでは休むことにしていた。(p14)

ここを読んだ時、この人物は陽介と同じなのか?と思ってしまった。性器が床に触れることを「面白い」と語る姿が、冒頭の厳しい陽介と重ならなかったからだ。ベンチプレスを公務員試験のために控えるという冷静さはちゃんとあるのに。

もしも、衛生面を考えれば下着をちゃんと履くべきだという一文の後に「でも気持ちいいからやってしまう」と言うのなら、「ああそういう人なのか」とも納得がいく。でも、その人間らしさというか茶目っ気が、抜け落ちているのがなんだかモヤモヤとする

このあと、別の人物から「陽介」と呼ばれることで、ぶらつき筋トレ男は陽介と同一だと確定する。でも、違和感は粘っこく喉元に残った。この主人公は本当に1人なのだろうか。


空白が動かす鎧

帯で明かされた通り、陽介は2人の女性の間を行き来する。1人目は麻衣子。付き合ってはいるが、政治家を目指す彼女とは溝が生じ始めている。そこで出会ったのが灯。まだ入学したてで、初々しさと麻衣子にはない朗らかさがある。

麻衣子や灯と関わる陽介にも、なんだか不自然さを感じてしまう。たとえば、性愛をめぐる陽介の語り。まず麻衣子との間ではこう述懐する。政治家を目指す麻衣子は忙しく、このところ関係は少なかった。

最後にセックスをしたのは、一ヶ月以上前だったか。付き合っているのだから、私は麻衣子とももっとセックスをしたい。本当なら毎日したいけれど、勉強もしたいから、二日に一度くらいが適当だろうか。しかし麻衣子がしたくないなら、無理にセックスすることはできない。無理にしようとすれば、それは強姦で、私は犯罪者として法の裁きを受けるだろう。それに、私は麻衣子の彼氏だ。麻衣子の嫌がることはできない。麻衣子が目標に向かって頑張っているのなら、それを応援するのが私の役目だろう。(p36)

この性愛への姿勢は「正しい」。パートナーと関係を結びたくても、無理強いすることは犯罪であるし、パートナーなら相手の嫌がることをすべきではない。

でも、いや、だからいびつに見える。麻衣子と性愛を交わさない理由は、「できない」「法の裁き」「役目」。そこからもう一歩、だから無理に「したくない」とは決して語らないからだ。

陽介に「したい」がないわけではない。むしろその直前に強く欲望を語り、本当は毎日したいけど勉強を考えたら二日に一回かなとすら言っている。つまり、陽介は欲望に「できない」「法の裁き」「役目」で歯止めをかけているだけで、そこから麻衣子を大切に「したい」というところまでは行きついていないのではないか。

性愛に対するポリシーは灯に対しても一貫している。麻衣子と離れ、灯と近づいた時。

私はもともと、セックスするのが好きだ。なぜなら、セックスをすると気持ちいいからだ。セックスほど気持ちのいいことは知らない。セックスの機会を、私がみすみす逃したことはないだろう。一方で、相手の望まないセックスは決してしない。そんなことをすれば、その女をひどく疲れさせ、場合によっては、深く傷つけるだろう。女性には優しくしろと父は言った。(p68)

望まない行為は女性を疲れさせ、深く傷つけることもある。ようやく陽介の他者への想像力を見られたと思ったら、その次に「女性には優しくしろ父は言った」と出てくる。ここでも歯止めだ。そうしたいからそうするのではなく、そうしてはならないからしない。

自分に勇気を持ってタックルをしてこないプレーヤーを潰したくなるほど憤りを覚えられる男が、なぜ規範以外で性愛を語れないのか?だから自分は、陽介が怖い。この人が他者を壊すことには積極的でも、他者を慈しむことにはまるで関心がないんじゃないかと思って、怖い。

陽介という人は論理的で自律的で、正しい。でもそれは「鎧」に思える。そして鎧をまとう人が中にいるのかと言えば、それがどうにも見えてこない。鎧の中にいるのはむき出しの自己ではなくて、ただただ空白な存在に思える。これが帯の惹句にある「新時代の虚無」の正体ではないか。

陽介に抱いた違和感は絶えず付きまとい、いつのまにか物語も不穏な方向へ転落していく。そこまで行ったらもう読む手を止められない。そして読み切った後にこびりついたなんとも言えない感覚も、もう引き剥がすことはできない。(河出書房新社、2020年7月20日初版印刷。購入当時第163回芥川候補作、後に受賞)


次におすすめする本は

カツセマサヒコさん「明け方の若者たち」(幻冬舎)です。新感覚という言葉は安直ですが、「破局」とはまた違う「読んだことのない読み心地」がある。こちらはむき出しの自己顕示欲、承認欲求、「何者かになりたい願望」が描かれます。

詳しい感想はこちらです。


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