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「搾取に苦しむ人」に向けたSF小説ー『ここはすべての夜明けまえ』(間宮改衣さん)

間宮改衣さんのデビュー小説『ここはすべての夜明けまえ』(早川書房、2024年3月6初版発行)は、読んだ後に「すごい小説を読んだな」と唸ってしまう作品でした。なるべく事前情報(ネタバレ)なしで読まれてほしい。凄まじいインパクトを、ダイレクトに受け取って欲しい。

なので感想で書くべき情報は極力少なくしたいけれど、これだけは声高に訴えたい。これは多くの生きづらさを抱えた人、とりわけなんらかの搾取に苦しむ人のために書かれたSF小説です。


これは全てに表紙に書かれているので許容範囲とみなしますが、本書は九州の「もう誰もいない場所」にいる「わたし」が、ひとりで家族史を綴っていくという物語。なぜ誰もいないかと言えば、わたしはおよそ100年前、「ゆう合手じゅつ(融合手術)」を受け、死なない体になっているから。その一方で、家族を含む周囲の人たちは命を終えていくからです。

この時点で、本書が直球のSF設定であることは窺い知れるかと思います。融合手術。不死。その言葉からは、人間の意識をコンピュータに移植する「マインド・アップローディング」が思い浮かびますし、いくら100年とはいえ不死のわたし以外だれもいないという状況は、アポカリプス(終末)的世界観の匂いがすると思います。それについては当然、ここで多く語ることは控えます。

融合手術が「ゆう合手じゅつ」になっているように、多くの漢字が開かれ、ほぼ平仮名の文章になっているのが本書のもう一つの特徴です。いわば特異な文体。たぶん、読み始めるとその特異さが目について「これは文体勝負の作品なのだろうな」と思われるくらいだと感じます。私もそうでした。

SF直球の設定と、特異な文体。これが評価されてハヤカワSFコンテストの特別賞に輝いたのかなと思いましたが、読み進めるごとにどうやら違うのかもしれないと思わされる。

わたしは、なぜ不死の融合手術を受けたのか?その体でなぜ、九州の誰もいない場所に留まっているのか?そして、わたしが書く家族史には、誰の、どんな姿が描かれるのか?

本書の要諦は、その設定や文体にはない。本当に描こうとしたものは、おそらく、「ケア」である。ケアの裏返しにある、暴力や抑圧、搾取である。(どこからそれを感じたのか、語りたい気持ちでいっぱいですが、それは初読体験を阻害してしまう)

ひとつ仄めかせるとすれば、物語の最序盤、わたしは「死にたい」という気持ちに常に苛まれていることが明かされます。では、なぜ死にたい人間が、不死手術を受けることになったのか?

私はこの謎(ミステリー)が内包する暴力性に、物語終盤まで気付くことができなかった。逆に言うと、この謎解きは必ずされます。その点からも、本書が技巧的ではなく、物語として誠実であることが分かってもらえると良いのですが。

わたしが「死にたい」人間であることは、著者がこの物語を、極めて生きづらい、苦しいと感じる読者に宛てているからとも捉えられます。本書は不死が現実化した未来の小説ですが、ケアする人が顧みられず、抑圧の構造におかれる2020年代にこそ、誕生すべくして誕生した物語だと感じました。

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